第1話/奏 ~Maternal Melody 06

王立音楽劇場アストラル。

この国の中で一番大きな劇場であり、
限られた才能ある者しか舞台に立てない輝ける華やかな場所。
そのような舞台に若く、いや幼くして立っている
バイオリンの天使チェルロ・リネイリ。
彼女の楽屋は人払いをされており、いるのは
真っ赤なドレスの部屋の主と
いつもより畏まった格好をしたクラスペディアの三人。
三人はチェルロの友人という事で入室許可を得たのだ。

「いやあ、激しい色のドレスをまとった君も美し――」
「マッド。時間が無いので後にして下さい」

すっかりお決まりとなってしまったマッドの口説き文句を
ブランがばっさりと切り落とす。
苦笑いを浮かべるチェルロの前にブランは歩み寄り、

「こちらが『オド』で御座います」

差し出したのは、まるで天から落ちて来たかのような金色の鍵。

「これが……」

恐る恐るといった動作で鍵――『オド』を手に取る。
見た目には純金で作ったような鍵だがそれは存外軽く、
また翳してみると角度や光によって緑、赤、青など
まるでオパールのように様々な色の粒が見て取れた。
ほう、と溜息を吐きたくなる美しさは
魔法の鍵として充分説得力のあるものだった。

「すごい、きれい……。
 あたしが今まで見て来たどの宝石より、綺麗だわ」

チェルロがその美しさに見惚れて思わず素直な感情を漏らす。
マッドが笑顔を浮かべ、ブランも満足そうに頷く。
黄緑のドレスを着たアイオニアもチェルロが翳した
鍵を見ていた。

「それで、これをどうするの?」

チェルロはそれが一番気になっていた。
これはチェルロの記憶を開ける鍵だが、当然ながら彼女の
頭に鍵穴は無い。
一体どのようにするのか――

「安心してくれ。すぐに終わるから」

マッドがチェルロの手から『オド』を受け取り、
手の中でクルクルと回してみせる。
今日の彼の格好はブランと似たような礼服姿だったが、
意外にも結構似合っていた。

「じゃ、立って」

言われたようにチェルロは立ち上がる。
真っ赤なスカートが彼女の足の周りをふわりと囲み、
まるで赤い羽毛に包まれているようだった。

「腕を出して。両腕ね」
「……腕?」
「あーっ、変な意味だと思ってるんだろ?」
「実は、そう思った」
「うわ、酷くね?」
「自業自得でしょうに」
「じごーじとく?」
「自分のした悪い事の報いは自分が受ける、という意味ですよ」
「じごーじとくー」
「ちょ、アニー。連呼しないで」

いつも通りの愉快な三人を見て自然と微笑みつつ、
チェルロは腕をまくり、白く細い腕を晒した。

「綺麗な腕だなぁ。触りたい」
「マッド。慎んで下さい」
「まっど、じちょう?」
「その通りです。よく出来ました、アニー」
「お前ら……俺泣くぞ?」

気を取り直すように咳をすると、
まるで別人ように真剣な顔でチェルロに向き直った。

「腕を前に出して、手をくっ付けて。こんな感じで」

まるで何か小さなプレゼントを受け取るような形になる。
マッドはチェルロの胸の前に出来た三角形の空間に
『オド』を差し込んだ。

「あの……頭じゃないの?」

戸惑った声の疑問に、
マッドは視線を鍵に向けたまま答える。

「……これを作っている時に分かった、
 というか感じたんだけど。
 君はバイオリンを“勘”とか“感性”で弾いている。
 大体の人は演奏する時に頭に楽譜を思い浮かべるけど、
 君の場合は頭の中に曲に対するイメージだ」
「すると?」
「君は頭の理解で弾いているんじゃない。
 “こう弾けばこのイメージ通りに弾ける”という、
 無意識の底に近い状態でバイオリンを弾いているんだ」
「……えーっと、つまり?」

「開けるのは頭じゃなくて、バイオリンを弾く“腕”だ」

マッドが『オド』を持つ手を捻る。

   ――かちゃり

耳元で、もしくは水平線の彼方から、
鍵穴に差した鍵を回す音がした。
そこからの変化は劇的でありながらも静かなものだった。

   + + +

ながれだす。
あふれだす。
とめどなく。
おわりなく。

頭の中で、バイオリンの音が響いた。


          ―――♪―――

   ♪ ♪ ♪
         ♪♪ ♪ ♪   ♪

♪ ♪ ♪  ♪――♪ ♪

時に笑うように、泣くように、怒るように。
優しく激しく、別れるように出会うように。
歩くように走るように泳ぐように落ちるように寝転がるように。

「――あ……」

――――思い出した。

こんなに簡単な事を、どうして忘れていたんだろう。
そう、あたしはいつもバイオリンに語りかけていた。
そうすれば答えてくれた。
思う通りの旋律を奏でて、聴く人達の鼓膜を震わせた。
バイオリンは、この子だけはあたしを裏切ったりしない。

忘れて、ごめん。
思い出したよ。

そう。あたしはあたしの感覚に任せて
貴方に語りかければいい――

   + + +

バイオリンの美しい調べが流れる。
舞台ではなくただの楽屋には不釣合いな音色だったが
それを忘れさせるほどの深さと技術があった。
『オド』がチェルロの記憶を空けた途端、
彼女は傍らにあったストラディバリウスを手に取り
演奏を始めたのだ。

ブランとマッドは同じような表情でその旋律に呆気に取られた。
アイオニアも同じように驚いているのだが残念ながら
顔には出ていない。

曲は短いものであるらしくすぐに激しいクライマックスに
突入し、徐々に安定した穏やかなものに変化していく。
弾いている間――チェルロは目を閉じていた。
手元を確認する事さえない。確かに彼女は感覚で
バイオリンを弾いているのだ。

そして、天使を呼ぶような音色が止む。

「……え? ……あ、あたし……」

終わった途端、今度はチェルロが驚愕を浮かべ
手元のストラディバリウスと三人を何度も見比べた。
――何度弾こうとして、それでも出来なかったのに。
起きた事を正確に捉えるのに数秒を要した。
やっと頭が落ち着いて、呟く。

「…………弾けた」
「はい。素晴らしいと言う他ない演奏でした」

目の前で笑顔を浮かべてくれた彼らを見て、
チェルロは胸が打ち震えたのが分かった。

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