第2幕/07

相手は少なくとも由乃よりずっと呪力関係に強い。
実戦経験も実力もはるかに上回っているだろう。
ジューダスばかりをぶつけていても埒が開きそうにないので
由乃自らも敵の元へ飛び込んだ。
チェーンソーを持った相手に丸腰で突進とは自殺も同然だが
――由乃には死なない程度に相手にできる自信があった。

「ジューダス!」

叫びと同時に立体に浮かび上がっていた影の狗は
瞬時に平面に戻り、狗の姿だった形を崩して
一旦由乃の元へ戻ってから少年の方へと分散した。
猛スピードで突進する影は途中から地面から離れて
三次元となり、八方から少年へと襲い掛かった。
由乃の能力は自らの影を操る事だ。
自分の能力の全貌を由乃は知らないが、
必要な時それは始めから全て知っていたように操れる。
その時の由乃は殆ど無意識で、本能と勘で動いていた。

通常の人間なら残像しか残らないだろうスピードで襲い掛かる
それを少年はただしゃがんだだけで半分以上をかわし、
自分へ当たりそうな二本を先ほどと同じように手を掲げ、
彼の言った呪力の流れの操作で受け流した。

――やっぱり。
全ての影を防いだのはさすがに驚愕したが、避けられるのを
前提で放った攻撃だ。
影が平面に戻り、少年が立ち上がった時
目の前にはくぐるように低い姿勢の由乃がいた。

由乃は掌底を思い切り彼の顎に下から上へ打ち込んだ。
拳で殴るよりこちらのダメージが少ないからと紋胤に
言われてとりあえず形だけ覚えておいたものだ。

「がっ……」

驚きと痛みで相手の集中が途切れるのを感じ取る。
その隙を見逃さず再び掌底を叩きつけようと――

「戦える、なんて、聞いてないよ」

突き出した手を簡単に掴まれた。

「油断した。危ないなぁ、舌を噛むところだったじゃないか」

指を曲がらない方向へと押される。
軋むような痛みを感じながら、由乃は少年を睨みつけた。
感情の無い表情で目だけが炯々と鋭い由乃を見て
少年は顔を綻ばせた。

「ははっ、……いい顔。
 人間を捨てた顔だよ、それは」

その言葉にゾクリとした。
同時に削ぎ落としたはずの疑問が蘇る。

――なんで、あたし戦い方なんて知ってるの?

「由乃ちゃん!」

あまりの事に思考が停止していたらしい富太郎がハッとした
声を上げて、こちらに駆け寄ろうとしていた。

「来ないで下さいッ」
「で、でも――」
「彼女の言う通りさ。来ない方がいいよ?」
「羽佐間君! 意味分からないよ! 全然分かんない!
 君は学校を辞めてから今まで、何処で何をしていたんだ!」

学校を、辞めた?

「羽佐間君。由乃ちゃんを離して。
 由乃ちゃんに怪我させたら怒るよ」
「……本当に来ないでほしんだけどね。
 一般人は一般人らしく普通に暮らしていた方がいいと思うんだ。
 軽蔑されるのって嫌だろ? 特に知り合いにやられちゃあね」
「? 何を言ってるの?」

独り言のようにブツブツと言う羽佐間の言葉に
富太郎は首を傾げる。
彼はそこで初めて心底不愉快そうな顔を覗かせた。

「つまり――こういう事!」

由乃の手を掴んでいない方の、チェーンソーを持った手を
富太郎の方へ向ける。
由乃が咄嗟に身を捩って、蹴りを彼の横っ腹に
繰り出そうとした瞬間――

チェーンソーの形が、崩れた。

「え――」

それはまるで分子レベルで分解されたような印象で、
崩れるとも溶けたとも言えるような形の失い方だった。
驚く二人の前でチェーンソーだったものは小さくなり、
徐々に別の形をとっていく。
ほんの数秒の間に、チェーンソーはサバイバルナイフへ
変貌した。

言葉も出ないほど驚いている二人を満足そうに、それでいて
忌々しそうに見てうっとりした口調で言う。

「斬るっていう行為が好きなんだ。
 鋏で紙をサーッと切ったり、包丁で人参を切ったり、
 チェーンソーで木を切ったり……。
 その中でも人を切るっていう行為は最高だよ。
 柔らかいような硬いような肉に刃物が一瞬沈んで、そこから
 肌が裂けて血が出て、斬るんだ。癖になるよ」

ヤバい。
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい。
こいつ、ヤバ過ぎる。

「はざ、ま、くん?」
「血は好きだよ。温かいからね。
 ああ、この人は“生きていた”んだなぁって思うよ。
 噴水みたいに噴き出すのを浴びるのは、
 まるで命を分けてもらったみたいで気持ちがいい」
「……っぁ、……!」

由乃の手を掴んでいる彼の手に徐々に力が篭り始めた。
興奮してきているらしい、目が血走り狂気が輝いていた。

「あの『人でなし』の娘の血ってどんな感じなんだい?」
「――っ!!」
「羽佐間君ッ!?」

殆ど反射で由乃は蹴りを繰り出した。
難なくかわされるが手の力が緩んだのを見計らって
拘束から逃れ、距離を置くと同時に叫ぶ。

「喰らえ! ジューダス!」

狗が嬉々とした声を上げたような気がした。
影が走り三次元へと現れ、先程より数の多い影の枝で襲わせる。
逃げられればいいと思っていた。
しかし、それでは駄目だ。
こいつは、ここで止めておかなければ――!

重いものが地面に急降下で激突したような音が響く。
砂埃が舞い、すぐさま富太郎の傍まで後退する。
ほぼ囲むようにして逃げ場もなく、手加減なしに叩き込んだ。
勝った、と由乃は確信する、が。
砂埃が風にさらわれ、まるで爆心地のようなそこで

彼は平然とした顔で立っていた。
そして手に握っていたのはサバイバルナイフではなく、
RPGゲームに出てくるような剣だった。

「ふぃーっ。結構とんでもないものを持ってるね、君」
「……どうして」
「経験の差じゃないかな?」

ゆらり、と剣を構える。
目は黒々としていて底知れない。

「ここまで見ちゃったんなら篝火君もただじゃあ
 済まされないよ。
 本番だよ。夜遊びしようじゃないか」

来る。
富太郎をこの場から逃がす事を最優先とした由乃は
影に意識を集中させる。
一触即発。窺うような時間が数秒過ぎて、
由乃が命令を飛ばそうと口を開いたその時、

カァーッ、と場違いな鳴き声が響いた。

続いて、ガァン、という――銃声。

由乃と富太郎は呆気にとられ、
少年は顔に驚愕を浮かべた。

そしてガラスが割れたような、身が竦むほど
鋭く澄んだ音が響き、
由乃と富太郎の横を黒い影が幾つも通り過ぎる。

十数羽のカラスが三人のいる場所に飛び込んできた。

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