第4幕/歪み不安定 05

昼下がりのQ・M・Co.社内。
一般人の社員は入れない“そちら側”に関する資料のみ
集められた資料室がある。
資料室とは言っても過去の報告書やCD、DVDなどのディスクが
詰め込まれたダンボールが重なり、埃を被っているだけの
部屋であり、年に数回新しいダンボールを入れる為でしか
扉が開く事がない。

そんな埃と時間がうず高く詰まった資料室に紋胤はいた。
新しいものから順に箱の蓋を開け資料に書かれた目次を見ていく。
既に彼の背後には十以上の数のダンボールが中を暴かれた
状態で放置されている。
さっとページを見て目的の物ではない事が分かった途端
放り捨てて次の資料を手に取る。
十一個目のダンボールの中身を全て見終わった時、
背後に人の気配を感じて振り返った。

「資料室の整理ならもっと丁寧にやってくれるかしら。
 バーテンダーさん」

赤い口紅とマニキュアが目立つ名雪が呆れ顔で立っていた。
紋胤も呆れ顔を返しつつ、

「何の用だ」
「紋胤が資料室の鍵を持っていったと蕗時から聞いたから、
 貴方の探しているものはないって言いに来たの」

十二個目の蓋を開けようとしていた手が止まった。

「意思を持ち、かつ強力な怪異を体の一部に宿した
 人間の前例はね。私も聞いた事がないわ」
「…………」

失意の溜息が紋胤の口から吐き出される。
散らかした資料をぞんざいに片付けて名雪の横を通り過ぎて
資料室を出ると、当然のように名雪が付いてきた。
ハイヒールが鋭く床を叩く音が廊下に響く。

「まだ諦めてないのね。
 ――由乃を普通の日常に帰す方法」
「分かってるなら聞くな」

外はまだ昼だというのに薄暗い地下は非常灯が
不気味に浮かび上がり、時間の感覚を狂わせる。
二人の声は小さなものであっても壁に反響し拡声させた。

「意思のあるものという点ではカラスと意思疎通が出来る
 璃樹が一番近いんじゃないかしら」
「あんなのと由乃を一緒にしないでくれ。
 それに璃樹坊は憑かれている訳じゃない。全くの別物だ」
「それに璃樹は家系によるものだしね」
「……初耳だ」
「あら。知らなかったの?」

赤い爪を赤い唇の上に乗せる。
何かを思い出しながら喋る時の彼女の癖だ。

「璃樹の母親の家系には鳥類、特にカラスと意思疎通の出来る人が
 多かったみたい。カラスの妖怪と交わった先祖がいるんでしょうね」

初耳なので驚きはしたが充分予想できる事なので意外性はない。
この世界で特殊な能力を持つ人間は天性より血筋に因る者の方が多い。
名雪の言葉に気の抜けた相槌を打ち、ふと思いついた事を聞いてみる。

「それ、璃樹坊は知っているのか?」
「多分知らないわ。知りたがろうとはしないし。
 ま、そのせいで色々と抱えているものが多いみたいだけど」

なら教えてやればいいというのは正論だが、名雪がそこまで
親切な人間でないのは重々承知している。
知ろうとしないで、なのに知らぬが故に苦しんでいる
――その点については確かに璃樹と由乃は似ていると紋胤は思った。
二人の相違点は、璃樹は自分が知らないから苦しんでいるのを
理解している。その上で目の前の刹那的な欲求に忠実で、
何もしようとしないし先の事などロクに考えていない。
対して由乃は知らないし知ろうともしないし、
自身が蝕まれつつあるのにそれを理解していない。
常に受身で流されるだけで自身の欲求というのが薄い。

璃樹が緩やかな自殺をしているのだとすれば、
由乃はもう既に死にかけている上に他殺で死ぬ。

難しいのは、それを由乃に教えてやったとしても
彼女は関心を示しそうにないところだ。
守りたいのに守らせてくれないのだから、酷い話だ。

「で、これからどうするの?」

いつの間にか前を歩いていた名雪が振りかってこちらを見ている。
二人は既に一階のロビーに着いていた。

「仕事がしたいなら押し付けるけど?」
「この一ヶ月で半年分は働いただろうが。
 それに、多分時間がない」
「……由乃の事が?」

沈黙で答えると、名雪は呆れたように答える。

「アテはあるの? ないでしょ。
 だからと言ってアンタはもう研究所にも上層部にも
 顔が出せないし、行き詰まりじゃないの。
 私としては、これから辰三が暴れだしそうだから
 そっちに備えてほしいんだけど」
「アテって程じゃないが、一応の考えはある。
 連絡はちゃんとつくようにしておくから、そこは安心しろ」
「あら、どんな考えなの?」
「……まとまったら話す。多分な」

妙に素直というか大人しい紋胤に、顔には出していないものの
名雪は内心驚いていた。
口ではからかう形をとりながら、

「やけにしおらしいじゃない。由乃と何かあったのかしら?」

聞かれて、あからさまに言いたくなさそうな顔をしたが
悪戯を白状する子供のように渋々話し始めた。

「……由乃に写真の事がバレてた」
「写真? ……ああ、蜜ちゃんが送ってくる奴の事ね?
 バレたって、見られたって事なの?」

蜜の事を親しげに呼びながら「そんなのもあったわね」と呟く。

「見られてはいない。崎の奴から聞いたらしい」
「ふぅん。じゃあ、アンタ達お互いが住所知ってたの
 バレちゃったんだ」

十六年間、住所を知っていながら一度も会っていない。
他人から見れば充分おかしな関係だろう。
蜜を大切に思っているのは今も紋胤の中では変わっていない。
会いたいと思えば会いに行けた。何度も会いたいとは思った。
けれどそれ以上に「会えない」理由と思いが重過ぎた。
会えない理由を話したら、由乃はなんと言うだろうか。

