第1幕/歪み日常 01

目が覚めると、ゴスロリの美女がいた。
訂正。由乃の父親だった。

「由乃ぉー。起きてっかー? グッモーニン?」

目の前に真っ黒な存在を見て、由乃は体を起こした。
彼女の父親――紋胤(あやたね)の格好はコスプレ的であった。
デザインは可愛らしいのだが真っ黒なので喪服のような
フリル付きのドレス。
アクセントとして胸元に大きな白いリボンが飾られている。
露出は顔のみ。それでもこの男がミス・ユニバースも嫉妬する
体型を持っている事はすぐ分かる。

絶妙な線と膨らみを得た唇に板チョコの欠片を銜え、
紋胤が自身の娘の部屋にズカズカと入って来た。
因みにそのチョコは由乃が今日食べようと、昨日スーパーで
買ったちょっと高い奴である。

「…………おはよう」

あえてそのチョコについては追求せずにおいた。
この父親は、それが分かっていてなおかつ手を出したのだろう。
ごくり、とチョコを食道に送って紋胤が
寝ぼけ眼の由乃へ喋りだす。

「昨日言い忘れてたんだけどな。
 今日、夜の六時半からお前の実践研修するって
 社長が言ってたから、今日学校帰りそのまま駅まで来い」
「実践、研修?」

唐突に言われた事を未だゆっくりと回転する頭で考えて、
ゆっくりと言葉を返す。

「会社の“仕事”の実践研修。
 俺が行くから、お前はそれを見てればいい」
「はあ……」

面倒な事になりそうだなぁ、と思いつつ
嫌とも言えないので曖昧な返事を返す。

「ああ、あと」
「?」
「今、七時半だから」

一瞬、言われた事の意味が分からず
そのまま起きたばかりの頭でぼーっと部屋を出ようとして、
脳がその意味を理解した途端。

「なっ……七時半って――ぎゃう!」

勢いよく振り向かせた顔が綺麗にドアに当たり、
由乃はその場で悶絶した。

「おいおい。そんなに焦るなよ」

と焦らせた本人がわざとらしいのんびりした声でのたまった。
由乃が平日の朝に起きる時間は七時。
つまり七時に起きても学校に遅刻しない。
それを三十分も遅れて起きたという事は致命的だった。
早く行動をしなければという思いに駆られるが、
ショックが大きかったのか何故か体が動いてくれなかった。

「な、な、なななんで起こしてくれなかったの!」

額の痛みに涙を浮かべつつ由乃は当然に訴えた。
そんな姿を心底楽しむような表情をして、
紋胤は唇の端を持ち上げて――非常にサディスティックに嗤った。

「バタバタと慌てている奴の傍で優雅に飲む
 コーヒーは美味いと思って」
「こ、この――」

サディスト、と叫びながら由乃は洗面所へ走り、
今日も父が父であった事に少しだけ落胆しつつ、
染井(そめい)由乃の一日が始まった。





由乃と紋胤は血の繋がった親子である。
これはもう覆す事は当然不可能な事実だ。
しかし由乃の苗字は染井(そめい)で、
紋胤の桜橋(さくらばし)。

由乃の両親に婚姻関係はない。
つまり由乃は――ぶっちゃけた話、認知された子、だった。

いつか来てくれる、と言い続けている母――染井蜜は
父に騙されているのだと思い、少なからず憎んでいた事もあった。
紋胤が蜜の口座に毎月ちゃんと振り込んでいるのも知っていたが、
反発心のせいで快くは思っていなかった。
それでも探す事はせず、ただ目の前に現れない事だけを
望んでいたのだが――

一ヶ月前。中学の卒業式の日。
友人達と一緒に入った廃ビルで由乃が黒い犬――
紋胤曰く“狗”を使って幽霊退治をしていた所に彼は現れた。
黒いドレスを身にまとい、自身の影から黒い鎖鎌を出して。





トースターがパンを焼き終わらせた音で由乃は我に帰った。
急いでパンを出し、バターを塗っている暇がないので
ハムだけを乗せて噛り付く。遅刻しそうでも朝御飯は
ちゃんと食べておきたかったのだ。
いつもポニーテイルにしている髪は未だにゴム紐で
結わえられる事なく下ろされている。
一週間前に入学したばかりの高校のブレザーにまだ
慣れていないのか胸元を引っ張ったりしている。

パンを麦茶で胃に流し込んで、流し台に皿を置いて、
洗面台で歯を磨き、髪を結わえる。
由乃が通常の三倍のスピードで朝の支度をしている横で
紋胤は優雅にコーヒーを飲んでいる。
まるで貴族が優雅な朝のティータイムを楽しんでいるような
光景で――嫌な有限実行だった。
文句の一つでも言ってやりたい所だったが、
そんな事をしている余裕さえ今はない。

≪本日……で、十二時過ぎ頃、ゲームセンター近くで
 遊んでいた不良グループの少年達が何者かに
 刃物のような物で襲われ三人が重傷、一人が死亡しました≫

リビングに戻るとテレビから不穏なニュースが聞こえて
由乃は黒のニーソックスを穿いた足を止めた。
急がないといけないのは勿論だが、キャスターが
今住んでいるマンションがある地名を言ったのだ。

何故かコーヒーを片手に持ち真剣な顔な紋胤の
少し離れた場所に立ち、画面を見つめた。

≪病院で療養中の被害者の証言によると、
 犯人は十七、八ほどの少年で、眼鏡を掛け、赤い学生服を
 着ていたとの事です。
 少年は不良グループが路地裏でたむろしていた時に
 近付いて来て突然ナイフを突き出してきた、と
 証言していて……≫

「刃物のような物って、それ刃物だよなぁ」
「……明言は避けたいんじゃない?」

ズレた感想を言う紋胤に由乃は呆れて返答する。

≪警察は赤い学生服は市販品、もしくは自分で作った物であると
 判断し、そのような特徴を持った人物を見なかったかと
 周辺住民に呼びかけ……≫

「って、うわ。時間やばっ」

ついニュースに食い入っていた由乃は
慌てて玄関に走っていた。
真新しく光るローファーを履き、ドアを開けて、
そこで少しだけ躊躇ってから言葉を紡いだ。

「い、行ってきます」
「おう。行ってら」
気軽な返事が返ってきて、一瞬前の自分の躊躇いと緊張に
溜息を吐いた。
マンションの三階から一気に階段を下りていく。
由乃はちょっとだけマンションの方を振り返る。

名前はキャットウィスカー・マンション。
宣伝文句は「ミルクチョコレート色マンション」。
確かにマンションの壁は柔らかな薄茶色に塗られている。

それが一ヶ月前に、あまりにも唐突に現れた父親に
言われた「俺んちで預かる事になった」の“俺んち”である。

不可思議で不気味な世界の事を知っていた父親。
由乃の影から出てくる狗を当たり前のように
受け入れて興味を示した父親。
由乃が意見を入れる暇もなく連行同然でここへ連れてきた父親。
実はコスプレ趣味で美形でドSな――桜橋紋胤。

由乃と紋胤は血の繋がった親子である。
これはもう覆す事は当然不可能な事実だ。

だから、由乃は悩むのであった。

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