前編

「んー。こんな言い方をしちゃ傷付くと思うけど、
 君に過度な期待をしたショチョーが悪かったよ。
 いくら優秀とはいえ実践経験の殆どない新人に任せていい
 仕事じゃなかった。ショチョーの軽率な判断が招いたミスだ」

言葉が矢となって心臓を貫いた。
一瞬の息苦しさの後に襲い掛かった怒り。
しかし自分が実践経験のないひよっこというのは事実であり、
不当な言いがかりで誇りを傷付けられたわけではない。
ここで怒りを露にしては自分がより惨めになるだけだ。

ただし貴方には言われたくない、と心の中で
アレンザは心の中で目の前の男を睨みつけた。

アレンザは今年で十八歳になった娘だ。
短く切られた髪は癖毛なので毛先がくるくるとしている。
夜の森のような濃い緑の瞳はきりりとしていて、
ややきつい印象を与えているが充分綺麗と言える容姿をしている。

そして目の前に立つ男は身なりのきちんとしているアレンザとは
対照的に無頓着な格好をし、茶色の髪は面倒くさそうに
ばっさりと切って散らかっている。四二歳であるという彼は
いかにも「おっさん」という言葉が似合う中年だ。
アレンザの上司であるデュエン。
彼女にとってはあまり係わり合いになりたくない人物である。

ここは大陸一の王国の膝元である城下町。
ギリギリ城下町と言える位置する場所に小ぢんまりと建つ、
“妖精”事務所――コバット妖精事務所だ。
人に荒らされていない森に住まう妖精――
自然の意思であるという妖精達にまつわるあれやこれやを
取り扱うのがこの事務所である。
言うなれば妖精専門の何でも屋だった。

その事務所の三階の所員達の部屋で
アレンザとデュエンは向き合っていた。

「まあだからといって君が割りと大事なお仕事に
 失敗しちゃったのはどーしょーもない事実だしねぇ――
 かといって君を処罰するような暇、ウチにゃあないし……」

……貴方がちゃんと働いてくれればその暇ができるのです。
飛び出しそうになった言葉をアレンザは棘を呑み込む思いで
飲み下す。
アレンザは彼を苦手としているが別に嫌っているわけではない。
ただ、友人も呆れるほど真面目な彼女はデュエンのいい加減さが
どうしても気に食わないのだ。
悪い人ではないのだがセクハラ紛いの発言をしたり
よく訳の分からない理由などで休んだりするその適当な態度は
見ているだけでアレンザは苛々してしまう。
苛々してしまうからあまり係わり合いにはなりたくないのだが、
現実はそうとも言っていられない。
何しろ、ここの事務所は自分を含め四人の所員しかいないのだ。
事務所を立ち上げた所長、仕事を持ってくる広報担当、
実際の仕事をする所員が二人。
そしてその所員の二人というのがアレンザとデュエンなのだ。

「と、ゆーわけでして」

デュエンがパンと手を鳴らして、アレンザは顔を上げた。
大事な顧客からの仕事を失敗してしまった責任をアレンザは
しっかりと取るつもりでいたが――

「アレンザちゃんの失敗の分を取り戻すという意味で、
 君にはもう一度同じ仕事をしてもらいますー。今度は俺付きで」

緩んだデュエンの目が更に緩む。
その内容にたっぷり五秒固まった。



研究所に属さず独自に妖精の研究をしている貴族の老人。
彼はこの妖精事務所にとっては大事なご贔屓さんであり、
弱小事務所にとって失ってはいけない大切な人である。
そんな老人――名をロンドルという彼が依頼してきた仕事は
依頼人と森へ行きある妖精の捕獲する事だった。
特殊な術式を用いて妖精を呼び寄せ、来た所を捕獲するという
妖精事務所にとっては基本的な仕事。
しかしアレンザは初仕事という事で緊張してしまい、
術式を誤った挙句術式が発動する際に現れる光に
反応した猪に襲われボロボロになって戻ってきた、という
最悪の結果に終わった。
就職二週間目で解雇――という事態も覚悟していたが、
所長はアレンザをクビにはしなかった。
なんでもこんな小さい事務所に就職希望をした物好きを
手放すのは惜しい、という事らしい。

「だーいたいさー、ショチョーもいい加減だよねぇ。
 初めての就職希望者だからってロクに履歴書見ないで
 アレンザちゃんを雇ったんだぜ?
 まあアレンザちゃんが優秀で真面目な子だったから
 よかったものをさー」

所長がいい加減なのは認めるが貴方が言うな。
とっさに心の中に浮かんだ言葉を押しとどめる。
耐えろ私。人は挫折を繰り返して強くなる、と自分を窘めた。
それ以前の問題が目の前にあるのだ。

