後日談

「最近、デュエン先輩に避けられている気がするんです……」

アレンザは不安そうに漏らした。

昼下がりのコバット妖精事務所。
先日の事件で湖に落ちてしまい風邪を引いていた
大方の症状はすぐに消えて順調に回復していると
思いきや最後の最後でしつこくなり、
四日が経過した今も微熱が引かずにいる。
もう大丈夫と主張しているが事務員――
所長とデュエンが未だ彼女のをベッドに押し込めていた。
仕事は当然させてもらえず
暇を持て余していた時にセレナが見舞いに訪れたのだ。

セレナはこの事務所にとっては重要なキーパーソンであり、
所長とも親しくしており頻繁に出入りしているらしい。
初めは恐縮していたアレンザもセレナの看板娘としての
会話術にすっかり懐柔され、出会ってまで数日しか
経っていないが声の硬さは取れていた。

「避けられてるって、どうしてそう思うの?」

不安を零したアレンザに優しく問いかけながら
セレナは手に持ったナイフでアップルパイを切り分ける。
このパイはセレナの手作りで店でも出しており
なかなか好評らしい。

「明らかに避けられているっていう訳ではなくて、
 なんと言いますか、妙に気遣われているというか……
 前と態度が少し違うというか……」

自信無さげに語っていたアレンザが急に顔を赤くして
パッと顔を上げる。

「いえ! あの、でもっ、風邪を引いてるから
 気遣って下さっているだけかもしれませんしっ。
 病気の時は心も弱くなると言いますから
 ただの自意識過剰……かも、しれませんし……」
「うん。分かったから落ち着いて。病人なんだから」

慌てるアレンザとは打って変わって冷静なセレナの言葉。
先ほどとは別の意味で顔を染めたアレンザは
萎むように身を縮こまらせた。
ふう、と大きく息を吐いて体を緩め、

「――嫌われたんじゃないかと、不安で」

小さく、けれどセレナにだけは聞こえる声で本音を吐露した。

初仕事で大失敗をした挙句、重ねるように
多くの迷惑をかけてしまったのだ。
そして一度、自らの正義感を優先して先輩に盾突いた。
無能で面倒な新人だと思われても言い返せない。

大体の事情は察しているらしいセレナは優しく頷いた後に
切り分けたアップルパイを小皿に乗せて差し出す。
戸惑いながら小皿を受け取ったアレンザと目を合わせて
宥めるように微笑みかけた。

「そう不安がらなくても大丈夫よ。
 デュエンさんはそんな人じゃないから」
「…………」
「無能は容赦なく切り捨てるような、
 冷たい人間に見える?」
「い、いえっ。……優しい、いい人だと思います」

そう言われて思い出すのは二日前の事。
過去を告白した時に「頑張ったね」と
頭を撫でた手の大きさと温もり。
あの時、表面だけを見て奥底で
彼を蔑んでいた事を心から恥じた。
優しい人だと思う。
だからこそ彼に見限られるのが怖い。

セレナは意味ありげに微笑むと身を乗り出し
アレンザの耳元に口を寄せた。
悪戯の相談でもするような楽しそうな声で、

「あの人は一見軽そうだけれどね、
 根は真面目で潔癖なの。
 ……結構可愛いのよ?」
「か、可愛い……?」

自分の父親ほどの年齢の男性を「可愛い」というのは
何か間違っているような気がする。
もしくは多くの男性との接触がある看板娘と、
色恋沙汰には縁のなかった自分とでは感覚が違うのだろうか。

うふふ、と楽しげに笑うセレナがフォークを差し出す。

「ささ、パイでも食べて元気出してね」
「あ、はい。いただきます」

出来上がりから時間が経っているはずだが、
フォークを差し込むとパリッと気持ちいい音が鳴った。
林檎は滑らかに光り、誘われるままにアレンザは
パイを口へ運んだ。
途端、口の中に広がる程良い甘さと香り。
風邪のせいで数日間味覚が狂っていた事も相まって
かなり衝撃的な美味しさだった。

「す、凄く美味しいです!」
「あら、ありがとう。病人にお菓子はどうかなって
 考えたんだけれど殆ど治ってるって聞いたし、
 甘いものを食べて元気づけた方がいいと思って」
「この数日、味のないものしか
 食べていなかったから嬉しいですっ」

今さっきまで胸に渦巻いていた暗雲を払うように
アレンザは黄金色に輝くアップルパイを夢中で食べた。
一切れをあっと言う間に食べた彼女は不意に真面目な顔をして、
セレナに向き直る。

