第2幕/09

夜でもサングラスなんだな、と思った。

「それではわたくしはこれで失礼致します。
 今日のお二人の戦闘の記録は今後の調査の
 重要な資料となるでしょう。
 何か思い出した事や後を付けられているような気配が
 するようでしたら、すぐに会社へご連絡ください。
 今宵はゆっくりお休みくださいませ」

羽佐間とかいう少年が消えた後。
由乃と璃樹はしばしの間呆然とし、璃樹がQ・M・Co.へ
連絡を入れて事後処理を頼んだ。
数名の社員を連れて現場へ現れたのは
由乃が夕暮れ前に出会ったあの蕗時だった。
彼――なのか彼女なのか未だに判断がつきにくい蕗時は、
まず眠りこけている富太郎を見ると社員に
彼を自宅まで送り届けるよう指示をした。
それから二人を会社まで車で運び、傷の手当と
あの時の事を詳細に質問された。

蕗時を見た途端に璃樹は全力で逃げ出そうとしたが
あっけなく蕗時の指示により回りこんだ社員に捕まった。

腕に貼られた大きな絆創膏を見つめ、
綺麗に一筋となって切れていた傷を思い出し
そーっと触ってみる。

「あ……」

傷が少し開いて、血が滲む。

「――――」

あの少年は人を切るのが好きだと言った。
血を浴びるのも、まるで命を分けてもらっているようだと。

それに、
赤い学ラン。眼鏡。凶器の刃物。

赤い学ランは、元は紺だったけれど血を浴びて
真っ赤に染まっていたんだとしたら
あの少年が近頃この街で起こっている殺人事件の犯人に違いない。
まるで日常に組み込まれたサイクルの一つのように、
彼は殺人くらいやってしまいそうだった。

「……異常だ」

ポツリと呟く。
璃樹は社長室に連行されてしまい、ここにはもういない。
璃樹の能力はカラスとの意思疎通だと蕗時が言っていた。
意思の疎通。
目を閉じて意識を集中させ、足元に呼びかける。
目を開けば自身の影に赤い犬の目と口があった。
溜息が出た。

「あたしも、異常っぽい」

彼を異常だと、狂っていると一方的に責められない。
由乃も常識から見て充分、常識の敵だ。

また目を閉じる。
思い出そうと思った。

――黒い狗は、物心付いた時からいた。
そしてその時から、なんとなく自分は周りの子とは違う事、
この事を誰にも話してはいけないという事を理解していた。

狗がとてつもなく苛烈な能力を保持していて、
どうやらその能力も狗も含めて
自分のものだという事に気付いたのが小学三年生の時。

九歳の時、ヘンなものに襲われた。
多分、幽霊とか怨念とかそういうもの。
怖くて、泣きながら逃げて、転んで、もうダメだと思った。
本能なのか、それとも何かに基づいたものだったのかは
覚えていない。
ただ気が付いたら由乃は自分の影に呼びかけていた。

――アレを消して!!

その後、その幽霊っぽいのがどうなったのかは
思い出すまでもない。
それからは偶に、怪奇現象のスポットなどに出向いて
狗を使い歪んだ呪力を喰わせてきた。
最初はこんな狗どっかに行ってしまえ、と思ったが
どうやっても由乃の足元から出て行かないのと、
腹が減ったと訴えてうるさいので
仕方なくやってきた。

そう、仕方なく。
でも、これからはどうだ?
多分仕方なくはない世界。
ジューダスと上手くやっていかなくちゃいけない。

紋胤は――父は由乃に生き方を教えてやると言っていたが、
今の所、それらしい事は教えられていない。

「……とにかく」

今日は疲れた。
明日、ちゃんと起きられるか心配だ。

帰ろう、と腰を浮かせた瞬間――

「由乃!」

目の前の扉が勢いよく開いた。
そこから現れたのは、焦りと心配が混じった顔をした
紋胤だった。
格好は英国貴族ではなく、金色の細かい刺繍が入った
真っ黒な着物。
足は黒の編み上げブーツだった。

「おとう……さん?」

由乃が突然の登場に驚いていると
紋胤はいつものようにズカズカと傍に歩み寄り、彼女を
上から下まで念入りに見回す。
腕の絆創膏で紋胤の目の動きが止まった。

「その腕、どうしたんだ。
 服も今日買ったのにもうボロくなってんじゃなねえか。
 やられたのか? どんな奴だった?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」

低い声に一気に質問攻めに遭い
浮かせた腰をまた戻してしまう。
紋胤はムッと顔をしかめると、息を吐いて顔の力を抜いて
「悪い」と言った。
優雅な刺繍の入った袖を優雅に動かし、
静かに由乃の向かいの椅子に腰を下ろす。

「……社長から連絡が入った。
 お前が異能使いに襲われたって聞いて、
 まあ、その、なんだ……飛んできたわけだが」

目を逸らしながら口の中で言うようにモゴモゴと言う。
つまり心配してくれたわけらしいが、
由乃は嬉しさよりも先に戸惑いが浮かんでしまう。

「で、怪我の方は?」
「あ、うん。大した事ない……」
「そうか。なら、まあいいんだ」
「……うん」
「…………」
「…………」

降りる沈黙。
紋胤は普段はテンション高く一気に理不尽で滅裂な事を
言いたい放題に言うが、
一度そのテンションがこじれると上手く会話ができない。
……つまりハイなテンションがないと娘との会話さえ
ままならないような父親なのだが、由乃はまだその点に
気付いていない。

「あの……ごめんなさい」

先に沈黙を割ったのは由乃だった。
紋胤は少し目を開き、由乃の方を見て、

「何がだ」
「服……せっかく買ってくれたのに」
「……いつでも買ってやるよ」

言いながら紋胤はたどたどしい手つきで由乃の頭を撫でてきた。
紋胤自身は振り払われないようにそっとやったのだが、
由乃は吃驚して逆に硬直してしまっていた。
指を櫛のようにして細い黒髪を梳く。
ストレートな由乃の髪は最後まで指通りがいい。

「由乃。俺は今から仕事だ。
 多分、朝になっても戻らないと思うからそのつもりでな」
「……分かった」
「あと、なんかヤバそうだと思った時や、胡散臭い
 ふざけたオッサンに話しかけられたら全力で逃げて
 会社に来い。いいな?」
「う、胡散臭いオッサン?」
「詳しい事は俺が返ってから言う。
 じゃ、おやすみ」

手が離れる。
金の刺繍を静かに動かしながら黒い着物の姿がビルの廊下の奥に
去っていった。

おやすみなさい、と小さく背中に投げかけて
由乃はQ・M・Co.のビルを出た。

→ 次へ