第3話/継 ~Remoto Ambition 02

中はさっぱりと片付けられていたが
それは恐らくあまり「家」という大きな道具を
使っていないからなのだろう。
四人が歩くと所々に積もった埃が舞い上がり
昼の陽光を受けて細く煌いた。

誰もがなんとなく声を上げられないまま
アージアが入れた紅茶を口に含む。
アージアがカップを置いたタイミングを見計らって
ブランがゆっくりと口を開いた。

「自己紹介が遅れました。
 私はここから少し離れた港町で鍵屋をやっております、
 ミシェール・ブランと申します。ブランとお呼び下さい」
「鍵屋、ねえ……普段は鍵屋なのだけれども、
 訳ありの客相手には『オド』を製造するんだろう」

遠くはあるがマッドの親戚で、自身も魔法使いで
あるらしいアージアが自分達の裏家業について知っていても
驚く事ではない。
アージアは皺に埋もれた目を細めてブランを睨むように見た。
老いてもなお鋭い眼光に見られていると自然と萎縮してしまう。

「あんたは……クロエの魔法の弟子か何かなのかい?」
「で、弟子? いえ、私は――」
「クロエって呼ぶな」

ブランの言葉を遮ってクロエと呼ばれたマッドが
不機嫌そうに言い放つ。
気まずい空気の中でアニーだけが状況が分からずに首を傾げた。

「くろえ、なに? だれ?」

アニーの当然の疑問にしかしマッドは顔を渋くする。
そんなマッドを気に食わないとでも言うようにアージアが睨んだ。
ブランはどう言えばいいか、言っても良いのかと悩む。
やがて止まった時間を鍵職人が動かした。

「アニー。クロエっていうのは、俺の……なんていうか、
 ……まあ、本名なんだよ」
「ほんみょう」

アニーは口の中で転がすように繰り返し、

「まっどは、くろえ?」
「うーん、そうなんだけど……」

説明しにくいというよりは、説明したくなさそうに口ごもった
マッドを見かねてブランが後を引き継いだ。

「マッド・ハッターというのは彼の家に代々受け継がれる
 名前なのですよ。かつてクロエという名だった彼は
 先代から『マッド・ハッター』という名前を譲り受ける事で
 本当の意味で鍵職人と店を受け継いだのです」

これを襲名といいます、とブランは締めくくる。
アニーは戸惑うように紫の瞳を揺らし、
とりあえず『マッドは昔クロエという名前だったけれど、
今はマッド・ハッター』という解釈をした。
アニーの混乱がひとまず落ち着いたところで、
冷たい声が水を差した。

「……ふん。信じられないし、認められないね。
 あのクソガキがもうマッド・ハッターを名乗っているなんて」
「事実だ」

きっぱりとしたマッドの声は、しかし暴れだしそうなのを
必死に堪えているかのようだった。

「俺は親父から、確かに名前と店と技術を継いだ。
 クロエはマッド・ハッターになったんだよ」
「引き継いだだけじゃ、堂々と名乗る事は許されない。
 現にあんたはこの子に本名も、過去も
 明かしていなかった。
 ――自分でもまだ自信がないんじゃないのかい」
「なっ……!」

椅子を大きく鳴らして立ち上がる。

「このコートを見てみろ! あの堅物が仕方なく
 こいつを俺に受け渡すと思うのか!」

そういって羽織っていた焦げ茶色のコートを脱ぎ
アージアの前で広げてみせる。
コートの裏の部分には「マッド・ハッター」と書かれていた。

「その先代にあんたは追いついているって言うのかい」
「それは……、……っ!」

マッドは言葉を詰まらせた。
剣呑な空気が漂う老婆と青年の間をブランが割って入る。

「マッド、落ち着いて下さい。
 私たちは彼女に依頼をしにきたんですよ」

ブランの冷静な指摘にマッドは出かかった言葉を
ぐっと飲み下して椅子に座りなおす。

「アージア様、申し訳御座いませんでした」
「……いや、突っかかったあたしも悪かったね。
 それで、直してほしい人形っていうのは?
 わざわざあたしに頼みに来たんだ。曰くつきの
 ものなんだろう」
「曰くつき、といえばそうなのですが。
 ……アニー。フードを取って下さい」

家の中に入ってもずっとフードを外さず、俯きがちだった
アニーがおずおずと手を伸ばしフードを取る。

その爛れた顔を見た瞬間にアージアの顔に浮かんだのは
恐怖の入り混じっていない、純粋な驚愕だった。
口をあんぐりと開き、信じられないものを見た者特有の
思考の止まった呆けた顔で動かなくなる。
紫の瞳を不安げに揺らめかせて、アニーはアージアを見た。

「……まさか」

普通の人間が見たら悲鳴の一つでもあげそうなアニーの顔だが、
アージアはただただ呆然とする。
老婆の手が伸ばすように動いた。その意図を察したアニーが
椅子から降りて彼女の傍まで寄る。
今までの遣り取りで、アニーは少なくともアージアを
自分にとって害のない人間だと判断したのだろう。
アージアは目の前まで来たアニーへ細い皺の多い手を伸ばし、
上着の裾を捲った。
そこにある、球体関節。
それが何を示すのかを人形職人である彼女が間違えるはずがない。
乾いた唇が確認するように言った。

「自律人形……!」

かつて追い求めていたものが、こんなにも近くに存在している。
人形職人の手は震えていた。

「はい。当店自慢の看板娘です。
 今回アージア様に、この子の修理をお願いしたいのです」

+ + +

アージアの興奮がようやく落ち着いてきたところで、
それまでずっと黙っていたマッドがぶっきらぼうに言った。

「……で、アニーの修理やってくれるのか?
 言っておくけどな、研究したいって言い出したら即帰るぞ」
「興味がないって言えば嘘になるがね、今更研究なんて
 忍耐と体力が必要なものをする気もないよ」

マッドの乱暴な言い方に全く言い返さないあたり、
よほどアニーの存在が嬉しいのだろう。

「それに研究なんてこの子が可哀想だろう」

そう言ってアージアはアニーの銀の髪を優しく撫でる。
可愛い孫に向けるような穏和な笑顔だ。
先ほどまで少しは残っていた怯えも今はないらしく、
アニーはされるがままになっていた。
ブランといえば今のアージアの言葉に安心したらしく
そっと胸を撫で下ろしていた。

「それでは、依頼は……」
「もちろん受けてやるさ。
 生きている内に本当の自律人形が見られるなんて……
 その上修理もできるなんて夢のようだ……。
 久しぶりに本気が……いや、一生に一度の全力の機会が
 今やっとここに来たんだね……」

感慨深そうな言い方は、やはり伊達に歳を取っていない、
聞いている者にも迫るような思いを共有させた。

「よかったですね。マッド」

ブランがなんとなしに言う。

「あ、ああ……よかったな」

少し歯切れの悪い言い方だった。
マッドは脱いだコートの上に視線を落とし、
小さく溜息を吐いた。

「さあ、こうしちゃいられない。
 今晩から作業に取り掛かるよ。
 ああ、部屋は沢山余っているから好きな部屋で泊まるといい」
「それは大変助かります」


[次へ]