File01:便利屋と手紙

 猫、という生き物がいる。
 大きさは片手で抱えられる程度。全身に毛があり、種類によって毛色や長さがまるで違う。頭には三角形の大きな耳を持ち、尻には同じく毛で覆われたしっぽを持つという。
《照合開始……生体認証終了。スタートアップします》
 猫は人語を解さず「にゃあ」という奇妙な鳴き声しか発さない。非常に気まぐれな性格をしているというのが一般的な認識らしいが、個体差が激しく一律にそうとは言えないそうだ。
 その多くは愛玩動物として人々に親しまれ、世界中に分布していたという。
《アイオン・ドライブ、充填完了。回転開始》
 だが、その殆どは――猫に限らず、多くの動植物は死滅、もしくは絶滅の危機に瀕している。
 大昔、この惑星を襲ったという幾度の戦争や大規模汚染。その結果、毒の海と化した大地から人類は逃げ、新たな居住地を自分たちの手で作り上げた。大昔の思想団体が信じていた神話にある、生命を大洪水という滅亡から救った方舟のような場所を。
《都市運営委員会気象部の発表によりますと、今後六時間以内のマルテル・シェル周辺の雨雲や強風の可能性は三パーセント以下。ほか、七時四十五分頃には南西八キロメートル先で「機鳩」の群れが通過します》
 ただこの方舟にはノアが多過ぎた。
 正常な動植物は保護の名の元、ノアの為に徹底的に管理されて生態を運営させられている。オリーブの葉を取って戻るとされた聖なる鳥は食肉に適さず、愛玩用としての価値も低い事から研究用の数体を残すだけ。
《舟はいつでも発進出来ます。――良い風が吹きますように。ロビン様》
 この星にはもう、正しい自然というのは存在していないのかもしれない。
「準備完了ですね。行きましょう、ロビンさん」
「はいよ」
 ――開かれたハッチから差し込む光が「彼女」のシルエットを浮かび上がらせる。
 全体的なそれは人間と同様。しかし本来耳があるべき場所からは大きな三角が上を指し、尾てい骨の辺りからはふさふさとした毛のある長いしっぽが伸びている。
 猫という生物を知る人ならば、彼女を見てすぐにそれを思い浮かべるだろう。
 
 かつて、猫という生物がいた。
 現在、その名残は亜人という新人類の中に息づいている。
 
 + + +

▼B.E.歴五〇〇年 マルテル・シェル 居住区域第七区

「今日は雨なんですね」
 決してこちらへは落ちてこない雨粒を見上げ、長い髪の少女は残念そうに言った。
 いやでも人の目を引く奴だ。まず髪の毛が白い。とは言っても年寄りのそれとは違う瑞々しさを持つそれは、周囲の光を受けて淡く複雑な色をまとっている。まるで彼女の周りだけ薄ぼんやりと発光しているようだ。思わず触れてみたくなる肌と、くりっとした青い目。彼女の顔と体は、男の理想の少女像という型があってその通りに造られたように出来過ぎている。
 そんな妖精めいた容姿を持つ少女は、勿論妖精などではない。そして真っ当な人間という枠でもない。それは頭から生える三角の耳と、腰から伸びるしっぽを見れば誰でも分かる。
 亜人レプリカント
 彼女は動物的特徴を持つよう遺伝子設計されて、ジェネレーターから生まれた亜流人類の一人だ。
「雨って冷たいんでしょうか……? あ、でも、あんなに高くから落ちてくるものですし、当たったら痛いのかも……」
「おーい、ディア。前見て歩け、前を」
 上を見上げたまま歩く危なっかしい少女――ディアの猫耳を指先でつつく。すると「ぴゃっ」という奇妙な悲鳴を上げて、彼女は耳を両手で押さえた。しっぽの毛がぶわっと膨らんでいる。
「ろ、ロビンさん……耳をいきなり触らないで下さいって、前にも言いましたよね?」
「いきなりじゃなかったらいいのか?」
「えっと……せめて事前に承諾をとってほしいです」
「耳に触らせて下さい」
「……だめです」
 要求はあえなく却下された。更には耳を押さえたまま、変質者から距離を取るように二歩ほど距離を離される。まあ普通の人間同士だって、いきなり耳触ったら変態行為として見なされるよな。