「あの、デュエン先輩」
「なんだい、アレンザちゃん」
「妖精研究所に行かなくてもよろしいのですか?」

アレンザはデュエンに連れられ事務所を出て、
何故か城下町の大通りにある酒場に来ていた。

妖精研究所は研究のために何処にどの妖精がいるか、
どこに現れやすいかなどを常に把握している。
大きな妖精事務所なら独自の観測班を編成しているが、
四人しかいないコバット事務所にそんな事は勿論できない。
だから中小事務所は研究所に赴き、研究所で妖精の居場所を
聞くのだ。先日、アレンザは初仕事の時もそうした。
あれは審査だ手続きだとやたら面倒なのだが、
それ以外に正確な妖精の場所を知ることは出来ないのに――
なぜ自分はこの男に連れられて酒場にいるのか。

まだ昼過ぎなので空いているが、壁やテーブルに染み付いた
酒臭さは常に漂っている。
この国では飲酒は十六から認められているが、
アレンザは酔って騒いでいる人間に嫌悪感を抱く為に
今まで酒は祝いや祭事の時に一口飲んだことがある程度で、
ましてや酒場になど近寄った事さえなかった。

初めて踏み入れた未知の領域に戸惑い、
言われるままに入ってしまったがまだ太陽の高い時間、
それも勤務時間中に何故自分たちがこんな所にいるのか。
当然の問いかけにデュエンは顎の無精髭を擦りつつ、
質問に答えず、質問で返した。
「ん? アレンザちゃん、十六はとっくに過ぎているよね?」
「先月十八になりました」
「じゃ、問題ないだろ。兵士様には怒られない。
 セレナちゃーん、俺に何か一杯くれよ」
「ちょっ、昼間から呑むつもりですか!?」

店の奥でコップを拭いていた看板娘を親しげに呼ぶデュエンに
信じられないと顔を赤くして声を荒げようとしたアレンザを
彼はちょいと片手を上げて制す。

「どーどー。落ち着きなって。一杯だけだ。
 それに酒場で酒を飲まない奴は怪しいぜ。兵士が密偵を
 送り込んできたのかと思われる」

ぐ、と言葉につまり、アレンザは渋々姿勢を治した。
この国の治安維持の為の組織『国教の加護』は国教への信心深い
者が多く、悪魔の毒と思われている酒を快く思っていない。
それでなくとも兵士にはその立場を勘違いして威張る奴が多い。
酒場などの酒の関わる職の人々にとって兵士は天敵である。
変に誤解をされて面倒を起こすなとデュエンは言っているのだ。

そうこうしている内にセレナと呼ばれた少女が
二人のテーブルへやってきた。
恐らく二十歳過ぎだと思われる彼女は酒場の娘だけあって
可愛らしくも油断をしていない笑顔を浮かべている。
身に付けているエプロンからは濃い酒の臭いがしたが、
セレナ自身は普通に清潔であった。

「あらあら。貴方がコバット事務所の新米さん?」

隙がないのに不思議と人懐こい、心を開きやすい笑顔。
私にはあんな顔はできないなとアレンザは小さく思った。

「はじめまして。アレンザといいます」
「ふうん。貴方、そんな真面目な顔をしてないで
 もっと緩く微笑んでみるといいわ。可愛いのにもったいない」

唐突な指摘に驚いて固まっているとデュエンが大袈裟に同意した。

「そうなんだよ! 聞いてよセレナちゃん。この子ったら
 ちっとも笑わないんだ! 俺は折角できた十代の美少女後輩と
 お近づきになりたくてひょうきんな事をしてみても、
 まるでボールを落とした道化を見るような目で俺を見て!!」
「デュエンさんはボールじゃない余計なものを掴んでいるわよ」

どさくさ紛れにセレナの腕にしがみつこうとした
デュエンの腕をパシンと叩きながら、セレナは微笑む。

「まあ、そうやって身持ち固そうだと逆にそれを崩したいって
 いう男も出てくるでしょうねぇ。
 とにかく、これからもよろしくね。コバット事務所の人なら、
 ウチの常連さん決定だものね」
「え? それはどういう……」
「じゃあアレンザには甘くて弱いお酒を。デュエンさんは水ね」
「水!? 最低でも味のするものをくれ!」

抗議をたてるデュエンをさらりと無視して
セレナは厨房へ引っ込んでいった。

「くそ……セレナちゃんは嫌な所で嘘つかないからなぁ。
 こりゃほんとに俺は水か?」
「そ、それより、デュエン先輩。
 コバット事務所ならここの常連決定ってどういう事ですか?」

