第2話/片 ~SECRET MEMORY 06

夢から覚めると、そこは悪夢だった。

狂おしいほど熱い赤い悪魔が私を襲う。
必死に逃げようとする私の行く手を塞ぎ、
弄ぶようにジリジリと周りを囲み、迫ってくる。
あまりの恐怖に叫ぼうとしても喉が上手く動かない。
どうやって声を出せばいいのか分からない。
荒い息遣いだけが口から漏れるだけ。
どうしよう。このままじゃ、このままじゃ――
私は生きながら焼かれる×××を目の前で見た。
煙で見えなかったが、きっと×××はこの世の苦しみを
全て味わったような、苦痛の表情をしていたのだろう。
×××の分までしっかり生きようと決めていたのに。
こんな……こんな所で死にたくない。

煙を吸ってしまったのだろうか。意識が朦朧としてきた。
脳が何処か遠くへ行ってしまったかのような気持ち悪さと脱力感。
暴々(ぼうぼう)と炎が燃える音が聞こえる。
バキリと嫌な音がして、目の前で天井が崩れ行く手を阻んだ。
辺りを見回しても赤い悪魔が踊り狂っているだけで先が見えない。
黒い煙が私の鼻や口に入り込み内側から生気を奪っていく。
叫ぼうとして煙を吸ってむせ返る。

「あぁ……」

ふっ、と私の中で何かが切れた。
膝の力が抜けて、支えていた糸が切れた人形のように倒れる。
もう、駄目だ。
双子の私まで×××と同じ末路を辿るなんて。
私達は一体何処まで同じなのかしら。

――×××って、何?
そう考えた瞬間、頭の中で何かが弾けるように再現された。
私の前で誰か女の人が立っている。誰?
×××だ。×××が私を迎えに来たんだわ。

中にあった重いものが取れたように軽い気持ちになる。
手を伸ばし救いを求める。
連れていって。そして生まれ変わって今度も双子になろう。
口元が綻びかけた私を、×××は微笑んで見ていた。
いつもそんな風に笑いかけてくれた。
彼女が口を開き、私の名前を――

(レノア)

音を立てて崩れる。天井でも壁でも物でもない。
崩れたのは私の中の何か。
化けの皮を剥がされたような痛みに私は絶叫した。

   + + +

その古いアパートは燃えている。
ここがルミアの家だと表す表札は既に燃えていたが、
それがなくてもフォールの顔を見れば
ここが彼女の住む場所だという事は明らかだった。
フォールは魂が抜けたような愕然とした顔をしている。

アパートから逃げ出した住民の中にルミアの姿はなかった。

ブランも同じように天を焦がさんとばかりに高く上る炎を
呆然と見つめていたが横を通り過ぎようとした影に
ハッとして咄嗟の判断で彼の腕を掴んだ。
腕を掴まれたマッドは怒りの形相で叫ぶ。

「離せ馬鹿!!」
「馬鹿は貴方だ! 飛び込む気ですか!?」
「ったりめーだろ! 中にまだルミアさんがいるんだぞ!」
「出掛けているかもしれないでしょうッ」
「中にいるかもしれないだろうが!」

二人が言い争うをする横を、小さな影が走り抜けた。
銀色の髪をなびかせて――

「だめ……るみあ、なか、いる。まだ!」

珍しい事にアイオニアは叫ぶような声を出した。

「「アニー!!」」

二人が殆ど同時に名前を呼ぶ。
普段自分から何かをする事が少ない彼女の突然の行動。
ただ彼女の叫びを聞いたフォールが弾かれたように走り出し、
幼い少女の後に続いて炎地獄の中に飛び込んだ。

   + + +

思い出してしまった真実が心を炎よりも熱く激しく焼け尽す。
ああ……そう、そうだった。狂ってしまったのは私だったのだ。
私がフォールにしてしまった仕打ちを思い出して
体が震えた。丸くなって小さくなりたかったが体は動かない。
目を閉じて、ただひたすらに祈った。

神様、お願いです。
このまま死んでも構わないから。
この体が焼け焦げて死んだら私の心をあの人の元に届けて、
そしてどうか一言だけでいいから謝らせて下さい。
フォールに、謝らせて下さい。
どうか、どうか……。

最期の抵抗に炎を恨めしげに睨んだ。
あの子を殺して、更に二度も私を殺すのね。

いよいよ、目の前が暗くなった時、
晴れる事が叶わないと思っていた暗雲から光が差した。

「レノア――!」

   + + +

本当は周りの熱の猛襲に泣きそうだった。
けれど今この炎に飲み込まれている彼女を思えば
自分が泣くわけにもいかない。歯を食いしばって耐えた。
アニーという名の幼い少女の後を追っていたのだが、
その子は途中に見失ってしまった。
しばらく闇雲に炎の中を駆け回っていると、彼女を見付けた。
動かないが、まだ身体は焼けていない。生きているかもしれない。
酸素が殆どないのを忘れて恋人の名を叫んだ。
叫びながら彼女の元まで駆け寄り、抱きしめる。
綺麗な金の髪が見るも無残に焦げていた。

