第3話/継 ~Remoto Ambition 06

「普段女性を口説く時の口の滑りの良さはどうしたのですか」
「あー……いや、その」
「自称・博愛主義の軽薄男が聞いて呆れます」
「……仰る通りで御座います」

本当に反論の余地もない。
ぐうの音も出ず、マッドは足を踏まれる事を覚悟したが
降りかかったのは予想に反した大人しい声だった。

「ですが、私も盗み聞きという褒められない事を
 していましたので……まずは謝ります」
「いや。謝らなくていい。
 ……逆に話しやすくなったくらいだ」

苦く笑いながら前髪を掻き上げ、
整えた髪形が崩れてくしゃくしゃになる。
手の平に浮いた汗をシャツで無作法に拭いつつ
ブランに向って訊いた。

「今の全部聞いてたんだ。俺とババアの間に
 何があったのか、訊きたいだろ?」
「貴方が話したいのなら」

付き合いが長いだけはあるな、とマッドは内心で笑った。
聞きたいとも聞かないとも言わない。
話すか話さないかはあくまでマッド自身に委ねる。
その返事が心を少し軽くした。
相棒としては上出来だと無駄に上から目線で評価しつつ、

「流石のお前でも吃驚すると思うぜ?」

努めて何でもない事のように、
平静に告白した。

「昔。あのババアに殺されかけた」

+ + +

今から十年以上前。
まだマッドがクロエで、年齢が一桁だった頃。
家に遠い親戚であるという女性が訪れた。
お婆さんと呼ぶにはやや抵抗があるが、既に若くはない。
五十代後半ほどの女性だった。
とても高名な人形師でこれまで彼女の作った人形は
全て貴族達にうず高く積まれた金で買い取られているらしい。
確かに彼女の手は老いて皺が多いが、
ただ老いただけではなく何かを創る職人の
皮の厚さと歴戦を物語っている。

とても真っ直ぐな瞳をした人だったというのを覚えている。
ただし、あまりよくない意味で。

アージア・エジストンという彼女は常にマッドの父……
先代のマッド・ハッターを見ていた。
熱っぽい、浮かされたような視線だったが恋ではなかったと思う。
そもそも当時先代は四十代後半でアージアは六十近い。
マッドはアージアが恋の目で見ている訳ではない事を
幼いながら悟っていた。
しかし年下の男に、まるで犬のようについて回り
恋人のように甲斐甲斐しくする理由までは分からなかった。

だが常に先代ばかりを見ていたアージアの目が
ほんの一瞬自分に向いた時、
少年だったマッドは凍りつくような殺意を感じた。
先代の実子で正当な跡継ぎだと紹介された時のあの目。
視線だけで息の根を止められる思いだった。

許せない仇を見るような憎しみと、汚らわしいものを
見るような軽蔑の篭った目は愛されて育った子供には
トラウマになるほどのショックを与えた。

ある日。
外で綺麗な石を集めて遊んでいるとアージアがやって来た。
怖かったが彼女が石をどうするのかと聞いてきたので、
その時だけは自信満々に答えた。

母さまに、きれいな石をあげる。

純粋に誇らしく言った言葉は、しかし彼女の中の
琴線を断ち切った。
呪わしげな声が嗄れた唇から吐かれた。
白髪の間から覗く瞳はどこまでも暗く、暗く、
沸々とどす黒いものが煮詰められていた。

気高き血に、淫婦の血が。

幼い少年に、その言葉の意味は分からなかった。
彼女の殺気はいっそ澄み切ってさえいて――
振りかざされたナイフの銀が陽光に光るのを見て
ようやく我に帰った時には、既に少年の脳天目がけて
刃は振り下ろされていた。
あまりの事に泣き出す事も怖がる事も忘れた
少年の耳に声が届く。

認めない。これが後継者だなんて――

+ + +

唖然とした顔のブランの顔がおかしくて笑っていると、
彼は怒ったように「笑い事ではないでしょう」と言った。
本気で生死に関わる事件だった。
結果は見ての通り、今ここにマッドがいる事が答えなのだが。

「それでその後は?」
「覚えてない」
「は?」
「この後は、気絶しちゃったかなんだかで気付いたら家で、
 婆さんはとっくに家から追い出されていた。
 聞きたかったけど、親父も誰も何も教えてくれなくて。
 聞きづらい雰囲気があったから聞けなくて、
 そして最近までずっと忘れていた」

ブランが複雑そうな顔をする。
十数年前に子供を殺しかけた人と、
今の厳しいながらも優しげな老婆と印象が合わないのかもしれない。

「これまででどんな心情の変化があったのかは知らないが、
 俺は正直会っていきなり刺される事も覚悟してたよ」

けれども、

「それでもどうしてあの人が俺を認めてくれないのか
 知りたかったよ。
 引っ掛かった魚の骨が取れないままなのは嫌だからな」
「……貴方という人は」

それ以上は続かない。それ以上は呆れ果てて
言葉が続かなかったのかもしれない。
はあ、と溜息を吐いて俯けて
考えるように言う。

「貴方のお父様が言わなかったというのは、
 知られたくないか、よっぽど酷い理由なんじゃないですか」
「俺、そんな嘘や優しさで守られなきゃいけないほど
 ガキじゃないぜ」
「そんな事を言っている内は子供です。
 だから精々、痛い目に遭いにいきなさい」

+ + +

何度も接合部分を調節し、測り、また調節し、
それを繰り返してようやくアニーの片腕が嵌った。
並みの職人ならば何時間、何日とかかる作業が
長年積み上げた技術と勘で一つ一時間とかからない。

そしてここまで損傷した人形を、
高い質と再現度で修理し、更にたった数時間で
全てを直すのはどれほどの神業であろうか。

すっかり元の姿に戻ったアニーを満足げに見下ろし、
アージアはようやく動きっぱなしだった手を止めた。
気付けばもう四時間以上も手を止めていなかった。
思い出したようにやって来た疲労が不思議と心地いい。
久々にやりがいのある仕事をした為かもしれなかった。
時計を見れば既に夜が明けている時間だった。
マッドは修理が一日二日で終わるはずが無いと言っていたが
それを綺麗に覆す鮮やかな作業だった。

肩の力を抜いたところで、別の人形が目に入った。
オレンジの髪の、人形の先代。
もし、自分がもう少し若かったらこの自律人形を
自分の物にして先代へ出していたかもしれない。
そんな恥じるべき行為であの人に褒めてもらおうだなんて
愚考にも程があるというものだが。

ふと、作業台横のお盆に目が行く。
結局手をつけなかったティーセット。

利き手で何かを持とうとする時、
いつもこの手が子供を殺しかけたのだと思い出す。

あの日ナイフを握っていた手が、カップを掴む。
赤茶色の水面に浮かぶ年老いた自分の顔を見て、
ある考えが浮かんだ。


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