第3話/継 ~Remoto Ambition 01

「こんなものですかね」

右手に鋏と包帯を抱えたブランが立ち上がり、
左手でアニーの頬にかかった髪を払ってやる。

アニー――本名アイオニアと名付けられている自律人形の少女は
包帯を顔や腕などあちこちに巻かれ、
傍から見れば非常に痛々しい姿をしていた。
着ている服もフード付きのローブであり、
徹底的に肌を見せないよう配慮されている。

先日のとある事件により、
彼女は全身に――人間で言うところの火傷を負った。
肌はチョコレートのように溶け、焼け爛れたようになっている。
右腕は球体関節と腕のパーツ部分が溶けてしまった事により
癒着してしまい、使い物にならなくなっている。

早く彼女を直してあげなければと思う二人だったが
そこが一番の問題だった。
アニーはかなりよくできた人形であり、そんじょそこらの
人形職人に任せる事はできない。
更に彼女は希少どころか存在しないと言われている
魔法技術の塊の自律人形である。彼女の存在を許容し、
かつ信頼の置ける人物を探す必要があった。
アニーの修理が終わった後にその人形職人の記憶を消すという
方法もあるにはあるのだが、できればそんな事はしたくない。

そんな人物がいるだろうか、と頭を抱えるブランだったが
悩みはすぐに終わる事になった。
何故か非常に言いにくそうというか、
苦肉の策を提案するかのような声でマッドが言ったのだ。
全ての条件に当てはまる人形職人を一人だけ知っている、と。

それならすぐにその人の元へ飛んでいくべきだ、と
早速準備に取り掛かったブランだがマッドは腹が痛いような顔を
したままであった。
どうしたのかと問うと、彼は苦い声で言った。

「その人とはお前と会うより前の、ガキの頃に一度会ったきりで
 しかも結構ババアだから今生きてるかどうかは分かんねーし。
 つーか俺、その人の事がめっちゃ苦手なんだよな……」
「それなら紹介文を書いて下さい。
 それを持って私とアニーの二人で行きます」

ブランの提案に顔を明るくしたマッドだったが
すぐに思い直すように頭を抱え、

「いや、いい。俺も行く。
 その人にちゃんと話さなきゃいけない事があるんだ」

マッドにとっては色々と複雑な事情がある人物らしい。
――なにか悪戯でもしてこってり絞られたとかでしょうかね……。
子供の頃に怖いと思った人物は、大人になってからでも
そのトラウマはなかなか抜けてくれない。
明らかに気乗りしていないマッドだが、話すことがある、
アニーの為だ、と強引に重い足を動かしていた。

「あにーなおすひと、まっどの、しりあい?」
「そのようです。幼い頃に一度会ったきりらしいので
 少々不安は残りますが……」

上手く動けないアニーの代わりに身支度を整えてやりながら
ブランは小さく溜息を吐いた。

「アニーの支度は終わったか?」

「CLOSE」と書かれた看板を持って店の奥から現れたマッド。
彼の格好にブランは少なからず驚いた。
マッドは焦げ茶色のややくたびれたコートに袖を通さずに羽織り、
前を二本の紐で結んでいた。一見すればマントにも見える。

「……マッド。これから遠出だというのに
 そのコートを着ていくのですか?」

その着古された焦げ茶のコートはマッドが先代――
彼の父のものだった。
代々受け継がれたもののようには思えないが、
それは彼が一人前の鍵職人になった証として受け取ったものだ。

「大事なものなのでしょう。汚れてしまいますよ」

ブランがそう言うとマッドは「あー」と重そうな声で

「いや、着ていく。あのババアの所に行くなら
 これがなきゃ駄目なんだよ」
「……?」

よく意味が分からなかったがそれ以上の追求を
してほしくないというのがマッドの表情から窺えた。

ブランはアニーのフードの位置を直してやり、
店の前に「しばらくお休みします」という旨の看板を置き、
人形職人の下へ向った。

+ + +

船に乗り一晩かけて隣の陸地へ。
そこから馬車に乗って四時間先の町へ、そこからは徒歩だ。
店から思っていたほど遠くはなく、さりとて近くはない場所。
人里離れた静かな森の入り口に一軒のなかなか大きな
家があった。