「レノア……!」

頬を叩き、何度も呼びかけている内に
彼女の目蓋がわずかに動いた。
フォールの姿を映したその瞳が驚愕に見開かれたが、
煙が目に沁みたらしくすぐに目を細める。
何かを言おうと開いた口からは咳が出た。

「レノア。大丈夫だ、今助ける!」

普段の消極的な態度からは想像できないほど、
勇ましく堂々とした口調に
レノアが呆気に取られたかのような顔をする。
フォールはレノアの首の後ろに手を置き、膝の裏に腕を差し込み
抱え上げ、炎の中を全力で走り出した。

「フォー、ル……ごめ、なさい……」

死ぬ直前のようであった彼女の体には力が入っておらず、
全体重が遠慮なくフォールに圧し掛かる。

「喋らないで。これ以上煙を吸っちゃ駄目だ」

そういうフォールも既にかなりの量の煙を吸ってしまっていて
危険な状態ではあった。
しかし彼の目は朦朧とはしておらず、寧ろ強い光が
真っ直ぐに宿っていた。
初めて見る彼のそんな姿に彼女は息を呑む。

――いや、違う。以前にも見た。

途端、“思い出してしまった事”を思い出し
胸に巨大な針が刺さったような痛みが襲う。
けれど――今度はこの痛みを向き合わなければならないと
決心した彼女は耐えた。
耐えて、この事を伝えなければと思っていた。
体の感覚がどんどん自分から離れていくのが分かる。
体が言う事を聞いてくれなかった。

フォールはただ必死にアパートの構図を思い出し、
部屋を出て廊下の窓へ向う。
窓を破って出ようとした直前、天井が崩壊し
火を纏った凶悪な木片が降り注いでくる。
レノアを庇うように抱き包み、飛び退く。

「フォール!」
「……っ、大丈夫、大丈夫だから……。
 君を助けないと、僕がやってしまった事の意味がないじゃないか」

フォールが漏らした言葉に、レノアの肩が震える。
再び立ち上がろうとしたフォールが呻き、前屈みに倒れる。
今降ってきた木片の欠片のいくつかが背中に刺さっていたのだ。
それでも立ち上がってレノアを強く抱え上げたフォールの姿に
レノアは泣き出しそうになった。
息苦しさも忘れて、悲鳴のように叫ぶ。

「もういい……! もう、いいよ。
 さっきあの子が迎えに来たの。やっぱり私は
 どこまでもあの子と――ルミアと一緒なんだわ」

ルミアと名乗っていたはずの少女が、
唐突に自分以外の誰かを「ルミア」と呼んだ。
フォールの目に驚愕が浮かぶ。

「レノア――、君、まさか」

炎が迫り来るのも忘れて、二人は息を止めたまま見つめ合う。
二人の間だけ時間が止まったような空気が流れ、
その空気を打ち破る、幼くもはっきりとした声が響いた。

「はやくっ!」

二人がハッとなって顔を上げると、
窓の前を塞いでいた瓦礫を小さな手が“素手”で
押しのけている。
隙間から現れたのは銀髪に紫の目の少女だった。

「ア、アニーちゃん……!?」
「うごく! はやく! にげる!」

端的な言葉だけで叫び、手を伸ばす。
二人はその手を見て、あまりの事に再び時間を忘れた。
アイオニアの手は所々に火傷――否、焦げ目を作り
服は焼け焦げ、腕の表面が溶けていた。
何より手首と腕の関節部分にある、球体。
アイオニアが人形である事を知らない人にとっては
日常かけ離れた妄想のような現実に戸惑うしかない。
けれどアイオニアは戸惑う時間を許さなかった。

「はやく!」

我を取り戻したフォールがレノアを抱え、アイオニアの手を
取ろうとする。
しかしレノアはフォールの腕の中で抵抗するように身じろぎした。

「レ、ノア?」
「私は、私は……やっぱりルミアの所に行く。
 最後に貴方に謝れて、よかった……」
「レノア!」

強い声が返ってきた。

「レノア。アレは僕がした事だ。君が責任を感じる
 必要なんてこれっぽちもないんだよ!
 頼む。ルミアを思うなら、僕に君を助けさせてくれ!」
「ちがう。違うよ……私じゃ、なかったら……
 ルミア、だったら……ルミアは生きて、た、のに」

その言葉にフォールが問いただす暇も無く、
アイオニアがフォールの手を取って、引っ張った。

小さな少女なのに、予想外なほど強い力は二人分の体重を
あっさりと引っ張り上げて、
窓の外の方へと放り出す。

アパートが瓦解したのは、その直後だった。


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