幕間4 羽佐間木春 INDULGENCE

羽佐間木春は巷を騒がしている殺人鬼だ。
街が恐怖に戦いている中、そんな空気は全く読まずに
今日も彼は暗い夜道を散策しては
手頃な人間の腹を、手を、足を、首を裂いて
嬉々として帰り血を浴びていた。

ある日。それを見ていた辰三に殺人行動の理由を訊かれた
木春は何の気負いもなく答える。

「僕は体が弱いから、こうして血を浴びなきゃ
 いけないんだ。これは殺人じゃなくて僕の延命だよ。
 姉さんがそう言ってた」

× × ×

幼い頃、僕は体が弱かった。
学校は年に数えるほどしか行かなくて、
一日の全てを家の中で過ごしていた。
でもそれを不幸だと感じた事はなかった。
父さん、母さん、それに姉さん。
僕の家族は優しくて温かい人だったからね。
父さんは家族の為に働いてくれたし、
母さんは僕に清潔な服をくれて美味しいご飯を作ってくれた。
姉さんは外であった出来事を毎晩僕に聞かせてくれた。
その内、僕は学校に行く事もなくなったけど
外に出る事にそれ程興味はなくなっていた。
だって家の中がとても幸せだったから。

けれどある日。
両親が大きな箱に入って帰って来た。
交通事故だとか即死だとか轢き逃げとか言われたけど
あの時はよく理解できなくて、でも怖くて、
姉さんと抱きあって泣いていた。
叔父さんはそれを鬱陶しげな目で見ていたっけ。

泣き疲れた頃、姉さんは僕の手を握ってこう言った。

「大丈夫よ。お姉ちゃんがいるからね。
 私が木春を守ってあげるから」

そこから先の記憶は薄暗い物置のような狭い部屋だ。
そこが新しい家での、僕と姉さんに与えられた居場所だった。

僕はやっぱり体が弱くて部屋から出る事はなかった。
不安で仕方がない僕に姉さんはこう言った。

「大丈夫。木春はなんにも心配しなくていいからね」

言葉の通り、姉さんは僕を守ってくれた。
僕が不安にならないように、いつも温かい言葉をくれた。
僕は姉さんを本当に誇りに思い、
大きくなって体が治ったら絶対に恩返しをしようと誓った。

「木春。体は大丈夫? 今日の調子はどう?」
「うん平気だよ。ありがとう、お姉ちゃん。
 あ。お姉ちゃん怪我してる。大丈夫?」
「私は大丈夫よ。ちょっと転んだだけだから。
 木春は優しい子ね。貴方は何も心配しなくていいのよ」

狭くて薄暗い部屋の中。
毎日寄り添って、変わり映えのしないご飯を食べながら、
僕と姉さんは寄り添っていた。
姉さんが僕を守ってくれる。
僕は何も心配しなくていい。
不安になりそうな時は必ず励ましてくれる。

寝る時は一つの毛布に二人で入って
くっつき合い、体温を分けながら寝た。
いつからだったか。姉さんは寝る前に必ずこう言うようになった。

「木春はお姉ちゃんが守ってあげるから。
 私には木春だけよ」

姉さんには僕だけ。
この狭い部屋から出る事ない僕。
友達もおらず、叔父さん達もここへ来る事はない。

カサカサした感触の姉さんの手を握り締めて、
僕も決まって言葉を返す。

「僕にもお姉ちゃんだけだよ」

僕にとって温かいのは姉さんだけ。
学校へ行っている姉さんはきっと優しい友達や
先生がいるんだろうけれど、それでも僕の事をきちんと
大切にしてくれる。抱き締めてくれる。
姉さんは外に出るけれど、必ずここへ帰って来てくれる。

けれど、叔父さんの家に来てから数年が経ったある日。
姉さんがいつまで経っても帰って来ない時があった。
今まで一度もそんな事はなかった。
朝部屋を出て、小さな窓から差し込む光がオレンジになる頃には
姉さんは必ず帰って来てくれていたのに。
不安に駆られた僕は数年ぶりに――狭い部屋から出た。
立ち上がり方、歩き方を忘れていたからふらふらと
自分で部屋の扉を開け、初めてここに入った時の事を
思い出しながら家の中を歩いた。

