第3話/継 ~Remoto Ambition 08

この美しいものが、人の想いなんだよ。

そう言われた時、
アージアは自分が恥ずかしくて堪らなくなった。
淡く輝く、古書から浮き上がったオドの材料。
古書に込められていた想いが結晶化した姿。
自分の中にはきっと、こんなものは存在しないと思った。
人形作りの才能が認められてから何十年、
ずっと己の才能のみに固執して磨き上げてきた自信が
崩れていくような気がした。

いや。元々ちょっと押せばすぐに崩れるような
プライドでしかなかったのだ。
金箔を塗っても時間が経てば剥がれて中身が見えてくる。
どんなに誤魔化しても金には成り得ない。
自分を誰もが欲しがる金塊だと思い込んでいた
愚かさが目の前に突き付けられた。

そこから憎しみが敬愛に変わったアージアは自分が純粋な
人間になれたと――勘違いした。
自分の間違いに気付いて、正しくなれたと思っていた。
愛情より清く、怨念より深い盲信の思慕は
彼以外を敵視する危険なものだとは気付かずに。

だから、か。
アージアは彼の妻になった女が許せず、
その間に生まれた子供も――愛する事が出来なかった。


『貴方は勘違いをしているんだよ』

幼い日のマッドを切ろうとしたアージアは先代にそう言われた。

『自分が美徳であると思いたいだけなんだよ。
 私はそう思われるほど素晴らしい人間ではない。
 正しいと思う事をするのは素晴らしい事だが、
 それに誰かを無理矢理当てはめたり押し付けたりするのは
 きっと誰も評価してくれない』

至高と信じた彼から打ちのめされるような言葉を言われ、
理解しようとする思考を止めて揺れる足元で
彼に背を向けようとした時、

『自分を誰かに委ねるべきじゃない。
 人は自分らしくあるべきだ』

それが、アージアが最後に聞いた先代の言葉になった。

+ + +

「出来なくはないだろう?」

唖然とするマッドとブランが何かを言いだす前に
アージアは語り出す。

「寧ろ簡単な事じゃないか。思いを形にする魔法。
 人は思う生き物だ。オドになんてすぐに出来るだろう?」

アージアの口元が引きつる。多分、笑ったのだろう。

マッドは無意識に強く手を握り込んだ。

「何を言っているのか、分かってんのか?」
「勿論さ。
 今のあたしでそんな事をしたら
 負荷に耐えられなくて死んじまうって事だろう?」
「違うっ、死にたいのかって言いたいんだ!」

マッドが真っ向からアージアに叫んだ。

「馬鹿言うな、そんなん自殺だろうが!」
「そうさ。だからあたしが死んでもアンタのせいじゃない」
「そんな心配してねえよッ」

マッドが詰め寄り、掴みかかる勢いで
彼女に喰ってかかる。
初めて見せた本気で強気な態度だった。

「ふざけんな。俺が知りたい事
 何も教えないで死ぬつもりかよ」

しかしマッドの勢いに対してアージアは穏やかだった。
慌てる事も彼の激情に感化される事もなく、
自分自身に言い聞かせるように。

「何でも聞くがいいさ。知りたい事、全部教えてあげるよ。
 この決心ついた時にちゃんと言おうって思えたからね。
 自律人形にも触れたんだ。思い残す事は――」
「死ぬと分かっててやれるか! 見くびんなよババア!」

マッドが叫んだ素直な言葉に
彼女は呆れかえった声をかけた

「馬鹿だねぇ。クロエ、昔殺されかけた人間に
 何言ってるんだい」
「ああ、昨日まではアンタの事が怖かったよ。
 ふざけんなって思ってたよ。だけどな、
 アンタはアニーに優しくしてくれた。
 アニーを直してくれた。
 考えを改めるんだったら、俺にとってはそれで充分だ。
 ……なんで『オド』にしてくれなんて思い付いたんだよ。
 何考えてるんだよ、ババア」

一気に捲し立てた事でマッドの息が上がっている。
それをアージアは、泣きたいような笑いたいような
どうにもならない引きつった顔で見ていた。
信じられない事が起こった時のような顔をしていた。

「馬鹿だね……ほんと、馬鹿……」

更に何かを言おうとしたマッドをブランが
肩を掴んで止める。
ブランが促すようにアージアへ視線を向けたのに倣って
同じように冷静に視線を向けると、
彼女の肩が微かに震えているのが分かった。

