第3話/継 ~Remoto Ambition 03

アニーの“治療”は螺子が切れてから、と言うことで
今はとりあえず三人が泊まる部屋を掃除する事にした。
ブランが箒で掃いた所をマッドが雑巾で拭いていく。
右腕の使えないアニーは塵取り係になった。
アージアは修理の準備を進めてくるといって、一階奥の部屋に
入ったきり出てくる様子は無かった。

リビングと寝室以外は本当に何処も使っていない人形師の家は
何処もかしこも埃の山だった。
ちょっと箒を動かしただけで、ぶわっと塵が舞い上がり
たちまち塵取りの中は一杯になってしまう。
そんな作業が何回か続き、安心して深呼吸ができるくらいに
なった頃には既に日が半分以上隠れていた。
夕陽の残りを浴びた塵が細かな雪のように煌いている。
かつては客人が泊まる為のきちんとした部屋だったのだろう
ここはベッドや机椅子の押し込まれた物置と化していた。
とりあえず積み上げられた机が横にあってはゆっくりと
眠れないので、机と椅子を別の場所へ移す事にした。

どこに運べばいいのかの指示を仰ぎに
ブランが一階へ降りてアージアが消えた奥の部屋へと向う。
軽くノックを二回。

「アージア様。宜しいでしょうか?」

数秒待ってみたが返事は聞こえない。
声が小さかったかとブランは声を少し張り上げた。

「アージア様。お聞きしたい事があるのですが」

やはり今度も返事はない。
正直に言って、アージアはいつ何が起きてもおかしくないほど
年を取っている。不安になったブランは部屋に入る事に決めた。

「入りますよ。……アージア様?」

ノブは存外にあっけなく回っり、扉が開く。
つんのめりそうになった体勢を戻し、ブランは前を見た。
その目が驚愕に見開かれる。
マッドの鍵の製造場兼研究室とほぼ変わらない
気が遠くなるような量の資料に溢れた部屋。
しかしブランが驚いたのはそこではない。
中央の台座に寝かされている、人形。
その人形は男で、くすんだ橙色の髪を持っていた。
しっかり通った鼻筋も、流麗ながら男らしい輪郭も――
どこか、マッドに似ていた。

「これは……」

呟き、人形の寝かされている台座横の椅子に座り
うつぶせになっているアージアに気付いた。

「アージア様っ」

慌てて肩を揺すって名前を呼ぶと、
アージアは呻くような声を上げ身じろぎをした。
ブランの口から知らずホッと息が漏れる。
アージアは数秒の間思い出すように沈黙し、ブランを見遣った。
瞬間、皺に埋もれた目を精一杯開いて声を荒げた。

「あ、あ、あんた、なんで、ここに、この部屋に」
「申し訳御座いません。ノックをしてお呼びしたのですが、
 返事がなかったので勝手に部屋に上がってしまいました」

まるで執事のように腰を折って謝罪する。
顔を上げるとアージアはハッとした顔で背後をふり返って、
そこに例の人形がある事を確かめると、顔を真っ赤にした。

「ち、違うぞ。これはな、あたしの最高傑作で、いや、
 そうじゃなくて、とにかく久しぶりに人形の修理をするんだ。
 手がなまっていないかどうか、試していたんだよ」

訊いてもいない事を自分で言って慌てる。
顔を真っ赤にして言い訳らしき事を捲くし立てるアージアは
恥ずかしさに戸惑ううら若き少女のようだ。

「そ、それで何か用かね?」

今度は何故か威張るように胸を張って聞いてくる。

「はい。私達がお借りする部屋にある机や椅子を
 別の場所へ移したいのですが、何処へ運べば宜しいでしょうか?」
「あ、ああ。なんだ、そんな事かい。
 なら二階の左手奥の部屋に押し込んどくれ。
 あそこはまだ物が少ないし、どうせ使わないから」
「了解しました」