 悪かった、と声をかけても彼女はそっぽを向いたまま俺の少し先を歩く。ちょっとくらい距離が離れた所で、これほど目立つ彼女を見失う事はまずない。元々人通りの少ない道だ。周りに俺たち以外の人影はなかった。
 曇天の下にあってなお鮮やかな背中を追いつつ、
「……雨は冷水のシャワーみたいなもんだ。別に当たっても痛くはない」
 昔の事を思い出しながら、先程の彼女の疑問に答える。
「そうなんですか?」
 俺の言葉にそっぽを向いていたディアが簡単に振り返る。淡いブルーの瞳が好奇心で爛々としていた。
「ロビンさんは雨に当たった事があるんですか?」
「まあ、随分前に『外』に出る機会があって、その時にちょっと。あんな海から発生した雨なんて、打たれない方がいいけど」
 ディアはまた上を見上げる。俺もつられるように天を仰いだ。
 厚い灰色の雨雲。こちらへ向かって降る雨粒は、巨大なガラスの天井に阻まれて俺たちに届く事はない。
 ここはグランシェル。移植した大地を覆うように天上にガラスが張られ、外の汚染からは守られた場所。
 空はいつもガラス一枚隔てた先にある。非常に透明度が高いガラスだから晴れの日は気にならないが、こうした雨の日は内と外が隔絶されている事を強く思い知らされる。
 生まれた時からこのドーム都市の中にいる人間は、大して気にならないようだが。
「雨は当たるじゃなくて、打たれるとか降られるって言うんだよ」
「打たれるってなんだか痛そうですね」
「さっきも言ったけど別に痛くはないぞ。痛いほど勢いよく降る雨っていうのもあるが、怪我をするって程じゃないし」
「街の肥沃雨や洗浄雨とは違うんですね……。あちらは浴びると、肌がちょっとピリピリします」
「あれは化学薬品の散布みたいなもんだからなぁ」
 降られない雨を見上げながらつらつらと話している内にカフェ『れんげ亭』の前に着いていた。ドアの前に下がったプレートは「CLOSE」と訴えていたがお構いなしにドアを押す。古く軋んだ木製のドアを開くと、真鍮製のベルが軽やかな音を立てた。
 中はやや明るさを落とした照明だが、白塗りの壁や所々に置かれたアンティークなランプ、繊細なレースが施されたテーブルクロス等、店主の細やかなこだわりのお陰で暗いという印象はない。
 対面ソファのテーブル席が三つ、カウンターが五つという狭い店。一応、奥の方に個室の客席があるのだが、しょっちゅう使われるものではない。カウンターの上にはモニターが設置されており、二十四時間ひたすらニュースだけ流し続けるチャンネルが消音で映し出されていた。小ぢんまりした店だが、BGMもない静けさとゆったりしたソファ席を密かに慕う客もいる。
 カウンターでは店の主である木蓮さんがコーヒーミルをがりがりと回しながら、
「や、おかえり」
 豆を挽く手は休めないまま声をかけた。
「ただ今戻りました。木蓮さん、頼まれていたもの全部買えましたよ」
 れんげ亭は席数も少なく、やっていけているのか傍からは不安になるがこの人にはカフェとは別の収入減がある。この店が入っている建物は彼の持ち物で、二階は空き部屋として貸し出している。俺とディアはそこを間借りしているのだ。そういう訳で今日のように、オーナー権限で店の買い出し等を頼まれる事も多い。
「マドラーとお砂糖と……」
「あと、合成じゃない牧場由来の牛乳、あったら欲しいって言ってたよな。残り一本だけだったけど買っといた」
「お、それは有難いね――って、ああ、そうだ。ロビン君に随分可愛らしいお客さんが来てるよ?」
「可愛い客?」
 随分可愛らしい客、の所でディアの耳がピンッと上向いた。
 木蓮さんは空いた手で店内の壁を差した。彼が指で示した方向には小さなホワイトボードが下がっている。
 そこに書かれているのは「総合雑事代行業 ロビン」の文言と連絡先。少し前まで白い画面に黒い文字という質素さだった広告は、ディアが来てから様々なペンの色やら動物のマグネットやらを足されていつの間にか無駄にデコられていた。
