第2話/片 ~SECRET MEMORY 07

「僕は、ルミアを見殺しにしたんです」

重々しく告げられた罪の告白に、
ブラン、マッドが静かに息を呑んで先を促す。
アイオニアは諸事情により今この部屋にはいなかった。

あの火事から数日後。
怪我がある程度まで回復したルミア――ではなくレノアと
フォールは再びクラスペディアを訪れていた。
フォールがまず口にしたのは依頼の取り消し。
そしてその次に事情を説明する、と初めに言った事が
先ほどのそれであった。

「一ヶ月前の火事の時、僕はそこに居合わせて
 レノアとルミアがまだ取り残されていると聞いて
 炎の中に飛び込みました。
 そして倒れていたレノアとルミアを見付けたんです」

急いで二人を抱えて逃げようとしたフォールだが、
普段鍛えているわけでもなかった彼に女性とはいえ
痩せ過ぎているでもない人間二人同時に運ぶのは
無理だった。両脇に抱えて、という事ができない。
あたふたしている内に炎に囲まれ、天井が軋みあげる。
このまま三人で死んでしまうのか――
そう思った矢先、わずかに意識があったルミアが言ったのだ。

……私を置いて逃げて。
フォールにとって大切なのは私じゃなくてレノアでしょう。
恨んだりなんてしないから。逃げて。
二人が幸せになるならそれでいい。
「それで……貴方はレノアさんを選んだのですね」
「……、……はい」

それはフォールの本心を突いた言葉だったのだ。
もしどちらか一人しか助けられないとならば、
恋人であるレノアを救いたい。
けれど自分の価値観でルミアを見捨てる事もできない。
本能はレノアと叫んでも、
理性が道徳心を叫びそれを思いとどまらせる。
しかしルミアは「自分はいい」と言ってくれてしまったのだ。

フォールは――レノアを抱いて、その場から逃げた。
ルミアを置き去りにして。
助けたレノアはルミアの喪失を嘆き、
けれどもフォールを責めるような事をしなかった。
彼女の歯車が狂ったのは、火事があった次の朝。

……レノア? ……何を言っているの。
レノアは死んだのよ。

「いっそ三人で死ねばよかったんだって、
 魘されて、途方もない後悔が押し寄せます」

彼女はフォールの罪さえも忘れてしまった。
最初はその事に安心感さえ覚えてしまったが、
おかしくなってしまった彼女を見ていられなくなり、
けれどどうしようもなくて、
クラスペディアに頼った。

「けど彼女は魔法の鍵がなくても思い出してくれました」

その言葉を最後に、沼の底のような沈黙が訪れる。

「……そんなに辛いってんなら、
 あんたらのその記憶だけを封じるっているのも出来るんだぜ」

沈黙を払った言葉にハッと顔を上げるフォールとレノア。
マッドは俯き加減で、前髪が目元を隠し表情が読み取れなかった。

「俺の仕事は開けるだけじゃない。閉める事もできる。
 いっそスカッと忘れてしまえば楽な事もある。
 ルミアさんは二人の幸せを願って命を捨てたんだ。
 二人が何もかも忘れて笑いながら暮らしても許してくれるさ」

マッドは帽子を手に取り、指先でくるくると回す。
餌を求める魚のように口の開閉を繰り返す二人を見て、
マッドは今の低音の声が嘘だったかのように軽快な声で言った。

「ちょっと悪魔の誘い過ぎたな。こりゃ失礼っと」

突然の豹変ぶりに二人は同時に目を丸くする。
マッドは気にするなとばかりにサクサクと話を進めた。

「まあつまり、レノアさんの記憶は無事に戻り、
 俺達の契約は解除……なわけだ。
 鍵はいらないなんて事になったのは初めてだなぁ」
「す、すみません」
「ああいえ、フォール様が頭を下げる事では御座いません。
 ……マッド、慎みなさい」