「で、由乃には何て言って誤魔化したの?」
「…………」
「なるほど。かなり情けない誤魔化し方したのね」
「途中までは上手く行ってたんだよ」
「アンタは親ってもんを知らないからね。
 どーすればいいのか分からないって言うのも分かるけど、
 いい加減本格的な対策もしていかなきゃ駄目ね」

人の裏事情をさらりと突いてくる名雪。
対して紋胤は痛くも痒くもない顔で受け流しつつ、
彼女に対して珍しく素直な言葉を吐いた。

「……どうすればいいんだろうな。父親って」

訊かれて名雪は面食らったような顔をする。
紋胤が今までにないほど大人しいのもあるが、
自分の中にも一般的な父親のイメージなどなかったからだ。
どう答えるかを考えていると、ふと周りの女性社員達が
今日は比較的男らしい格好をしている紋胤にチラチラと視線を
送っているのに気付いた。

「そうねぇ。私もあんまり偉そうに言える立場じゃないけれど、
 私だったらコスプレ趣味の三十路には懐かないわ」

由乃との仲が上手くいかず、彼女を救う確かな手立ても立たない。
意地悪心もあったが、これでもちゃんと助言を与えたつもりである。
自分の助言を素直に聞く人ではないと知っているが。

「……考えておく」

そんな曖昧な返事を返す辺り、
自分でも薄々勘付いてはいたのだろう。

× × ×

紋胤が去ったロビー。
社長室へ戻ろうした名雪の耳に女性の怒鳴る声が入り、
声のした方へ視線を向けると会社の入り口前で
見覚えのある顔立ちのいい青年が三人の女性に囲まれて
何やら問い詰められていた。
声の内容までは聞こえなくとも状況は修羅場だという事は
明らかだった。
二人の女性がお互い言い合ったり青年を問い詰めたりとして
忙しく立ち回り、もう一人の女性はオロオロとしながらも
涙ぐんだ目は恨めしそうに青年を睨んでいる。
やがてオロオロとしていた女性が泣き出してその場から立ち去り、
残った二人の女性は青年の股間と脇腹を思い切り蹴り飛ばして
それぞれの方向へ去っていった。

蹴られた青年はよろよろと歩きながら自動ドアを通り、
案内所の受付である女性に愛想笑いをして、
ロビーのソファへ倒れこんで悶絶した。いい男が台無しである。

名雪は約半月ぶりに現れた社員の元へ歩み寄り、
ヒールで青年の背中を突いた。

「いってぇ!?」
「久しぶりね。璃樹」

股間と脇腹、そして背中までど突かれ涙目になった青年――
璃樹は仰向けになって脇腹を押さえながら、

「い、今の見てたくせに……社長ひでぇっすよ」
「股間蹴られるのなんてもう慣れっこでしょ。
 会社の入り口で修羅場ってんじゃないわよ」
「会社の中まで逃げれば流石に追ってこないかなと思ったんすけど、
 直前で捕まっちまって……あー、今日はミスったな」

もうちょっと遊ぶつもりだったのに、と漏らす。

「一気に三人も消えたし……どーしよ
 欲しい服とかまだあんのに」
「うわ、本当に女の敵ね」
「安心してください。社長はターゲットに入ってませんから」
「ていっ」
「ィギャ―――ッ!?」

蹴られたのとは反対側の脇腹をヒールの先で突かれて
両手で脇腹を押さえて再び悶絶する璃樹。
実に間抜けな格好だった。
痛みにのた打ち回る社員を冷ややかに見下ろしながら、
名雪は思い出したようにスカートのポケットから
一通の手紙を取り出した。

「な、なんすかソレ……オレ、確かにもう女に蹴られるのは
 日常茶飯事ですけど、ショーに出るほど目覚めちゃいませんよ」

げんなりした顔で差し出された手紙を受け取る。
ふざけた事ばかり言っていた璃樹だったが、差出人の名前を
見た瞬間、全細胞が凍りついたような錯覚に陥った。

「な、な……」
「丁度良かったわ。今朝それが届いてね、
 蕗時を使って探させようと思っていたのよ」
「…………いつから」

顔が青くなり冷や汗を流し始めた璃樹は
震える声で問いかける。

「いつから……オレがここにいるの、バレていたんですか?」
「馬鹿ね。そんなの最初からよ」

止めを刺すように淡々と事実を言い放つ。

「それじゃ確かに渡したわ。
 読むも捨てるも燃やすも何もしないも貴方次第よ」

そして今度こそ社長室へ戻っていく後姿を見送りながら、
璃樹は再度手紙の差出人を確認する。

何度も何度も確認しても、そこには変わらず
ただ自分の兄の名前が書かれていた。

頭の中に忘れたい、憎むべき過去の記憶が光の速さで再生する。
グシャリ、と手紙を握り潰した。

逃げたつもりでいた。逃げ切ったつもりでいた。
だが、そうではなかった。自分は逃がされていただけだった。
目の前の刹那的な欲求にしか興味のなかった璃樹に、
黒々とした過去の魔手が容赦なく、予兆もなく襲い掛かる。

冷たい土に埋められたような寒気を感じた。

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