「奥の個室で待たせてあるから、行っておいで」
 どうやらそのお客というのは便利屋としてのロビンを訪ねてきたらしい。木蓮さんの言い方から察するにお得様ではなく、ご新規さんのようだ。
「了解。後でコーヒー持ってきてくれ――行くぞ、ディア」
「えっ」
 マドラーを買い物袋から出したまま手が止まっていたディアが、吃驚したように俺を見る。
「わたしも一緒に……行った方がいいんでしょうか?」
「そりゃそうだ。お前だって立派な便利屋助手だからな」
 立派な便利屋助手、の部分をあえて強調して言うとディアは手をあわあわさせて硬直した、と思ったら急に牛乳と砂糖を抱えてカウンターへ向かってバタバタと走り出す。
「わ、わたし、これを冷蔵庫にしまってから向かいますので!」
「ディアちゃん。砂糖は冷蔵庫じゃなくていいからね」
「あっ! はいっ、すみません!」
 慌てて砂糖を戻しに来たディアの頬は少しだけ赤かったように思う。
 非難がましい木蓮さんの視線は流して、俺は件の可愛いらしい客の姿を想像しながら奥の個室へ向かった。


 さて、随分可愛いらしい客だと確かに彼は言ってはいたが。
「……えっと、あんたが便利屋に依頼に来たお客さん?」
「は、はい」
 可愛らしいと言えば、確かに可愛い。個室でホットミルクを飲みながら俺を待っていたその客は、中等部に上がるか上がらないかくらいの幼い少女だった。
 店内を見回す。開店前だから勿論、木蓮さん以外の人はいない。個室にいるのはちょこんと座った少女だけ。手洗い場の電源も点いていないから、保護者がたまたまトイレに立っているという訳でもなさそうだ。
「うん、なるほど。よし」
 一人納得した俺を少女は不思議そうな顔で見て首を傾げる。お行儀よくおさげにされた亜麻色の髪も、首の動きに合わせて揺れた。俺は少女と目線を合わせるように膝をつき、彼女の手を取る。
「君は確かに可愛いけど、流石に中学生以下っていうのはちょっとかなりだいぶアレだから、あと十年経ったらもう一度お兄さんの所に――」
「何言ってるんですか!」
 ごいーん、と頭部への衝撃と共に間抜け音が響く。振り向けばスチール製のお盆を構え、白いしっぽをぱんぱんに膨らませたディアが立っていた。今の間抜けな音はそのお盆で俺を殴った音らしい。音の大きさに対して痛みは殆どなかったが。
「お前……いつも暴力は良くないって言ってるくせに」
「女の子に変な事を言う人は成敗ですっ」
 言いながらディアは俺と少女の間に割って入った。依頼人の少女と言えば、今の音に吃驚したのか目を真ん丸にしている。
「吃驚させてごめんなさい。今こっちの人が言った事は気にしないで下さいね?」
「わ、分かりました……」
 今の茶番で少し緊張が解れたのか、同性の登場にほっとしたのか、少女は笑みを浮かべた。
 育ちの良さそうな座り方に、身なりの良さ。横に置かれた学生鞄は上質な本物の革製。ディアの見た目にもさして驚いていない辺り、ここよりももっと裕福な家々が集う区画の出身なのかもしれない。世械樹のコロニー側の出身というのも有り得る。少なくとも俺たちよりももっと良い暮らしをしているご身分なのは間違いない。
「……冗談はさておいて、とりあえず名前を聞かせてくれるかな。小さなクライアント?」
「ポーラ。ポーラ・エペ、です」
「ポーラちゃん……ですか。可愛いお名前ですね」
 ディアが微笑みかけると、ポーラもつられてふにゃりと笑った。まるで託児所の先生と児童のやり取りのように微笑ましい。
 俺たちも簡単に自己紹介を済ますと、小さな依頼人はもじもじと太ももの上で手を交差させながら「えっと、あの」と言い淀んでいる。こんな所までたった一人で来たという事は、親や友人には言い辛い理由があるのだろう。
 急かすでもなく俺とディアがコーヒーを飲むだけの時間が一分過ぎた頃、ポーラは踏ん切りがついたように顔を上げた。