「……姉さん……?」

台所を通って、リビングへ。リビングから姉さんの声が
――細くて弱い、断続的な声を聞いて襖を開けた。

そこから先の記憶はちょっと飛んでる。

気付いたら叔父さんの太ったお腹には大きな口が開いていて、
そこから錆びたような匂いと、白い湯気が立ち込めていた。
叔母さんは頭から包丁を生やしていた。
僕はなんでか真っ赤だった。
真冬の時期で体が冷え切った僕の指先が赤くて温かい。

「だい、じょうぶ」

千切れた服を着た姉さんは震える腕を伸ばして
縋りつくように抱きついてきた。

「大丈夫よ」

僕を安心させてくれる呪文を、

「木春は私が守ってあげるから、何も心配しないで。
 大丈夫、お姉ちゃんが守ってあげる。誰にも渡さないわ」

絞め殺されかけているような声が、
今ここを見ていない目が、
僕を抱き締める腕が、
姉さんの全部が震えていた。

「だって私には木春だけで――木春にも私だけなの」

この時、僕らの周りを何か赤黒い靄が覆っていたのだけれど
姉さんは気付いてないみたいだから何も言わないでおいた。
お化けが苦手な怖がりさんだからなあ。



体の弱い僕には特別な治療法が必要だと、姉さんは言った。
僕自身が弱いのなら、他の人の力を貰えばいい。
木春にはそういう儀式が必要なの――と。

あの夜を境に、僕らは時々他の人の血をもらうようになった。
目標を見定めて油断を誘うのは姉さんで、
刃物を使うのは僕の役目だった。姉さんは全部自分がやるからいいと
言ったけど人の肌を思いっ切り裂くのは力がいる。
ずっと寝てばかりだった僕の力なんて姉さんと
それほど大差ないのだろうけど、そこは僕も男としての体面だった。
だって僕は元気になったら姉さんを手伝うって決めていたんだ。

血を浴びる度、僕は確かに体調が良くなっていった。
長時間外を出歩いても眩暈もない、辛くない。
夢みたいだ。姉さんと、大好きな家族と色んな場所に
出掛けられるようになれるなんて。
二ヶ月後くらいには僕は人並み――もしくはそれ以上の
力を付けた。もう姉さんに迷惑をかけずに、
自分でも血を浴びる事は出来るようになった。

「貴方は強くて、優しい子」

嬉しそうな姉さんの顔が嬉しい。

入学して殆ど通ってなかった高校にも通うようになった。
残念ながら友達は多い方じゃなかったけど、
いつも挨拶してちょっと話すくらいの同級生の人もいたし。
ああ、僕はやっと不幸を脱して、
普通の生活が出来るようになったんだ――

それも、唐突に終わっちゃったわけだけど。

「へえへえへえ、コイツは面白いな」

ある冬の夜、いつものように姉さんと儀式をしていると
いつの間にかひょっこりと小学生の女の子を連れた、
変なTシャツを着たおじさんが現れた。
「溺死」を書かれたシャツが赤くなるのも構わないで
僕達に近付いて来る。
僕は姉さんと顔を見合わせた。困ったなあ。
この儀式は誰にも見られちゃいけないっていうのに。

「吸血鬼……にしては脆いなー。
 もっと下の……ただの憑き物かな? 成り損ない妖刀?
 でも本人自覚ないっぽいし、広がる可能性は無限大?」

一人でぶつぶつ呟きながら妙にテンション高く捲し立てる男。
どうしよう。寒いから僕は早く帰りたいんだけど。

「そこの眼鏡ボーイ。いきなりで悪いんだけどさぁ、
 おじさんと一緒に来ない?
 今は一人でも戦力が欲しいし、俺なら君を匿え――」
「駄目よ!」

叫び声と共に姉さんが僕の前に立つ。

「あな、貴方、木春を連れていこうって、い言言言うのね。
 駄目よ、そ、そん、そんなの、絶絶絶対絶対、許さない」
「ん? 悪いけどお嬢さんの方に用はないんだよねぇ。
 だいぶ精神削られてるしね。ここで引いた方が身の為よー?」
「駄目! き、木春には、私、わた、しが必要なのよ――!」