テーブルに突っ伏して厨房を恨めしげに見つめる
デュエンはアレンザの問いかけに上体を起こして、

「その質問と、さっきのなんでここにいるかの質問は
 もうすぐ分か……っと、来たな」
「?」

デュエンがそう言うのと酒場の扉が開いたのは同時。
入ってきたのは三十ほどの男であり、ほつれたような金髪と
緑色のマントが印象的な人物だ。
デュエンは彼を一瞥してふいと視線をそらしたが、
ただ見ただけと言うわけではなく誰だかを確認するようであった。

「あの、先輩?」
「いーから、黙って彼を見てなよ。後輩」

そう言われアレンザは素直に黙った。
何故だか、デュエンはいつもと同じようなへらへらした顔を
しているのにまとう雰囲気がいつもとは全く違った。
なんというか、真剣味を帯びていた。

すぐにセレナが男のテーブルに向い、注文を取る。
すると男はセレナに一通の小さな手紙を渡した。
上品な薄桃色の栞が添えられているのが見えたので
恐らく彼女に好意を寄せて恋文を書いたのだろう。
セレナは「まあ」といかにも嬉しそうな声で礼を言って受け取る。
一旦厨房に引っ込んだセレナはカップを二つ置いた台を持って
アレンザ達のテーブルへやってくる。

「げ、ほんとに水かよ!」

文句を言いつつデュエンは水の入ったカップに手を伸ばし、
そのカップの下に先ほど、金髪の男がセレナに手渡した
手紙が置いてあった。
思わず声を上げそうになったアレンザをデュエンが視線だけで
それを止めた。
そして彼は水とアレンザの酒を一気に飲み干し、手紙を持って
立ち上がる。
セレナにへらりとした笑顔で「また来るね~」と
別れを告げ、店から出ようとする。アレンザはそれを追った。

立ち上がる寸前にデュエンが浮かべた不敵な笑みが
妙に印象に残った。
更に一度だけ店の中を振り返った時、セレナと視線が合い、
彼女は親指を立てて唇の動きだけで「ま、がんばれ」と
言った。……一体何なのだろう。



「……それで、もう聞いてもよろしいですか?」

この国一番の賑やかさを見せる大通りに出た途端
二人にけたたましい喧騒が襲い掛かる。
客寄せの声が他の客寄せの声にかき消されるほどなので
アレンザは声を少し大きくしなければならない。
同じく少し音量の上がった声でデュエンが返す。

「ああ。もっと人通りのないとこに出たらな」

そういうデュエンはずんずんと歩いていってしまう。
アレンザは人ごみの中でその姿を見失わないように必死で
彼の背中を追いかけた。
大きな馬車が三台並んで通れそうな大通りを抜けて、
今度は馬車が一台も通れないような細い道に出る。
人気がないという程ではないが大通りに比べると随分寂しく見える。

アカシアの街路樹の下でデュエンがようやく止まった。
普段人混みや喧騒を避けているアレンザにとっては
大通りを突っ切るというのはかなり気力が消耗される運動だった。
アレンザが深呼吸をしている間にデュエンは懐からあの手紙を
取り出して、躊躇なく開いた。

「先輩っ、人の恋文を見るなんて――」
「やだなあ、いくら俺もそんな事はしないよ。
 そうじゃなくて、ほら、これ……見てみな」

疑りつつも言われるままに手紙の内容を見る。
するとそこには愛の告白には見えない事が書かれていた。
『西門の森 旅の女神像右の湖
 新月の夜 そこに集まる習性がある
 報酬は三日後 いつもの酒場で』
すぐにそれが何を表しているのか分かった。
これは妖精の出現場所を示していのだ。

「アイツはほんと、説明が下手くそだなぁ……。
 こんなんでよく論文とかを発表できるわな」

手紙をデュエンの顔を交互に見る。
アレンザは深緑の瞳を何度も大きく瞬かせた。
先輩は、先ほど酒場で見た時と同じ不敵な笑顔を見せた。

「と、ゆーわけでアイツは、まあ俺の知り合いで、
 こーやって妖精の居場所を面倒な手続きナシでくれるんだわ」

デュエンはもう一度手紙の内容をじっくりと頭に叩き込むように
読み直してから、マッチを取り出して手紙を燃やした。
それを地面に落とし、彼は靴の裏で揉み消す。
固まっているアレンザが、ようやく言葉を発した。