「あのっ、大人のお仕事にはシュヒギムがあって、他の人には内緒にしてくれるんですよね?」
 守秘義務、と言いたかったのだろう。声が若干上ずって発音がおかしかったが。
「そうだな。誰がどんな依頼をしたとか、荷物は何だったとか、そういうのは基本的に他言無用……喋っちゃいけないっていう大人のルールがある」
「な、ならっ」
 俺の言葉が言い終わると同時に、ポーラは鞄に手を突っ込んでそこから一枚の封筒を取り出した。白い封筒にはピンク色の可愛らしい花のシールが張ってある。
 何というか、一目で分かるラブレターっぷりだ。
「この手紙を、シモンくんに届けてほしいんです」
 電子上のやり取りが当たり前のこのご時世に、わざわざ貴重で高価な紙の手紙とは珍しい。そもそも文字は「指で打つ」のが普通だから、メモ書き程度ならまだしも長文を「手で書ける」奴は少ない。ポーラはかなり良いお嬢様学校に通っているようだ。
「シモンくんってのは……」
「シモンくんは近所に住んでいた男の子なんです。でも少し前にコロニーの方に引っ越しちゃって……アドレスもらったけど、私が送るメールは全部パパやママが見られるようになってるから……」
「ああうん、なるほどね」
 ポーラは塞き止めていたものが流れるように一気に捲し立てる。俺としてはそのシモンくんという彼の現所在地を聞きたかっただけなんだが。
 お客の詳細な素性や事情については深く突っ込まないのが俺のルールなんだが、向こうから言ってくれる分には違反でもないだろう。
「つまりパパとママには内緒で、その手紙をシモンくんって人に届けてくればいいんですね?」
 このまま思い出話まで語り出しかけない勢いのポーラをやんわりと宥めつつ、ディアが依頼内容をさっくりとまとめてくれた。気持ちが入って熱くなったらしいポーラは一度深呼吸をしてから「はい」と頷く。
「その手紙、パパとママに見られたくないのは分かったけど、輸送機関に任せるのも嫌なのか?」
 正直、彼女が公共サービスを使わずにこんな場末まで足を運んだ理由は薄々感づいていたが、あえて尋ねる。
「郵便屋さんって、ケンエツで中身を全部見ちゃうんですよね」
「そうだな。でも見るのは人じゃなくて機械だよ。よっぽど反社会的な事が書いて無い限り、職員が内容を見る事はない」
「分かっています。分かってるけど……でも、この手紙は、シモンくんだけに読んでほしいから」
 そう言うポーラの頬はほんのり赤い。件の彼とどんな仲なのか、手紙に何を書いたのか。勿論聞く事はしないが、想像するだけでむず痒くなる。項の辺りで炭酸が弾けたようだ。
「私みたいな子供の依頼でも受けてくれますか……?」
 手紙を大事そうに持ちながらポーラは不安そうな上目遣いで尋ねる。そんな小動物めいた仕草が、しばらく会っていない妹に重なった。
「年齢制限とかは特に設けてないけど……」
「お、お金もありますっ。お小遣い、足りるか分からないけど……」
 ポーラはポケットから色とりどりのシールがべたべたと張られたウォレットカードを出した。彼女が指先を認証チップにかざすと、空中ディスプレイが立ち上がり、そこに彼女のお小遣いの残高が表示される。想像よりゼロが多い金額に俺は愕然とした。
「……わお」
「た、足りませんか」
「い、いや、逆。というか、いきなり人前で貯金を公開するもんじゃないぞ」
 相当娘に甘い家庭なのか、金持ちの金銭感覚が俺とかけ離れているだけなのか。あるいはその両方か。ポーラくらいの年齢の子供がそんな大金を貰ったら、色々と悪い遊びを覚えてしまいそうな気もするが。まあ使った金の明細は全て親元へ送信されているのだろう。
「まあ金は問題ないか」
「……お金、取るんですか?」
 隣でディアがじとっとした目で俺を睨む。俺だっていくら有り金あり余る程だとしても、こんないたいけな少女から好んで金を毟りたい訳じゃない。
「俺だって子供から巻き上げるようなダサい真似したくないけど。でもタダってのも逆に失礼だろ」