「あの、セレナさん。お願いがあるのですが――」



その日。デュエンが事務所に出勤すると
甘い匂いが鼻についた。
――これは、アップルパイ?
嗅ぎ慣れた匂いに釣られてふらふらと台所へ向かう。
と、いきなり台所からアレンザが飛び出して来た。
驚いて反射的に距離を取る。先日の事件で
人工呼吸という救命措置とはいえ、彼女の初めてのキスを
奪ってしまったデュエンはその後ろめたさに動揺している
自分が収まるまでアレンザを避けていたのだ。

「デュエン先輩!」
「あ、ああ。お、おお、おはよう……
 そんなに慌ててどうかし――」
「ま、まだ来ちゃ駄目ですっ」
「へ?」

そう叫んでアレンザが台所へ翻す。
訳が分らぬまま立ち尽くし「今。アレンザちゃん、
エプロン付けてなかったっけ」と考え始めた時、

「きゃ――ッ!」

派手な音と共に悲鳴が聞こえた。
これには後ろめたさ云々考えている場合じゃないと
台所へ駆け入ったが、そこには
沢山の料理器具が散乱している光景があった。
その中でアレンザが呆然と座り込んでいて、
デュエンの存在に気付くと顔を歪ませて泣きそうな表情になった。

「ごめんなさい! 今片付けます!」
「いやいや、それより大丈夫? 何してたの?」

傍に転がっていたボウルを拾い上げながら怪訝に問う。
アレンザは声もなく口を何度も開閉させ、
顔が青ざめたり赤くなったりを繰り返す。
遂に観念したようにがっくりと肩を落として白状した。

「パイを……焼いてました」
「そりゃあ、なんでまた?」

その時、オーブンが軽快な音を立てて焼き上がりを知らせた。
ハッと顔を上げた少女は慌てて立ち上がり
散らばった料理器具を拾い上げてテーブルに置き、
オーブンから熱々のアップルパイを出した。
そしてそれをおずおずと差し出す。
戸惑うデュエンが彼女とパイを交互に見ていると
いきなりアレンザが頭を下げて声を張り上げた。

「申し訳ございません!
 迷惑ばかりかけて、ちっともお役に立てなくて――
 お詫びになるとは思っていませんが、
 私の焼いたアップルパイを受け取って
 頂けないでしょうか……っ」
「……へ?」
「は、初めて作ったのでセレナさんみたいに
 上手くできませんでしたが、で、でも
 これでも自信作ですのでっ」
「は、はあ……」

勢いで皿を受け取りポカンと口を開ける。
急な展開に追いつかない脳がゆっくりと彼女の言葉を
飲み込み始めた。
目の前にあるパイの存在の意味を悟り、
苦笑を浮かべながら皿を片手に持ち替えて
頭を上げないアレンザの頭に手を置いた。
ビクリと体を跳ねさせたが、撫でると
呆けた表情が上げられる。

「やだなぁ、こんなご機嫌取りしなくても
 俺はアレンザちゃんの事嫌いになったりしてないよ?」

これだけ真面目な少女の事だ。今までの度重なる失敗を
どれほど重く受け止めているのか、どうして考えなかったのだろう。
自分の気まずさばかり気にして避けていた事は
結局彼女を更に不安にさせていたらしい。

アレンザは顔を見る見る内に赤くさせ、

「あ、いや、あの、別にこれで先輩のご機嫌取りとか
 物を失態をふいにしようとか考えていた訳では――!」
「んな事分かってるって。
 でも、ありがとうね。アレンザちゃん」

パイを食べる準備をしようと身を翻した時、
ツンと後ろからか弱い力に引き止められた。
振り返れば申し訳なさや恥ずかしさ等が絶妙にない交ぜになった
表情のアレンザと目が合った。

「あ、あのっ…………」

何かを伝えようと口が動くが、気持ちが言葉に上手く
変換できないらしい。
数秒後。

「私……もっと頑張ります、から――」
「――見捨てたりしないから。もうちょっと肩の力抜きなね」
「っ……、は、はい!」

上手く言えなかった事を先回りして言ってやれば、
アレンザはやはり顔を真っ赤にさせて威勢よく返事をした。
健気で純粋な少女の姿に思わず微笑んでしまう。

――俺はもっと派手なのが好みだったんだけど。

ふっと、胸の内で考えてしまった事を打ち消すように
彼女の頭をグシャグシャと撫で回した。

[晦の祭へ]