頭を下げて、ブランは部屋から出て行こうとする。
ノブに手を掛けたところで背後から声がかかる。

「アンタ! ……えっと、ブランか。
 こ、この人形の事は誰にも言うんじゃないよ!」
「え、ええ。りょ、了解しました……」

自分より遙かに年上の老婆がうろたえているというのは
なんだかおかしいと思ってしまうが、
だからといって突っ込んだ事は聞けそうにもない雰囲気だ。
伊達ではないアージアの「絶対に言わない」という空気は
ひしひしと伝わってくる。

「私は何も見ていません。アージア様に机と移動場所を
 聞いただけで御座います」
「ふ、ふんっ。絶対だぞ」

また深く腰を折ってブランは部屋を後にする。
礼儀正しい青年が扉の向こうに消えた事を確認した
アージアは大きく息を吐き、背後に向き直る。
そこにある、橙色の髪の人形。

「……ふん……」

もう一度鼻を鳴らして、人形の髪を梳く。
顔に表れている感情は不機嫌そのものだったが、
髪を梳く手はまるで侵さざるものに触れるようでさえあった。

+ + +

夕食のために台所に向ったブランは愕然としていた。
老婆一人暮らしの家には食糧の備蓄はあれど、
殆どが保存食ばかりで新鮮さを求める事ができなかった。
あの老体で町まで買い物に行く事は辛いのだろうし、
こんな町外れの森の家にまで気遣う人もいないのだろう。
明日自分達が町まで出向いて買ってこよう、と
ブランが缶詰片手に思案に耽っていると背後から声が上がった。

「あーあ、やっぱりな。あの偏食婆、ロクなもん食ってねえや」

机と椅子を全て移動させ終えたマッドだった。
涼しい季節にも関わらずその額には汗の玉が浮かんでいる。
マッドは台所に詰まれた缶詰に呆れた視線を向けつつ、
その内の一つ――ビスケットの缶を拾い上げる。

「アージア婆さんは缶詰の桃とか洋梨ばっかり食っててな、
 自分で料理なんて殆どしねーんだ。少なくとも十数年前は
 そうだったんだけどな……なんも変わってねえや。
 俺、土産だっつってこのビスケット食わされたな」

デザイン性の欠片もない缶に描かれたそっけない文字を
眺めつつ、なんの断りもなしに台所の棚から缶切りを取り出し
ガリゴリと缶の蓋を開ける。
小麦だけで作った丸いだけのビスケットを口の中に放り込み、

「……あの頃の記憶が蘇るようだ……ヤダヤダ」
「マッド。夕食前ですよ。嫌ならすぐにその缶を置きなさい」
「俺重労働されて腹ぺこりんなんですけどー」

苦い顔をしながらビスケットを次々と口へ輸送していくマッド。
しかし不意に、目が遠い昔を見ているそれになった事に気付いて、
ブランは少し迷いつつも訊いてみた。

「貴方、大事な話はいつアージア様にするつもりですか?」

ぽとり、と半分に割れたビスケットが床に落ちる。
残り半分を口に加えたマッドは目を逸らしつつ、
もごもごと言葉を返す。

「誰にでも切り出しにくいっつー事はあるんだぜ、ブラン君」
「正直に言いますけど、アージア様はいつ何がその身に起きても
 おかしくないのですよ。話せる内に話しておくべきです」
「わ……分かってるって。アニーの修理だって一日二日じゃ
 終わらなねーよ。大丈夫、明日くらいに言うから。多分」
「本当なんでしょうね……」

落ちたビスケットを拾ってマッドが台所から出て行く。

「何処へ?」
「勿体ないからこの落ちたヤツを蟻んこにでもあげてくる」

何か言いたげな視線がマッドの背中へ突き刺さる。
それから逃げるように足早にその場を去った。



日が完全に落ちてしまうと、
この辺りは闇に呑み込まれたかのようだった。
少しでもアージアの家から離れればすぐに足元も怪しくなる。
玄関口に座り、適当な仕草でビスケットを闇の中へ投げ捨てる。

涼しい風が焦り気味の頭をあやすように冷やしていく。
見上げれば地上とはうって変わり
ちりばめられた小さな星が賑やかに瞬いている。
部屋に置いてきた焦げ茶のコートと、父親、アージア、
そして昔と今の自分について思い馳せた。

「でも……あの婆さんはやっぱ苦手だ」


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