「そうですけど……」
「だから、まあ、このくらいでいいよ」
 宙に浮かんだままの残高ディスプレイに、金額を提示する。学生が学校帰りにお友達とお茶をしたと言って怪しまれない程度の、人が好過ぎる値段。ポーラが吃驚したように目を丸くする。
「こんなに安くていいの?」
「大丈夫だ。ウチには美少女割引ってのがあるんだよ」
「……そんなの初めて聞きました」
「そりゃ適用事例は今回が初めてだからな。あと、今後も俺を贔屓にしてくれるならもう一割引きしてもいいんだけど」
「え?」
「手紙のやり取り、一回だけじゃ済まないんじゃないの?」
 俺の言葉にポーラの頬がまた色づく。まだ顔も知らぬシモンとやら羨ましくなるくらい良い子だ。
「――分かりました。あの、よろしくお願いします」
 差し出された手紙をそっと受け取る。少しでも力を込めれば、醜いシワがついてしまう繊細な手紙を。
「よし。交渉成立だな」
 子供の小遣いにしてはとんでもなく高い残高から、「取引成立」の文字と共にささやかな値段が引かれた。


「あーあ、あまずっぺーなぁ」
「ポーラちゃん、本当に可愛らしかったですね。わたしもお話を聞いていて、胸がきゅんきゅんしてしまいました」
「全くだな。口から砂糖が出るかと思った」
 端末に表示させたポーラから預かった例の「シモンくん」の写真データを睨みつける。くるくるとした癖毛と、重たそうな黒い眼鏡が印象的な少年だ。何となくガリ勉という感じがある。
 俺たちは愛用の飛空艇で世械樹の根元の街まで飛び、そこから上層のコロニーまで伸びる長い長いエレベーターの搭乗口に来ていた。
 海面スレスレのグランシェルから雲に近い塔の上層部コロニーまでは飛空艇で飛んでいくか、エレベーターを使うしかない。飛空艇を持っているならそれで上まで飛んで行っても良かったんだが、今回は一度の燃料代にすら届かない値段で引き受けてしまった。時間もかかってもこっちの手段の方が安上がりなのだ。
 世械樹の中には無数のバイパスが通っている。搭乗口で待つ俺たちの場所からはその張り巡らされた管や通路が透明なガラス越しに見えていた。数多の光が高速で移動する様はシナプスを連想させ、入り乱れるバイパスもまるで脈や神経のようで、この場所に来る度に世械樹という塔がまるで脈打つ不気味な巨大生物のように思えて良い気分にはならない。
《――お待たせいたしました。Fポート七番のエレベーターがまもなく到着致します》
 ポーン、という音と共にアナウンスが場内に響く。
「Fの七番……わたしたちの乗るエレベーターですね。急がないと」
 リスの絵が描かれた分厚い壁が滑らかに左右に開く。エレベーター自体は広いホールだが、中は幾つもの個室が区切られている。搭乗チケットに割り振られた部屋は向かい合った椅子とテーブル、壁に広告パネルがあるだけの小さな個室だった。
《本日も樹幹エレベーター『ラタトスク』をご利用頂き誠にありがとうございます。わずかな時間では御座いますが、到着まで優雅な時間をお過ごし下さい》
「ロビンさん。窓のチャンネルをつけてもいいでしょうか?」
「ああ。このままじゃ息苦しいもんな」
 ディアが椅子に取り付けられたパネルを叩くと、横の壁に窓を模したウィンドウが現れた。
 レースのカーテンも木製の枠も全て映像に過ぎないが、パッと見では気にならないほど精巧に出来ている。とはいえ、今はまだ窓には真っ黒な画面と「Loading...」の文字しか浮かんでいないが。
《エレベーターがまもなく上昇致します。コロニーへの到着予定時刻は午後五時十五分です》
「あっ、映りましたね」
 ロード中の黒画面が切り替わり、窓の中に「外」の映像が投影された。エレベーター自体は世械樹の幹の中を通って行く訳だが、外壁部分に取り付けられたカメラが外の映像をリアルタイムでこちらへ送っているらしい。映像が映ると同時に部屋の送風機が起動しそよ風を吹かせ、カーテンを揺らす。カーテンは映像だから物理エンジンでそれっぽく動いているだけだ。
