第3話/継 ~Remoto Ambition 04

食事中、アージアは二つの穴でも開きそうなほど強く
アニーを終始見つめていた。
ブランとマッドは一体なんだと思いつつあまりの鬼気迫るような
勢いになんとなく問わずにいたが、原因にはすぐに思い至った。
人形がものを食べていたら、そりゃ驚くだろうと。
当人は何故自分がそんなに見つめられえているのか
分からないらしく、体が不自由なのも重なって
ぎこちない動きで黙々と食事をしていた。

やがて思い出したようにアージアがようやく視線を外した。
皺に埋もれた、長年の諦念が宿る目で見つめられているのは
訳もわからず緊張してしまうのだろう。
アニーは無意識の内に安堵の息を吐いた。

「……自律人形は食事をするのかい」
「あくまで嗜好品として摂取しています。
 食べたものがどうなるのかは……それは本人にも分かりません」
「驚いた……魔法式で動いているんだから食事は  いらないはず。それでもあえてそうしているっていうのは
 製作者の意図を感じさせるね……。
 より人間らしくするため……? 製作者の目標は
 とにかく人間のような人形を作る事だったのかも……」

自分の世界に入りかけたアージアは自分で我を取り戻し、
スプーンを動かす。
ブランがあるものだけで作ったのはクリームシチューに
焼いた缶詰のパンだった。
ささやかなものだがパンをシチューにつければ
素朴さがなかなかの美味と呼べるものになっていた。
因みに食後のおやつとして先ほどマッドが開封したビスケットの
缶がテーブルの中央に居座っている。

偏食、とマッドが言っていたので手料理は口に合うかと
ブランは心中で心配していたが、存外にアージアの手の動きは
早くて、あっという間に皿を空にした。

「さっき作業場を見てみたけれどね、その子の修理は
 なんとか出来そうだよ。
 早速今夜から取り掛かるからね、男共は気軽に部屋に入るなよ」
「今夜からって、もうすでに月も高いですよ?」
「安心しな。自律人形の修理は珈琲よりずっとよく効く
 目覚まし薬だ」

本当は今すぐにでも作業を始めたくて仕方がないらしい。
興奮を目に宿らせたアージアは同じ人物とは思えないほど
活力に漲っていて若々しく見えた。
それとは打って変わってマッドは薄暗い雰囲気をまとったままだ。
アージアと顔を合わせる事は普段陽気な彼をここまで
黙らせるほどらしい。
それでも時折視線をアージアへ向けている辺り、
話を切り出す取っ掛かりをずっと探しているのだろう。

「おや。口の周りがべたべたじゃないか」

スプーンを滑らかに口へ運べないアニーの口元は
シチューがついていた。
ゆっくりとした動作でアージアが布巾を取り
人形の口元を拭いてやる。
今日始めて会ったというのにそれは可愛い孫にするような
愛情のある光景に見えた。



時刻は丁度九時を過ぎた頃。
ぎこちなかったアニーの動きが更にぎこちなくなり、
動作が途切れ途切れになっていく。
彼女の螺子が切れかかっているのだ。
そんな彼女を夕食のときと同じように見つめるアージアは
期待に満ち満ちている。
アニーといえばそんな視線から逃れるようにマッドの方へ
ふらふらと歩いていった。
彼の足にしがみつき不安で瞳を揺らす。
初めての修理に戸惑いがあるのだろう。
今まで硬い表情をしていたマッドは、しがみつく小さな人形に
ゆるりと顔を解して笑いかける。

「修理が怖いか?」

アージアに聞こえないように少し抑えて話す。
顔を上げてマッドを真っ直ぐに見たアニーは
ちょっとだけ眉を寄せ、

「……よく、わかる、ない」

手術前の人間と同じような不安を示す人形の少女。
治してもらうのだと分かってはいても、自分の肌が切られ
中身が曝け出されるというのは怖い。
彼女の場合は自分でも分からない謎に包まれた体の構造を
他者の手で開かれるのは、落ち着かない気分だろう。

正直、マッドもアニーの仕組みに全く興味がないわけではない。
れっきとした魔法使いであり、伊達に知識がある分、
逆に興味は普通の人間より強いとも言える。
だがそれ以上に彼女を家族として接したいという思いがある。