顔を覆ったしわくちゃの手の隙間から
水滴が零れ落ちる。

勢いが霧散したマッドと、思い詰めたような顔をしたブランは
何も言えずに立ちつくしていると
諦めたような、
けれど妙に晴れ晴れとした涙声が紡がれた。

「そうだねぇ。どうせあたしなんか、
 あの人が作るに相応しい綺麗な形になんてなれないんだからさ」

背後の先代の人形をそっと撫でる。
愛でるものではなく、縋りつくような手つきに見えた。

「……今のアージア様なら、きっとそんな事はないですよ」

それはブランの本音であったが、
微笑むアージアの顔は慰めと受け取ったようだった。

拳を緩めたマッドが心も緩めるように長く息を吐く。

「……俺にアンタの死期を決めるような権利はねえよ。
 マッド・ハッターに夢見てないで、もうちょっと
 自分の事くらい自分で決めたらどうなんだよ」

アージアの目が見開いた。

「…………おんなじ事、言うんだねぇ」
「は?」

――自分を誰かに委ねるべきじゃない。

そうか、という納得の風が胸の内を通り抜ける。

評価される事と理想を追う事が自分の全てだった。
理想を信じ過ぎて自分らしさなんて忘れていた。

「ああ……本当に馬鹿だねぇ……」

+ + +

ハーブティーの香りが部屋の中を温かく包む。
リビングに戻った三人はブランの淹れた紅茶を飲んでいた。

それまで終始無言だったマッドとアージアだが、
やがてアージアが言いにくそうに切り出した。

「悪かったね。クロエ」

今度はマッドが信じられないものを見たような顔をする。

「なんだい。幽霊でも見たようなその顔は。
 あたしゃまだ生きてるよ」
「いっそ幽霊じゃねえかって思うよ」

そこで続く言葉が見当たらなかったのか、
また沈黙が訪れる。
ブランは何も言わずに寝室の方へ退室した。

黙って出ていく背中を見つめていたアージアに
マッドが問いかける。

「アンタさ――親父の事が好きだったのか?」
「違うよ。近いけど、違うものさ。
 そうだね。信仰心ってやつさ」
「信仰……」

よく分からないという風にマッドが繰り返す。

「あたしは昔から評価されている人間だった。
 だから評価される事が全てで、
 他人の評価があたしを成り立ててしまっている事に
 ずっと気付けなかった。気付いた時には
 もうそこから抜け出せなくなっていた」

カップから立つ湯気がアージアの声のように
途切れなく沸き上がり、天井へ向かって散っていく。

「そこにあの人に先代に……自分よりも
 圧倒的に凄い人に出会って……
 それから改心したつもりになって、やっぱりあの人から
 認めてもらう事しか考えてなかった」

薄茶の水面に映る自分の顔を見つめながら、
ぽつりとアージアは言う。

「こんなに年老いてもまだこんな青臭い悩みを持っているなんて
 情けない限りだけれどさ……
 自分らしいってなんだろうね、クロエ」

ハーブティーを一口啜りながら
青年は答える。

「よく分かんないねーけど、
 今の婆さんは多分自分らしいんじゃないの」
「……そうかい」

アージアはそっと刻みこむように目を閉じる。
マッドは何だか照れ臭くなって、
立ち上がり隣のテーブルに置いてあったティーポットを
手に取った。

「婆さんも紅茶のおかわり、いるか?」

返事はすぐに返って来なかった。
丁度マッドが振り返った時にアージアの手から
ティーポットが滑り落ちる。

冷めて湯気の消えた紅茶が床の上に広がった。

+ + +

「おはようございます。アニー」
「……うー」

目が覚めたアニーは両腕を大きく広げて伸びをし、
ハッと自分の動きの意味に気付いた。

「あ……」
「どこか変な所はありませんか?」

アニーは小さな手を握ったり開いたり、
立ちあがって歩き回ったりして一通り動き、

「へんなところ、ない」
「よかった……」

心底安堵したブランがアニーの頭を撫でる。
くすぐったそうに首を竦めながら、
アニーは瞳で見上げる。

「あーじあ、どこ?
 あにー、ありがとう、いう。
 いっぱいありがとう、いいたい」
「――そうですね。
 またこうして貴方が起き上がれたのは
 あの方のお陰ですからね……」

ブランは微笑んで見せたが、眉尻が下がっている。
小さな人形の少女は首を傾げたが、
彼に手を引かれそのまま家の外へ出た。



アージアの家の裏手に手の平ほどの平たい石が
地面に刺さっていた。

ブランが摘んだ野花をその石の前に置く。
風で飛ばされないように上に小さな石を置いてから
アニーへ振り返った。
ブランの口が開いて、しかしそれより先に少女が問うた。

「これ、おはか?」

驚いた様子のブランが口を閉じる。
知っているのですね、と小さく訊かれて
アニーは頷いた。

「では、お墓は何の為にあるのか知っていますか?」
「しんだひと、うめる。おはな、おく。
 しんだひとに、あいさつ、するの」
「生命の死というのは?」
「しってる。……しってるよ」
「……そうですか」
「あーじあのおはか、なの?」

ポツ、とアニーの頭の上を水滴が跳ねた。
音は鳴り続け、やがて連続した曲になる。
ブランは屋根の下へアニーを誘導し、
銀髪の上の水を払ってやる。

「あーじあのおはか、なんだ」

断定の口調にブランはただ寂しそうに笑って答えた。

「ごめんなさい」
「どうして、ごめんなさい、いうの?」
「……貴方が辛いんじゃないかと思って」
「あにー、いま、むね、いたいの。
 でも、ぶらんのせい、ちがう。
 あーじあのせい、も、ちがうよ」
「そうですね……」

ブランはそっと両腕でアニーを包み込む。

「泣きたかったら泣いてもいいんですよ」
「……それは、よく、わかる、ない」

「ここにいたのか」

ブランの肩越しに傘を差したマッドがいるのが見えた。
小脇に抱えたパンの缶詰と、紅茶の入った瓶を
アージアの墓の前に置くと「俺も俺もー」と
ブランを無理矢理どかしてアニーを抱き締める。
銀髪の中に顔を埋めて、そして何も言わない。

「まっど」
「んー?」
「なきたい、なら、なく、いいの」
「んー……」

雨の勢いは強くなる。

「それはよく分からないなー」
「かなしい、ない?」
「……どうなんだろうなぁ。
 結局死にやがってあのババア、とは思うけど」
「そら、いっぱい、ないてるの」

アニーは目の前のオールドオレンジの髪を
綺麗な手で撫でた。

「だから、まっど、なくの、
 きっと、いそぐ、いらないよ」
「――――あはは。じゃあ、そういう事にしとこうか」

雨足は強くなる。
雨粒は缶詰を強く叩いて静かな森の中に
場違いな甲高い音を鳴らし続けていた。


第3話・終


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