「……信じられない」
「でしょ? ウチらんとこみたいな弱小事務所は
 こういったコネはとても大事で……」
「――これは犯罪です」
「へ?」

手をぎゅっと握り、アレンザはデュエンを睨みつけ
毅然と言い放った。
きつい印象の目が、釣りあがり、燃えていた。

「妖精の居場所を正規の手続きなしで知るのは、犯罪です」

妖精は常に闇市場にて高値で取り引きされている。
故に妖精の狩人が後を絶たない。
妖精は集めて特別な術式で加工を施せば液状化し、
どんな燃料にも勝るエネルギーとなる。
しかし大自然の意思の具現である妖精にそのような事をするのは
自らが踏みしめ、立っているこの世界への侮辱である、というのは
何処の国でも、宗教でも、同じ認識だ。
妖精に関する犯罪は、どれも等しく重罪である。

真っ直ぐな真面目さにたじろぐように言葉を詰まらせた
デュエンは、無精髭を擦りながら無理矢理気味に
へらへらと笑ってみせる。

「そ、そんな大袈裟な。アレンザちゃんは真面目だねえ」
「大袈裟でも、私が真面目であるという訳でもなく、
 貴方が、貴方達がやっている事は犯罪なのです。
 いつもこうやって妖精の情報を掴んでいたのですか?」
「……バレるとまずいのは確かにそうなんだけど」

肩を落とし自分より二十以上下の後輩を見て、
聞き分けのない子供を諭すように「あのね」と言葉を紡ぐ。

「大事に受け止めないでくれよ、アレンザちゃん。
 俺達は何もこれでいけない事をする訳じゃない。研究熱心な
 ロンドルの爺さんの為にやっているんだ。
 後先短い老いぼれだ。少しでも早く妖精を届けてやりたいし、
 ウチの数少ないご贔屓さんをこれ以上怒らせる訳にゃあ
 いかんのよ?」
「例え犯罪目的でなくても、その行為自体が犯罪なのです。
 私が言える義理ではありませんが、法を冒して妖精を届けて、
 それで何も知らない依頼人に迷惑がかかったらどうするのですか。
 それこそ取り返しのつかない事になります」
「……アレンザちゃんはほんとに真面目なんだねぇ。
 論点ずれるけどさ、規則守ればいいってもんじゃないでしょ。
 皆が皆規則ばかり守って生きていたら、個性は何処に行くんだ?」

ある意味一般論であるデュエンの言葉に、
しかしアレンザは一瞬の迷いもなく即答した。

「規則は個性を殺すものではありません。
 個性を謳歌するためにも規則を守り、安全な社会を
 作り出すのが大切なのです」

デュエンの緩み気味の目が丸く見開かれた。
唖然とした表情でまじまじと見つめられる格好になり、
アレンザはそこでハッとなった。

「……新人風情が、出過ぎた真似を、しました」

自分の主張した事が間違っているとは思わないが、
それでもやはり今の自分が先輩に対して偉そうに常識を訴える
立場では決してない。
頭を下げるアレンザに、慌てたような声が降りかかる。

「いいっ、頭まで下げなくていい!
 ……驚いた。君、どうして兵士を志さないんだ。
 最近は女の子も入りやすくなったし、優秀な兵士になれるぜ?」

デュエンの問いかけに、アレンザは珍しく視線を逸らして、

「剣や槍が、苦手なのです」

短く答えた。
あえて感情を排した言い方に引っ掛かりを覚えたが、
デュエンはそこを流して無精髭を擦った。
ものを考える時、彼は無精髭を撫でる癖があるのかもしれない。

「まあ、とにかく……コレについては、仕事が終わったら
 聞いてあげるから、今は黙ってついてきてくれないかねぇ。
 マジでロンドルの爺さんを手放すわけにはいかないんだわ、ウチ」

細い道に風が吹きぬけて、デュエンの足元の燃えかすを
さらって空へ昇っていく。
燃えかすのさらわれた方向を視線で追いながら
先輩は困ったように笑った。

「……分かりました」

そういうアレンザはあからさまに渋々といった感じで
深緑の目には疑りと警戒の光が宿っている。
それを確認して、デュエンの笑みは深くなる。

「そいじゃ、今はここで解散って事で。
 日没後に西門から森へ出る。準備万端で来る事」

裾を翻し、彼はアレンザの横を過ぎ去る。
ふり返って、その背中がすぐに角に消えるのを見て驚いた。
彼は自分のした事を犯罪だと指摘する自分を脅すでもなく、
釘を刺すでもなく、たしなめるだけで歩いていってしまった。
見張る事もしないまま、離れて行った。

……信用、されているのか?

アレンザが兵士に詰所に行ってデュエンの事を言わないとも
限らないのに。
アレンザは生来不義が許せない性格であることは、
もうとっくに知っているだろうに。

また風が吹いて、やや離れた大通りの午後の喧騒を運ぶ。
誰もいない静かな路地で、アレンザの瞳が大きく瞬いた。

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