 今日はあいにくの雨。空は灰色で、黒々とした海が世械樹の足元に広がるグランシェルの基部へ波を荒々しく叩きつけるのが遠くに見える。快適な風景とは言えないが、狭い部屋で広告パネルを相手にしているよりはよっぽど良い。
 そんな外の風景を、ディアはさっき雨を見上げていた時と同じ目で見ていた。
「なんか面白いもんでも見えたか?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
 カーテンと合わせて揺れる彼女の長い髪。カーテンも窓も偽物で、窓に映る景色が荒れた天候だとしても、まあまあ絵になっていた。
「あの海の先って本当に何もないのかな、と思って……」
「は?」
 唐突な彼女の言葉。思わず間抜けな声が出た。
「……北極の観測基地とか、空の人工衛星とかそういう話? どっちもAI制御の無人って聞いてるけどな」
「ええっと、そういうのではなく……」
 ディアの言葉を遮るように、ごうん、という音が響く。同時に座席が少し揺れた。エレベーターが上昇を始めたらしい。
「……すみません。自分でも上手く言えなくて……忘れて下さい。今はお仕事中ですしね」
 何か頼みましょう、と彼女は飲食メニューを開く。
「コーヒーにしますか?」
「いや、お茶にするわ。木蓮さんのコーヒー飲んでると、そこら辺の安いインスタントが飲めなくなる」
「ふふ、わたしもです」
 エレベーターの上昇に合わせて景色の高度も上がっていく。
 高く、高く、最果てのグランシェルが見えそうな程高く。それでも水平線の向こうはただ海が広がるだけ。
「……そういえば」
 俺の呟きに、目の前の白い猫耳がこっちを向いた。
「地球の裏側の海には反機関派が作った海底都市があるとか、雲の切れ間を飛ぶ鳥類系亜人が目撃されたとか、そういう話があったな」
「……それって本当なんですか?」
「まさか。胡散臭いオカルト収集サイトで読んだんだ。他にも夜な夜な廃棄された通路の中を血を求めて彷徨う怪人が――」
「ストップです! こ、怖い話は聞きたくないです!」
 ディアは両手で耳を塞ぎ、机に突っ伏していやいやと首を振った。雷を怖がる子供ような仕草に思わず、ぷっ、と笑みが出る。
「……どっかのグランシェルには子供をマンホールに引きずりこむ顔の腐ったババアがいるとか」
 ディアにとっては残念な事だろうが、怖がる女の子を見ると余計に怖がらせたくなるのが男だ。伏せた耳に口を寄せて、思い出せるだけの怖い話を囁いた。暇つぶしに見ていたサイトがこんな所で役に立つとは。
「毒の海に落ちた人間がフジツボまみれのゾンビなってグランシェルに這い上がって来たとか――」
「ぴゃー! 聞こえませんっ!」
「ある飛空艇が深夜のフライトから戻るとガラスに真っ赤な手の跡がついていたとか」
「きっ、聞こえない……聞こえない……」
「ディア、今日の服可愛いね」
「えッ」
「おっと」
 勢いよく上げられた彼女の顔と俺の鼻が危うくぶつかる所だった。
「どうした、聞こえないんじゃなかったのか」
「……今、何て言いましたか?」
「さあ、なんだろう。お兄さん、最近物忘れが激しくってなぁ」
「……嘘つきです」
 ディアは真っ赤な顔で再びフードメニューを開く。するとオレンジジュースと「新作! ヘルシーな健康ドリンク登場!」の中からキューカンバードリンクなるものを注文した。
 ……後者がどっちの飲み物なのかは火を見るより明らかだな。


 世械樹のコロニーは雑多なグランシェルの街と比べると、綺麗で整列されている。綺麗過ぎて落ち着かない。
 白いブロックを重ねたような、同じような建物が等間隔で並んでいる。研究所や企業区画ならともかく、住宅街だと画一化が一層顕著になり、ふっと気が緩むと自分がどこを歩いているのか分からなくなる。清掃係のヒューマノイドが常に巡回していて道にはゴミも落ちていない。