へーい、と実の詰まっていない返事。
気紛れな鍵職人の足を踏みつけつつ、テーブルの下の格闘を
全く気取らせない穏やかな顔でブランが言葉を紡ぐ。

「依頼の取り消しは了解しました。
 どうぞ、この鍵職人の気ままな発言はなかった事にして下さい。
 他に何か聞きたい事言いたい事などはおありでしょうか?」

罪の告白を責めるでもなく、慰めるでもなく
さらりと受け流す。
それが無性に嬉しいとフォールは感じた。

「……あの」

と、フォールの気分とは逆に重い声を上げたのはレノアだった。

「アニーちゃんの事、なんですけれど……」

場の空気が一気に冷え込む。

「彼女は、一体……何者なんでしょうか?」

駄目だ、と思いながらもフォールは彼女を止める事ができなかった。
訊きたいけれど訊けなかった事。
あの日、火事の中から救い出してくれた少女は
明らかに人間ではなかった。
陶器でできた人形のような――

「ああ。彼女の事ですか」

軽くなりすぎず、さりとて重くもないブランの声。

「彼女は……概ねお二人の考えている通りで
 間違いないかと思われます。
 童話や小説の中ではよく出てくる題材ですし、ね」

突然、知ってはいけない世の理に触れたかのような
緊張感に喉が鳴る。
しかしブランはそれ以上を語ろうとはせず、
マッドも何も言おうとはしなかった。
――概ね二人の考えている通り……か。

「分かりました。……たとえなんであってもあの子は命の恩人。
 心から感謝していますと、伝えておいて下さい」
「お心遣い、大変感謝いたします」

立ち上がって丁寧に腰を折るブラン。
二人も立ち上がり、鍵屋の二人に向って深くお辞儀をする。
フォールが上着を持ったのを見たブランは
素早く玄関まで先回りしてドアを開く。

「また鍵穴のないものの開け閉めに困った時は、
 どうぞ遠慮なくクラスペディアへお越しください。
 いつでも歓迎いたします」

決め台詞のような事を言うブランにレノアは笑ってみせる。

「本当にありがとう。
 ……笑って生きていくのは無理かもしれないけれど、
 ならせめて微笑みながら生きていくわ。フォールと、二人で」
「式を挙げるときは、ご一報ください」

にっこりとした笑顔で言われた言葉に、
二人は揃って赤面した。
慌てて何かを言おうとした、その時、

――かちゃり

「あら……?」
「あれ……?」

不意に後頭部に違和感を覚えて、
二人は頭に手を回した。
何か――頭の中にある何かが、小さく捻れたような
気がしたのだ。
しかし一瞬の違和感はすぐに消え去り「まあいいか」という
結論にさせる。

数秒後には感じた違和感の事さえ忘れて、
一組のカップルは鍵屋を去って行った。

+ + +

「あの子の為とはいえ、やはり心苦しいですね。
 信じてはいますが、やはり信じ切れていない疑いを持って
 いるのだという証拠ですから……」
「心苦しいのは俺達二人だけさ。
 俺達だけ知っていて、あとの全員が知らないっていうのは、
 それは俺達にとって誰も知らないのと一緒だ」
「そう、ですよね……」

――マッドの手には二つの小さな鍵が握られていた。
手の平の半分ほどもないそれら二つがぶつかり、
澄んだ金属音を立てる。

マッドはこの鍵で、フォールとレノアの二人の
とある部分のみの記憶を閉じた。

アイオニアという自律人形に関わる記憶のみを。

この世界では魔法は人外のものであり、異端のものだ。
故にアイオニアと言う魔法技術の全てを集めたような存在は
危険すぎるのだ。
あの二人がアイオニアの事を他言するとは限らない。
けれど他言しないという確証もない。

複雑な思いでマッドは手の平の二つの鍵を見つめる。
マッドとブランは、彼女を守らなければならない。

深く深く溜息をついた後、

「あーあ。『オド』を二つも作ったっちゅーのに
 料金は欠片もナシか」
「我慢なさい。そして勤勉に働きなさい」
「うるせー。わーっとるわい!」

鍵を光に透かしながら、マッドはふと考える。
今のような苦しい記憶も自分ならば消せる。
誰かに責められるような事でもないし、
忘れた方が楽な事だ。

――馬鹿な事を。
――背負えるさ、このくらい。

俺の能力は、軽々しい道具なんかじゃない。

改めてそう思いなおし、
鍵を保管するべく地下の研究室へ足を向けた。


第2話:終



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