第1話/奏 ~Maternal Melody 05

クラスペディアはとっくにその扉を閉めて、
店内をブランとアイオニアで掃除をしている。
それを終えた後、ブランは懐から懐中時計を取り出して言った。

「アニー。マッドにお茶を出してあげて下さい」
「わかった」

箒をブランに預けて、店の奥に消えていく小さな影を
見送って、店の一番奥の扉へ目を向ける。

「まあ、いつもの事ではありますが……。
 今回の仕事も、一筋縄では行きそうにないですね」

思わず漏れた溜息は暗い夜気の中に混じり、静かに消えていった。



昼間チェルロに出したものと同じレモンティーを淹れ、
それをクッキーと一緒にお盆に乗せた。
キッチンから店の一番奥の扉。
木材は古びているが、だからこそ味のある雰囲気を出している。
その扉には、鍵穴はあるがドアノブがなかった。
鍵は掛かっていて侵入する者を拒むようだったが、
アイオニアが鍵穴に軽く触れると

 キィィ……

と微かな音を立てて、迎え入れるように内側に開いた。
冬の夜のような、冷たく澄んだ空気が銀の髪を撫でる。
目の前にあるのは、下へ続く、暗く沈んだ色の螺旋階段。
柵から下を除くと、異様な光景が広がってた。
おそらく、長さにして十五メートルほどの眼下。
薄紫の光が、何かの模様を描いている。
星や丸や四角などが組み合わさった複雑な模様は
誰しもが同じ感想を抱くだろう。
魔法陣、と。

螺旋階段を下り、魔法陣の傍まで歩み寄ると
その光の中心に誰かが立っているのが分かった。
特徴的なオールドオレンジの髪とアッシュローズの瞳。
整った横顔は、床に置かれたバイオリンを見つめている。
ぶつぶつと何事かを呟き、アイオニアには気付いていないらしい。

地下空間は、まるで何かの研究室のようだった。
壁一面に置かれた本棚と、出来る限りまで詰め込まれた本の数々。
所々に設置されたテーブルの上には実験キットが置かれている。
殆どの試験管には何も入っておらず、口を下にして
置かれている。魔法陣に一番近いテーブルの上にある試験管に、
蛍光ブルーに光る液体が入っていた。

そして何よりも目を引くのは、天井に張り巡らされたワイヤーに
吊り下げられた数え切れないほどの鍵の群れ。
数百年の歳を過ごしたものから、
まだ一ヶ月にも満たないようなものまで。

異端審問官が見たら卒倒しそうな、あからさまな
魔法使いの――鍵職人、マッド・ハッターの部屋。

手近なテーブルの上の本を退けて、そこにお盆を置き
アイオニアは魔法使いが自分に気付くのを待った。

最小限の明かりしかない部屋。
しばらくすると紫の光が弱まり、残り火ほどになった。
マッドは気が緩んだのか大きく息を吐き、
そこで初めてアイオニアの存在に気付いた。

「あ、ごめん。気付かなかった」

ワイシャツとスラックスだけの魔法使いは
「ありがと」とだけ告げてお盆の上のクッキーを摘んだ。

「旨い。アニー、料理上手くなったな」
「しはんひん」
「流石アニー。俺の好みにぴったりなチョイスだぜ!」
「ぶらん、かってきた」
「…………」

気まずそうに黙々とクッキーとレモンティーを胃に入れる。
どうやらブランを褒めるつもりはないらしい。

「ばいおりん、どう?」
「んー……まあ、鍵は作れそうだけどな。
 そこんとこは、いつも通りだけど……」

微妙そうな顔に、アイオニアは小首を傾げる。

「……何か、ごっちゃになってるんだよ。
 チェルロは、確かにバイオリンを弾きたいと思ってる。
 でも、弾きたいって言う純粋な思い以外にも
 他の思いが入り乱れてるんだ。
 憎たらしい、けどそれに依存するしかない……っていうか」

アイオニアがますます分からないという顔をする。
マッドは笑いながら銀色の髪を梳いた。

「いや、俺にもよく分かんねえんだよ。
 俺はチェルロの事は何も知らないし、な」

手を離し、滑るように別のテーブルの方へと移動する。
例の蛍光ブルーの液体が入った試験管のあるテーブルの前に立ち、
先ほどから手に握っていたものを試験管の中に
ポトリと落とした。
それは金色に光る、小さな小さな粒のようだった。

――マッドはモノに込められた“想い”から鍵を作る。
本来形のない想いを収集し、凝縮し、形にする。
今のような金色の粒となったそれを、これもまた魔法で作った
液体の中に入れる。
これを何度か繰り返し、そこでようやく『オド』が出来る。
マッドの家系にしか出来ない、他の魔法からは少し外れた、
特別な魔法の中で更に特別な魔法技術。

「今宵は満月だし、今日の内に頑張っておかないと
 明後日っていう約束が守れないな」
「まっどは、だいじょうぶ。できる」

焦りだしているマッドに、アイオニアが励ましの言葉をかける。
マッドは一瞬、きょとんとした顔をし、
すぐに褒められた子供のように、嬉しそうに笑った。

「いやぁ、俺の実力を信じてくれてんの?
 よーし、お兄さん頑張るぞー」
「うん。だって、まっど」

その時、いつも眠たそうな顔をしている彼女が
悪戯っぽく笑ったのは、マッドの見間違いか否か。

「おんなのこの、やくそく。ぜったい、まもる」





その次の日の夜。
あの試験管に入っていた液体は抜かれたように無色になっており、
中には金色の“鍵”が入っていた。
マッドは約束どおりに『オド』を完成させたのだ。

   + + +

あの鍵屋を訪れから、二日後の朝。
病院のベッドで目を覚ましたチェルロは、
病室の窓に何かが挟まっているのに気が付いた。
それはカードで、右上の隅には丸くて黄色い花と
鍵の絵が描かれている。そのカードには、こうあった。

『ご注文の品が仕上がりました。
               鍵屋・クラスペディア』


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