第1話/奏 ~Maternal Melody 03

それは、この町では割と有名な都市伝説だった。
曰く、魔法の鍵を作る鍵屋がある。

その“鍵”は鍵穴のない、開け閉めなど出来ないはずのモノまで
自在に鍵穴を作って操る。

昔からある言い伝えのようなものだった。チェルロも聞いた事
くらいはある。
魔法使いが潜んでいるとして多くの異端審問官達が
調査をしたが、結局は徒労に終わったというのも聞いた事がある。
しかし、チェルロも勿論誰も信じない迷信――

そのはずだったのだが。

「……まほうの、かぎ?」

まさか、という思いで呟くチェルロ。
しかしブランはニッコリと笑い「はい」と答えた。

「魔法の鍵を作るっていう噂は何度か聞いた事あるけど……、
 まさかここがそうだって言うの?
 だって、この店普通に道にあって……今はまだ昼なのに」

言いながら窓から零れる午後の日差しを確認する。
もしやあれは幻覚で、本当はもう夜なのだろうか。

「チェルロさん。魔法使いの店が、言い伝えにあるような
 “いかにも”な演出でそこにあるとは限らないんだ」

先刻よりも幾分砕けた口調でマッドが会話に入る。

「まあ、そうした方が“らしい”し、夜は確かに本能的に
 好ましいからそういうやり方をする奴もいるけど、
 まあ、ウチは……ご覧の通り、普段はただの鍵屋だからな」

そして「今はちゃんと昼だ」とチェルロの心情を
見透かした事を言った。

チェルロはあまりの情報に停止しそうになる脳を
何とか動かして今までに与えられた事を整理した。
それが分かっているかのように、ただ黙ってチェルロが
言葉を発するのを待っている。

アニーが自分のレモンティーを飲み終わった時、
チェルロの瞳から混乱の色が失せた。

「……鍵穴のないものでも、何でも開け閉め出来るって
 言ったわよね?」
「はい。その通りです」
「じゃあ、」

ごくり、と生唾を嚥下した。
今から自分が言おうとしている事を、本当に言っていいのか。
自分は騙されているんじゃないか。
この人は自分をからかって、チェルロが本気で信じるのを
忍び笑いを隠しながら待っているんじゃないか。
そう思ったが、やっと上げたレモン色の目が
穏やかで優しい三人の顔を映す。

――そんなわけない。

ただ自然に、特にこれと言った理由もないのに、
チェルロは数年ぶりに人を信じた。

「……記憶を、開ける事は出来るかしら」

なるべく不敵に笑って言葉を紡ぐ。

「ええ。出来ますとも」
「むしろ、いちばんおおい、いらい」

そんな反応を見て、聞いて、何処かで安堵する
自分がいた。


「あたし、三日前に事故に遭ったの。
 馬車に轢かれんたんだけど、まあ見て分かる通りに
 奇跡的に軽傷で済んだんだわ。
 でも、その代わりに頭にダメージが行ったらしくて。

 ――弾けないの。

 あんなに軽やかに、簡単に引けたバイオリンが
 どうしても弾けないの。
 どうやって弾いていたのか、思い出せない。

 だから、あたしにバイオリンの弾き方を思い出させて頂戴」


語彙はなるべく弱気なのを見せぬようにしたが、
声は震えてしまっていた。
それほど、チェルロは切羽詰っていた。

――嫌だったのに。
あんなに嫌だったのに。
豪華な舞台に立ってバイオリンを弾く度、
腕を切り落としてでも弾きたくなかったのに。
弾けなくなった途端、こんなにも怖くなった。

不安に顔を下げてしまったチェルロの手に、男の手が重なる。
その手はマッドのもので、彼は飛び切りの笑顔で言った。
気障であからさまなその仕草に、しかしチェルロの胸は詰まった。

「安心してくれよな。絶対、思い出させてみせるから」
「しごとたっせいりつ、ひゃくぱーせんと」
「マッドの言う通り、ご安心下さい。
 ご用件。確かに承りました」

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