「かなり遠くてほぼ他人みたいなもんだが一応俺の親戚らしい。
 俺の家系の端っこだから一応魔法使いではある。
 人形作りの腕は確かで、彼女も自律人形の研究をしていた」

そんなざっくりとした説明しか受けていないブランは
相手が老婆である事しか分かっていない。
とりあえず信用はしていい、という言葉を信じて
彼はアニーを優しく先導しながら歩いた。

そして着いたのがこの家だ。

「はあ……なかなか広い家に住んでいらっしゃるのですね」
「昔は彼女の人形を買い漁るコレクターが百といたからな。
 金は余ってるんだろうさ。まあこの家の部屋の大半が
 研究資料か人形で埋まっているんだろうけど」

マッドの足取りは例の家に近付く度に重くなっていく。
まるで教師に呼び出された生徒のようだった。

先に家の前に着いてしまったブランは表札を見る。
荒く削り落としたかのような木の板に雑な字で
「アージア・エジストン」とあった。
詳しくは知らないが、聞き覚えのある名前だ。

「あーじあ」

ぼんやりとしたいつも通りのアニーの声。

「まっどの、かぞく?」
「家族というか……かなりの遠縁な方のようです」

アニーが俯いたのか、ローブの端から銀の髪の毛が
滑り落ちた。
そういえば、とブランは思う。
感情が表れにくいアニーは、しかし内心は結構好奇心旺盛な
一面を持っている。
その彼女があの町を離れて遠出をすれば目を輝かせるに
違いないのだが、道中アニーはずっと大人しかった。
現在の体の状況もあって、なるべく大人しくしてほしいとは
言いつけておいたが、彼女は途中に寄った町を
殆ど見ようとしていないようだった。

もしかしたら“修理”の体験はこれが初めてなのかもしれない。
彼女はずっと不安に駆られていたのかもしれない。

マッドはフードの上からアニーの頭を撫でた。

「大丈夫ですよ。マッドが大丈夫と言っているのですし、
 何かあっても私がいますから」

アニーの紫の瞳が大きく揺れた。

「……うん」

マッドがようやく追いつき、表札の名前を見て
沈痛な面持ちだ。

「さて、お呼びしますよ」

手を上げられそうにないマッドの代わりに
ブランがノッカーを叩いた。
すると扉の向こうからゆっくりと誰かが歩いてくる
気配がした。コッコッ、という音は足音ではなく
杖の音だろう。

「……誰かね」

疲れたような、年老いた声。
ブランが名乗ろうと口を開いた瞬間、
予想外にマッドが素早く名乗った。

「マッド・ハッターだ」
「……っ!」

息を呑む気配。
突き飛ばされるように扉が開き、
中から腰が曲がった小柄な老婆が現れた。
深い皺に囲まれた目は、しかし年老いたものとは思えないほど
強く凛々しい目をしていた。
そんな老婆――人形職人アージア・エジストンは
食い入るようにブランを見ていた。

「あ、あの……突然の来訪、真に申し訳御座いません。
 私達は――」
「あんたが“マッド”なのかね?」
「そいつじゃない。俺だよ。アージアの婆さん」

マッドはわざとらしい無表情でアージアの前に進み出た。
老婆は怪訝そうな顔をするが、彼が羽織っているコートを
見た瞬間、閃いたように叫んだ。

「あんた……クロエ!」
「……くろえ?」

不思議そうに呟いたアニーの声。
それを聞いたマッドの無表情はあっけなく崩れ
叫び返そうと息を吸い込み……大きく溜息を吐いた。

「……文句は後で言う。
 とりあえず中に入れてくれ。俺らは、とある人形の
 修理を頼みに来たんだ」


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