――家族として、ね……。

「まっ、ど?」

急に黙りこんでしまったマッドの顔を紫色の瞳が覗きこむ。
真っ直ぐに自分を映しこむその目に一瞬息を呑み、
それを誤魔化すようにアニーの銀髪をくしゃっと撫でた。

「ふわわっ」
「安心しろ。アージア婆さん腕は確かだし、
 悪い人じゃないからな」

自分で言った言葉が胸の奥地に刺さり、
また物思いに耽ってしまう。

「そう……悪い人じゃない」

零れるような呟きは人形の耳にまで届かなかった。
どうやって、話しかけよう。話しかける事からが既に難しい。
けれどあちらから話してくる事はきっとないだろう。
――あの婆、墓場まで持っていくつもりかもしれねえし。

そうこうしている内にアニーの目蓋が重そうに落ちてきて、
本格的に動きが停止し始める。
銀色の睫毛に縁取られた目がどんどん閉じられていく。

「おやすみ。アニー」
「おや、す、み……な、さ……」

文字通り螺子の切れて倒れた小さな体を受け止めながら、
マッドは何か話しかけるきっかけはないものかと考える。
きっかけがやって来たのはそれから一時間後だった。

+ + +

この家は海の底に沈んでしまったのかと思うほど
窓の外は明かり一つない闇が続いている。
時々チラつく小さな瞬きは動物の目だろう。
風が葉を躍らせる音がうるさく思えるほど喧騒は遠い。
人が歩いてくる音も、やけに大きく聞こえた。

「マッド」

呼ばれて振り返ればお盆を持ったブランが立っていた。
「何、それ」
「アージア様の夜食です」

どうぞ、とお盆をマッドに押し付ける。
思わず受け取ってしまってから頭に疑問符が浮かぶ。
お盆にはあの缶詰クッキーと紅茶が乗っていて、
普段飲んでいるものとは明らかに違う安っぽい香りがした。

「明日町まで買い物に出かけましょう。
 正直、この家にはまもとな食材がありません。
 多少お金を費やしてでもやはりいいものを食べなければ……」
「いや、ちょっと待て。なんで俺がこれを」

届けなきゃいけないんだ、と言う前に
呆れと非難の混じった深緑の目に睨まれて声が詰まった。

「貴方が届けなくてどうするのです」

それだけ言うとブランは踵を返して二階へ上がって行った。
動くのは紅茶から上がる湯気だけという数秒間が過ぎて、
ようやく気を遣われたという結論に辿り着く。
明日には言う、というマッドの言葉はこれっぽちも
信用されていなかったらしい。

「………………行くか」

深呼吸をして、お盆を持ち直す。
心の準備が、という言い訳は心の奥に押し込んだ。



「ババ……じゃない。アージアの婆さん、入るぞ」

と言ってノックをしただけなのに、
開けていいと言われるまでに随分時間がかかった。
布を広げる音や重いものを移動させる音。
何やってるんだ、と言いたくなるが
そんな軽い文句さえ今は言えないほど喉の通りが悪い。
二分ほどはかかっただろうか。ようやく扉の向こうから
「お入り」とそっけない声が聞こえた。
必要以上の力でドアノブを握り締め、回して押す。
そして部屋の大半が本棚という部屋に入った。

「…………」

思わず目を見張った。
作業場というからてっきり人形が沢山あると思ったら、
ここにあるのは膨大な資料と中央の台座だけだった。
その台座に目を閉じたアニーが横たわっていて、
こちらに背を向けたままのアージアがいた。

「なんだい」
「アンタに夜食。ブランが作った」
「そうかい。そこに置いといてくれ」

用件だけ言ってさっさと出て行けとその背中は語っている。
是非ともそうしたいところなのだが、
ブランの気遣いを無駄にするとどんな説教が返ってくるか
分からないので、腹を括るしかない。

アージアが言った「そこ」とは彼女の横にある丸椅子だった。
椅子をアージアの傍まで引っ張って、夜食を置く。
わざわざ近くに寄ってきた彼にアージアが不審な目を宿らせ、
そこで初めて皺に埋もれた目がマッドへ向く。
内臓が全て浮いたような不安定感と焦りが生まれ、
足がこの部屋から逃げようとするのを必死に押し止めた。
昔のトラウマを、掘り返す。

「話、が、あるんだけど」
「……何の」
「先代と今のマッド・ハッターについて」


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