 コロニーにも空はある。だがグランシェルの空がガラス越しの届かない空なら、こっちの空は完全な偽物。
 昇る朝日も、青天の昼下がりも、沈む夕日も、煌めく夜空も。その全てが天井へ投影された映像だ。曇りも雨もこっちの街には存在しない。
 俺としてはこんな街、一週間だって住める気がしないが……それでも生まれた時からここにいる人間というのは、やはり耐性というか免疫がついているらしい。
「十三番区画のJの通り……ここがH通りだから、シモンくんのおうちはもうすぐですね」
「あ、ごめん。聞いてなかったわ。今は何通りだって?」
「……言いませんからね」
 ディアには悪いが、しょうもない会話でもしていないと、頭が痛くなってきそうな気分だった。
 白く無垢な通路に、クリーンな広告。巡回する清掃ヒューマノイドの無味乾燥な視線。道行くスーツや白衣を来た大人たち。ここは昔いた場所を連想させるものが多くて、したくもないのに苛々してきてしまう。……左目が痒い。
「ロビンさん? ……どうかしましたか?」
 先を歩いていた筈のディアがいつの間にか目の前に立って、心配そうな表情で俺の顔を覗きこんでいた。もしかしたら、知らず知らずの内に顔が強張っていたのかもしれない。
「ん。平気」
 眉間を揉みながら笑顔を返す。ディアの心配そうな顔は直らなかったが、それ以上は何も聞かずに通りにかけられた看板を指し示した。
「J通りに着きましたよ。ここを右曲がってすぐが、シモンくんのおうちだそうです」
「あ、ちょっと待った。右じゃなくて左に行くぞ」
「え?」
 ぽかんとした顔のディアに「歩きながら話す」とだけ言い、さっさと左へ折れる。背後からぱたぱたと慌ててついてくる彼女の足音が俺を追い越す前に、左目の眼帯を少しずらして目元を掻いた。
「ロビンさん。どうしてそっちに行くんですか?」
「あー……ポーラは親に内緒で届けてほしいって言ってただろ。それでシモンの家にそのまま届けても、あっちの親にバレて連絡が行く可能性がある」
「あ、なるほど……でも、それなら手紙はどうやって届けるんです?」
「お前ならどうする?」
「え、えーっと……」
 ディアが唸りながら考える。彼女の思考のリズムに合わせてしっぽが左右に揺れた。
「……家の前で、シモンくんを待ち伏せする?」
「それじゃあ監視カメラから『家の前に待ち伏せをしているらしき不審者を発見』ってあっちの家に通知が行くぞ」
「うっ……」
「あと既にシモンが家に帰っている場合、待ちぼうけを食らう事になる」
「ううっ……では、どうすれば……?」
「誘き出すんだよ。……おっ、いた。アイツだな」
 シモン家から反対の通路を歩いていた俺たちの先に、小さな公園が現れた。四角く切り取られたそこはささやかながらも樹や土などの自然物があり、ブランコや砂場、シーソーなどがある。
 既に夕暮れを迎えた時刻。人影はまばらだったが、全くいないという訳でもない。まだ遊びたいとぐずる子供や、息抜きをするスーツの大人に交じって一人ベンチに腰かけている癖毛の少年がいた。
「あそこのベンチに座ってるのがポーラの愛しのカレだ」
「……あ、写真とおんなじ子ですね。でも、どうしてここにいるって分かったんですか?」
「まあそれは後々答え合わせするとして、だ。ディア。悪いけどお前だけで手紙を渡しに行ってくれ」
「わたしだけで、ですか?」
「俺だったら、眼帯付けた兄ちゃんに話しかけられたら通報する。たとえそれがどんなにイイオトコだとしてもな」
「……分かりました。行ってきます」
 すんなり納得された事に心の中で遺憾の意を示しつつディアを見送った。公園の入り口に設置された自販機でお茶を買って、離れた位置で成り行きを見守った。
 シモン(暫定)は近付いてくるディアの姿を見つけると、パッと顔を上げてベンチから立ち上がった。ディアは彼と視線を合わせるように膝を折り、にこやかに話しかけている。少年も最初は緊張した面持ちだったが、ディアと少し話しただけであっという間に警戒を解いたらしい。シモン(確定)は笑顔であの白い封筒を受け取り、立ち去る彼女に手を振った。
