第2幕/03

家に帰ると怪しい人がドアの前に立っていましたマル。

「…………」

デパートを出た後、崎は勤めている会社に、
璃樹は恐らく女性をオトしに、
親子は買出しをしてマンションに戻った。それでこの光景である。
由乃は思わず両手に持った今夜の夕食を落としそうになった。

黒味の強いグレーのスーツを着て
油断なく直立している、そこまではまだいい。
問題なのは顔の半分ほども覆い隠すようなサングラス……いや、
寧ろあれはゴーグルと呼ぶべきかもしれない。
更に横には雨も降っていないし、
日差しもそんなに強くはないのに大きな黒い傘がある。
格好的は男性的だが、性別の判断がしにくい。

……真っ黒だからお父さんと被ってるなぁ。

ズレた事を考えながら紋胤に視線を送ろうとして、

「おー、蕗時じゃねーか。何か用か?」
「えっ」

紋胤が実に気軽そうに声を掛けた。
蕗時と呼ばれた長身がこちらに振り向き、
淡い微笑を浮かべて恭しく礼をする。

「こんにちは、桜橋様」

低い目ではあるが、真っ直ぐ通る女性の声だった。
……女の人、なんだ。

「なんでお前はそう突然なんだよ。電話くらい入れろ。
 家の前に真っ黒いのがいるからちょっとビビったじゃんかよ」
「電話はしましたが、気付いてくださらなかったようなので
 直接出向きました。驚かせてしまい、申し訳ありません」

自分の事をすっかり棚に上げた言葉に、しかし蕗時は
動揺の欠片も見せず変わらずに対応する。
それを聞いた紋胤がレジ袋を持ったまま器用に
鞄から携帯を取り出し、画面を確認する。
不在着信が二件、入っていた。

「……おー、ワリワリ。気付かなかった」
「いえ、お気になさらず」

随分と他人行儀と言うか、丁寧な対応をする蕗時。
紋胤の後ろに立っていた由乃に気付くと
微笑みながら話しかけてきた。

「こちらが桜橋様のご息女の染井由乃様ですね。
 ご挨拶が遅れました。わたくし、
 Q・M・Co.の社長秘書を務めている蕗時と申します」
「あ、いえ、ご丁寧にどうも……。染井由乃です」

腰を少しかがめて由乃と視線を合わす。
丁寧に対応されているのか子ども扱いされているのか
いまいちよく分からない自己紹介だ。
口角は柔らかく上がっているが、サングラスのせいで
その奥にある目はどうなのかは窺い知れない。

……それに。

『Q・M・Co.』
――クイーン・マジシャンズ・カンパニー。
紋胤と璃樹、蕗時が社員として、
由乃は一応アルバイトとして所属している会社。
表面上では派遣会社であるが、
その実体は不可思議現象、怪異などを“処理”する会社だ。

由乃はその話を初めて聞いた時小説などによくある裏社会の
秘密結社で中心的なものかと思ったが、
Q・M・Co.は“由乃達的な裏社会”の
末端の組織の一つでしかないらしい。
由乃が思っているほど怪異現象は小さい範囲の物では
ないようだった。

「今日、わたくしがここにいるのは社長からの
 忠告と警戒を預かっているからです。
 なので、少しお時間を頂けないでしょうか」
「いちいちそんなの確認するものじゃないだろ。
 仕事ない時は、俺が暇人だってこったぁ知ってるんだろ。
 ――じゃ、ちょっと座りに行こうか」



キャットウィスカー・マンションは二階からが
住人の居住スペースであり、
一階は喫茶店として機能している。
喫茶店の名前は『猫のひげ』。
キャットウィスカーの和訳そのまんまである。

散らかっている部屋を見られなくないので蕗時を
『猫のひげ』連れてくる。
ここは特に有名な店というわけではなく、
住人の憩いの場となっているが、
ここの女店長が入れる珈琲が美味いと
周辺住民には密かな評判を得ている。
その女店長が紋胤達に気付き声をかけてきた。

「なんだい紋胤。真っ黒仲間かい?」
「そんな同盟組んだ覚えはねえよ」
「ああ、思い出してみりゃあ何回か見た事があるよ。
 怪しいゴーグルが歩いてるんでそれなりに警戒したもんだけど、
 やっぱりアンタ関連の人かい」
「そういう目で俺を見ていやがったのかあんた」

蕗時を見てなんの躊躇も遠慮もなくズカズカと言ってきたのは
恰幅のいい、いかにも「母ちゃん」といった雰囲気の
恐らく五十代後半ほどと思われる女性。
『猫のひげ』女店長、東雲(しののめ)だ。

「し、東雲さん。この人はお父さんの会社の秘書さんです」
「どうも、初めまして。蕗時と申します」
「へえ、怪しいナリをしてるけど
 中身はしっかりしてるじゃあないか。
 それにくらべて、紋胤、アンタは見た目も中身も
 怪しんだからもっとしゃんとしな」
「アハハハ……東雲さん、あんたはもっと
 他人の繊細な心を気遣いな」

引きつった笑みを浮かべながら紋胤は奥のソファの席を取る。
真っ黒い英国貴族が入ってきたらそれなりに
驚くところだろうが、ここの常連客は慣れていて
特に反応を示す事はない。
寧ろ紋胤はこの喫茶店のちょっとした名物になっている。

「アンタら、やっぱり怪しいねぇ。
 妖怪退治の相談かい」

何気に的を射ている発言をして来るが
紋胤は特に動揺した素振りも見せなかった。
この人は「察する」事に長けていて、
由乃はここに転居してきた当初、紋胤と一緒に家にいるのが
気まずくて何度かここに逃げ込んだ事がある。
その時、東雲は踏み込んだ事は言わないが、
やんわりと気遣うような事を言ってくれたのだ。

「あー、はいはい。ヨーカイ退治ね、そりゃ大変だー。
 俺、エスプレッソ」
「わたくしはブレンド珈琲をお願いします」
「あたしはカフェオレで。
 ……あれ、今日は篝火(かがりび)先輩いないんですか?」

由乃が自分の通う高校の先輩であり、『猫のひげ』で
アルバイトをしている少年の所在を尋ねる。

「あ、ホントだ。トミータいねえじゃん。
 アイツが休みなんて珍しいな」
「いや、富太郎(とみたろう)ならまた皿を割ったから
 足りない分の皿とカップを買いに行かせたよ」
「あー……納得」

少々ドジな所がある先輩が転ぶところを容易に想像する。
東雲は奥に引っ込んで三人の珈琲の準備を始めた。
紋胤はざっと回りを確認して、
蕗時に話を切り出した。

「……で、社長から忠告と警戒か。
 まあ大体の内容は予測できる。
 さっき璃樹坊から話を聞いたしな」
「それは話が早く済みそうで助かります」

穏やかではない雰囲気が滲み出て
由乃は知らず知らずの内に膝に乗っけた手を握った。
一度だけ会った事のある社長の顔を思い浮かべ、

……あの人が忠告して来るって事は
結構ヤバい事が起こったのかな。

「はい。まず、結論を単刀直入に申し上げます」

黒いサングラスの、見えない奥からの視線が刺さる。

「近々、この街で呪力的混乱が発生するかもしれません」

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