第2話/片 ~SECRET MEMORY 01

「なあ、レノア――」
「いい加減にしてッ!」
ついに堪忍袋の緒が切れた。
激情に押されるままに喉を最大限に活用して、
恐らく私に出せる一番の怖い声を出した。
怒号は空気をビリビリと痺れさせ、周囲にもそれは伝染する。
道行く人々が振り返り、興味深そうにしながらも
決して近付こうとはしなかった。

「ふざけないでよ! 私はレノアじゃないって
 何度言えば分かるの!? 私はルミアよ!」
「き、君こそどうして分かっていないんだ。
 君はレノアで――死んだのは妹のルミアだろう」
レノア――
大切な私の双子のお姉ちゃん。

貴方と彼は素晴らしい恋人同士だった。
その片方が欠けてしまうなんて決してあってはいけない事。
運命の人を失くした貴方の恋人は……狂ってしまった。
彼は私を死んだ姉を双子の妹である私と勘違いして、
私の事を姉の名を呼ぶ。
死んでしまったのは姉――レノアなのに。

「違う。違うわ、フォール。
 あの時、火事で死んだのはレノアよ。
 レノアは死んだの。ここにいるのは双子の妹の、ルミアなのよ」

私だってこんな事言いたくない。
でも彼がずっとレノアに囚われたまま生き続ける事を
きっと彼女は望んでいない。
彼にはきちんと真実を理解させて――次の新しい人を見付けて
新しい人生を、幸せな人生を歩んでほしい。
だって、彼はレノアの恋人なんだから。

ある日、
どんなに言っても真実を認めてくれない彼を連れて、
私たちはとあるお店を捜した。

それは鍵屋さんで、鍵穴の無いもの――記憶でさえも
開け閉めしてくれるという噂の場所だ。
レノアの死のショックで記憶を混乱させてしまった彼に
私ができるのはこんな事だろう。

「フォール。どうか受け止めて。
 ……レノアはきっと、望んでいるから」

それは自分自身への言葉でもあった。
私だってまるで刻まれたように忘れられないのだ。
あの忌々しい真っ赤な炎の記憶を。

   + + +

鍵屋・クラスペディアが開店するのは九時と、
他に比べるとだいぶ遅いがミシェール・ブランの朝は
その二時間前から始まる。

店長であり店の遣り繰りの全てを、本来の店の持ち主である
マッド・ハッターから任されている彼は
しかしこの鍵屋での仕事を天職であると信じていた。
顔を洗い、落ち着いた色合いのスーツに着替え、
一つの螺子を手に取り部屋を出る。

クラスペディアの店の隅には背凭れの高い
木とクッションで出来た安楽椅子がある。
調和の取れた店の中に自然に溶け込むように置いてある椅子に
小さな少女が座って眠っていた。

いや。
この場合――アイオニアの場合、椅子に置いてあるというのが
正しいのかもしれない。

今も彼女は眠っているのではなく、 文字通り“螺子が切れた”状態なのだ。
開かれたままの伏し目にはガラス玉を嵌め込んだように
何を映さず、そこから彼女は微動だにしない。

「おはようございます。アニー」

なんの反応も示さない彼女にブランは朝の挨拶をする。

「今朝も失礼しますよ」

ブランはアイオニアの服のボタンを一つだけ外して
鎖骨の辺りを露わにさせる。
彼女の胸の上の中心には螺子を差し込む穴があった。
穴の周りは金で縁取りがされている。
可憐な少女の胸に空いた螺子巻き穴にブランはそっと、
まるで起こさないようにするかのように螺子を差し込む。

カチチチ カチチチ

合わさって、滞りなく螺子の回る音。
螺子が回る度にアイオニアに生命力が流れ、巡り始めるのが
ブランにもはっきりと分かった。
今まで無機質で冷たく見えた肌が、温もりを持ったように感じる。
実際は違うが、彼女の肌の下で血液が巡っているように思える。

カチ、チチチ……

螺子が限界まで締まる。
差し込んだ時と同じ優しさでそっと螺子を外す。
数秒後、アイオニアの目蓋がぴくりと揺れた。それに併せて
銀色の睫毛もぴくんと跳ねる。ゆっくり。ゆっくりと。
頭から始まって、最後に足先へ。
ゆっくりと、人間より遅めに起きていく。

起きてもなお眠そうな目蓋が胡乱げに開き、透き通る紫が覗いた。

「おはようございます。アニー」

それが二度目の挨拶だという事をアイオニアは知らない。
焦点の合わない寝ぼけ眼が徐々にブランの存在を認め、

「……ふぁ。ぶらん、おはよう」

小さく口を開けて欠伸をする。
ブランは小粒な頭を撫でながら、

「さあ着替えてきてください」
「うん」

椅子からぴょんと飛び降り店の奥に消えていく。


自律人形、という概念がある。
それはあくまで概念であり存在ではない。
理論上はありえる話であり、自律する人形を作る研究を
今まで数え切れないほどの魔法使いがしてきた。
しかしそのどれもが失敗に終わっている。
少なくとも成功したという資料はない。
しかし『クラスペディア』にはアイオニアと言う自律人形が
確かに存在していた。

彼女が一体どういう経緯で誕生したのか?
誰に作られたのか?
どういう仕組みになっているのか?

ブランもマッドも、彼女については詳しくは知らない。
しかし知らなくてもいいと思っている。
アイオニアが話してくれる日まで、
自律人形の“家族”が話してくれる日まで。
その日まで待っていようと、ブランとマッドは決めていた。



「ちょっと女の子とお喋りしてくる」
「待ちなさいマッド」

ドアノブに手を掛けたマッドのコートの襟首をブランが
素早く掴み、マッドの喉から潰れた声が出た。

「三番街の靴屋から合鍵の製造を頼まれていたでしょう、
 それは終わったのですか?
 というかよくも堂々と宣言したものですね」

質問をしているが襟首を掴む手にギチギチと篭る力が
マッドに回答する事を許していない。
数秒の後ブランがパッと手を放し、空気が肺を満たす。

「げほ……っ、あのな、一日中暗い部屋に
 引き篭もってられるかよ。お日様と女の子が足りない。
 いいか。これは仕事運営の向上に繋がるんだ。
 あと、寧ろ堂々としていれば鬼店長も意外にボケて
 くれるんじゃないかと思った」
「女性でしたらここにアニーがいますが」

と言ってブランがアイオニアを示す。
アイオニアは朝食のポタージュを飲むのに意識が
行っていたらしく、どうして自分の名前が呼ばれたのか
分からず首を傾げた。
ぐっとマッドは口籠り、それから黙考するような沈黙が降りて、

「俺はアニーを愛している! だけど他の女性も愛している!
 博愛っつか全愛主義!
 俺の愛たちは誰にも止められね――!」

無茶苦茶な事を叫び強行突破に出る。
不意を突かれ、ブランは捕まえ損ねた。
マッドがドアノブを捻りまだ昇りきっていない日に照らされた
外が眩く映り――

そこに客と思しき若い男女がいた。

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