 ディアがこっちへ向かってくるのが見えた所で、腰を持ち上げて公園から離れて歩く。今しがた話したお姉さんが怪しいお兄さんと合流する所を見られて無用な不信感を抱かせるのは得策じゃない。俺だって一応自分のビジュアルの怪しさは理解している。だからと言ってスーツなんて着るのは御免だが。
「渡して来ましたよ! 本当にシモンくんでした!」
 追いついたディアが背後から呼びかける。
「ああ、サンキューな。……しかしあれだな、お前は本当に人の警戒心を解く才能があるな」
「そんな事ないですよ。シモンくんがお話を聞いてくれたのはポーラちゃんの名前を出したからです」
 勿論それもあるだろう。でもディアは自分では否定しているが、なんというか、全身から人畜無害オーラが出ていると俺は思う。猫なのに、まるで腹を見せて寝転がる子犬のような奴だからだろうか。
「それで、どうして連絡も取ってないのにシモンくんがあの公園にいるって分かったんですか?」
「そりゃ、あの公園のベンチで座って待ってろって指示したのは俺だからな」
 コートのポケットから携帯端末を取り出し、それを首を傾げるディアの前に差し出す。立ち上がった画面を見て、ディアが「あっ」と声を漏らした。
「これってシモンくんの……アカウントですか?」
 画面に映っているのは学生の間で流行っているソーシャル・コミュニティ・サービスのユーザー画面。そこの写真投稿欄には先程のくるくるした金髪の少年――シモンが映っていた。
「シモン・メーンフィールド。ポーラから聞いたフルネームで検索したら一発で出てきた。最近、コロニーに引っ越した事も日記に書いてある」
「あ、本当ですね……」
「シモンの家から一番近い公園を検索して、ダイレクト・メッセージで手紙を届けたいからそこで待ってろって送っといたんだよ」
 お前の写真付きで、という言葉は飲み込んでおいた。男を誘い出すなら今も昔も可愛いお姉さんが一番だ。
「はあ……いつの間に……」
「お前がれんげ亭を出る準備をしている間に」
 知り合いや親に見られる可能性も考えてもっと遠くの公園を指定してもよかったが、もしシモンの親も過保護だった場合、彼の持つ携帯端末のGPSに通学路外の道や指定の区画に行くと親の端末に通知が行くシステムが組み込まれているという可能性もあった。それに目撃されたのがディアなら、親切な亜人のお姉さんが一人でいる所に声をかけてくれたで誤魔化せるだろう。
「ポーラちゃんはこのアカウントを知らなかったんでしょうか」
「最初の投稿日はごく最近だし、多分引っ越しをしてからこっちで友達をつくる為に始めたんだろ。ま、ポーラがまたうちに来たらそん時教えてあげればいいかもな」
 このサービスは機関や学校法人から特に非推奨指定を受けているものでもない。このサービス上でなら、二人も親を気にせず交流を深めていく事が出来るだろう。親に見られながらでは芽生える恋も芽生えない。
「いや待てよ。それだと折角の美少女顧客を失くす事になるのか……?」
「それはないと思いますよ」
 俺の懸念を、ディアは即座に否定した。
「だって手紙のやり取りなんて素敵じゃないですか。ネット上にも残らない、本当に二人だけの秘密の言葉なんですよ」
 さらっと恥ずかしいセリフを吐いてディアは「ね?」と笑った。
 美しい夕暮れを演出した天井の空が、彼女を橙色に染める。
 朱く染まる白い街に、朱く染まった白い彼女。一瞬、この景色に対する不快感も忘れて、彼女の黄金色に輝く髪に目を奪われた。
「……ま、てんで金にはなんねーけど。たまにはこういう依頼もアリだな。何よりポーラは将来が楽しみな逸材な訳だし」
「もう! ポーラちゃんにはシモンくんがいるんですよ!」
 ディアのしっぽに太ももを叩かれながら、俺たちはれんげ亭に戻るべく搭乗ターミナルへ向かって並んで歩いた。