叫ぶと同時に姉さんの体からあの日見た、赤黒い靄が滲み出た。
瞬く間に広がったそれは煙のようであって、生き物みたいでもあった。
それが僕と姉さんを守るように旋回する。
そっか、姉さん。もう深夜の怖い番組を見て泣くような子じゃ
なくなったんだな。

「あ? あー……成程。お嬢さんを仲介して眼鏡君に
 吸った力を送ってた訳かぁ、いやいやこれはとんだ間違い。
 俺の審美眼も確実に歳とってる感じ?」

靄は鋭い日本刀のような殺意を込めておじさんを牽制してるけど
彼は何でもない事のように笑っていた。女の子の方は
今にも泡吹いて倒れそうだったけど。大丈夫かな、あの子。
靄が襲い掛かる体制に入る。今日の血は多めだな、と
考えていたその時、おじさんは舌をべっと出した。
あかんべー、とでも言うように。

「でも駄目だね――狂ってる“ふり”をしている奴に
 それは扱いきれないでしょ」

姉さんの首から聞いた事のないような音がした。
例えるなら「バ」と「ガ」が混じった鈍い音。
靄は姉さんに纏わりついて少しずつ呑み込もうとする。

「、ぁ――ギ、ぁがっ――」
「まあ、そこの眼鏡君の為に他を全部切り捨てるって選択は、
 確かに正気の沙汰じゃないけど」
「―――、―――っ――!!」
「狂気の沙汰にしては真っ当過ぎたねぇ」

ボギョ、例えるならそんな音。
姉さんの首が後ろにいる僕の方に向いて、顔から地面へ倒れた。
勿体ないから僕は姉さんの口の端から流れる血を舐めとる。
煙は生き場を求めるように僕の周りを漂っていた。

「ほーら耐え切れずに死んじゃった。
 全く失礼しちゃうぜ。ここ最近君らが“それ”をする時に
 人払いしてやったのはこっちだってのによー。
 ……で、どうする眼鏡君。お姉さんも取り込んどく?」

女の子の手を引きながら男が近寄って来て尋ねた。
僕は少し考えて、

「駄目だよ。直接の肉親同士の血を混ぜちゃいけないんでしょ?」
「あんまそういうの関係ないけど……まあいいか」

今更一つ二つくらい変わらない、とぼやきながら
おじさんは僕に手を差し伸べて来た。
ちょっと吃驚した。僕にそんな事をしてくれるのは
両親と姉さん以外にいなかったから。

「改めて聞くけど、俺についてこない?
 独り身同士、肩寄せ合って独り身の集まりを作ろうぜ」
「姉さんを埋葬してからならいいよ」

姉さんを抱き上げる。結構ずっしりと重たいこの中には
僕を元気にする為の赤い液体が詰まっている。

「俺は茸宮辰三。こっちは赤音ね。少年の名前は?」
「羽佐間木春」

おじさん――辰三さんは儀式に使った人間を担いでくれた。
どうやら後始末を手伝ってくれるらしい。いい人かもしれない。
シャツの「溺死」の文字が真っ赤に染まっていく。

靄も僕らの後を付いて来た。こうして見ると懐いてついてくる
子犬のような動作に思えて可愛いかもしれない。
どうぞ、と言うと靄は僕の中に入って来た。
これは姉さんの形見みたいなものだ、大事にしなきゃね。

一部始終を見ていた辰三さんが一瞬だけ驚いたような顔をした後、
すぐに嗤って僕を迎える言葉を言う。

「『同類(レイス)』へようこそ、羽佐間木春君」

それが僕の、先生と『七刀』に出会った最初の夜の話。

それから僕が素敵な女の子に出会うラブロマンスな話もあるけれど、
それはまた別の機会にしておこう。

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