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文化祭実行委員本部の落し物センターには届けられていなかったので
今日見て回った場所に戻って探す事になった。
最初に見た劇の教室は外れだった。

賑やかに、忙しくも楽しそうな生徒に溢れかえる廊下で
僕と仲木戸さんだけが黙って進んでいた。
文化祭が楽しいと言っていた彼女だが今はヘアピンの事で
頭が一杯らしく、俯いたまま僕の方を窺うような素振りもない。
憧れの人の隣で歩いているのに全く面白くない気分のまま
次に見たお化け屋敷の教室へ向かう。
だけどその教室のドアには困った看板が下がっていた。

『只今準備中 午後のお化け屋敷は14:00から!』

可愛いお化けのイラストが描かれた段ボールの看板には
そう書かれていて、中に人の気配がなかった。
時間は十三時を少し過ぎた辺り。恐らくこの出し物の人達は
遅めのお昼休みに出たとかそんなところだろう。

C組の喫茶店を出てから初めて仲木戸さんが戸惑いがちに僕を見た。

「……ど……どうしようか?
 先に他のところ、探した方が……いい、かな?」
「……いや」

――買い出しで偶然合流した時と同じ。
早くこんな事終わらせたい、
彼女とアイツを少しでも離したいという我が侭。

「中入って探してみようよ」
「……でも、勝手に入ったら……」
「大丈夫だよ。少しくらい。
 ヘアピン、大事なものなんだよね」

宮森から貰ったんだよね?

「早く見付けてあげなきゃ」

早く見付けて、ちょっとでもいいからアイツの事なんか忘れてよ。

優しいフリをしながら教室のドアを開ける。
後から慌てて仲木戸さんの足音がついてくる。
電気をつけても、教室内は薄暗いままだった。
危険という事で完全に電気を消してしまうのは禁止されているが、
明るいとお化け屋敷にならないという事で
蛍光灯の周りには色のついたビニールが被せてあった。
我が校伝統のお化け屋敷出店組の法の抜け道。

「……そ、草加くん。……いいのかな、これ」
「平気へーき。ちゃっと探して、ちゃっと出ればいいんだからさ」

控え目で自己主張のない彼女は他者の強引に弱い。
それを分かっていて僕は強引に押し切った。

「……えと……じゃ、じゃあ私こっち、探すね?」

薄暗い中ではよく目を凝らさないと転んでしまいそうだった。
パーテーションで区切られた狭いコースの裏側は
お化け屋敷の準備スペースとなっているらしく、
教室はかなりぎゅうぎゅう詰めだった。

狭い教室を更に狭めて使っているから捜索範囲は全くなく、
反対側からヘアピン探しをしていた仲木戸さんと
すぐぶつかってしまった。

「仲木戸さん、あった?」
「……ない……」

仲木戸さんは肩を落としてしょんぼりする。
ヘアピン一つでここまで真剣になれる程の
思いの丈を垣間見て益々苛立ちが音も無く積もっていく。
ここまで仲木戸さんとずっと二人きりだったのに
どうしてか宮森に邪魔をされている気がしてしまう。
邪魔をしているのは僕なんだけど。

自己嫌悪に頭を掻き毟りそうになった時、
視界の端で小さく光る物があった。

机の下に隠れるように落ちていたそれは
クリスタルが連なった――間違いなく仲木戸さんのヘアピンだった。
これが仲木戸さんが宮森から貰った大切なヘアピンで、
これのせいで二人きりの時間を邪魔されたと思うと
不愉快極まりないが、
これを彼女に渡せば宮森の事も安心して忘れて文化祭を回れるけど、
これを探す名目で彼女とずっと一緒にいられるかもしれない。
指先にへし折りたい衝動が駆け抜け――
突然生まれた凶暴な感情に僕自身が驚いて手を離した。

床へ再び落ちたヘアピンは、仲木戸さんを呼ぶように音を立てた。

「……草加くん? どうしたの?」
「あ……いや……」

変な罪悪感を覚えて、仲木戸さんの方へ振り向けないまま
落ちたそれを拾う。
そうだ。これは、好きな人の大切なもの。
彼女の笑顔の為に、これを渡す――渡さなきゃいけないんだ。
本当にこの子が好きなら、

「ヘアピン、あったよ」
「――ほんとっ?」

彼女にしては珍しく速く反応。
こちらに寄って来た仲木戸さんは僕の手の中のヘアピンを見て、
今にも泣き出しそうなほどホッとした表情をした。

本当にこの子が好きなら、こうするべきだ。
好きな子の笑顔と安心感の為に全て投げ捨てて、捧げるべきだ。
――でも、僕はそこまで清らかではないから。

「……あ、飾り……一個、取れてる」

クリスタル一つが欠けたヘアピンを渡した。

「ほんとだ。それも探す?」
「……ううん。大丈夫、だよ」

たかがヘアピン一つにここまで仲木戸さんが真剣になるように
僕も三つあったたかがヘアピン飾りのクリスタルの一つが
真剣に欲しいと思う。思ってしまう。
こんな小指の爪程のものが
何の繋がりには成り得ないと分かっていながら。
完璧な形で取り戻せなかった彼女を傷つけると分かっていながら。

僕は聖人にも悪人にも偽善者にすらなれない。

「……あ、あのっ。草加くん、一緒に探して、くれて……
 ありがとう。……本当に、ありがとう」
「そ、そんなお礼言われる程の事じゃないよ」
「……ううん。これ、大事なものだから……ありがとう」

教室を出て、仲木戸さんは大切そうに胸元に差した。

「付けないの?」
「……また落とすと、いや、だから」
「大事なんだね」
「……うん」
「宮森にもらったの?」

ボッと、
顔から火が出る勢いで仲木戸さんは顔を真っ赤にした。

「……え、え……なん……何、で……?」
「いや、分かるよ」

どうして分かったのか本気で分からないといううろたえぶりだったが
僕や古林さん以外でも分かるくらい分かりやすいと思う。

あ、とか、う、とか一通りうろたえた後、手を落ち着かなさそうに
もじもじと動かしながら小さく「……うん」と呟いた。

「……私、藤にはたくさん……もらってて……
 もらってるだけで……何も、返せないから……
 だから、せめて、もらったもの……大事に、したいの」

恐らく宮森からしてみれば見返りなんて求めてないんだろう。
強いて言うならあげた時の仲木戸さんの笑顔がみたいとか、
喜ぶ顔が見たいってそれだけ。

「……そんな事無いよ」
「……?」
「宮森は、もう仲木戸さんに沢山もらってると思うよ」

敵を助けるような言葉だと思う。
でも伝えてあげたかった。僕が、仲木戸さんの笑顔が
ヘアピン探しの見返りとして充分過ぎると感じているように。
君は何も出来てないなんて事はないって教えてあげたかった。

「……そう、かな」
「うん」
「……自信ない、けど……ありがとう。草加くん」

恥ずかしそうに微笑んだ。
僕は、敵に塩を送った行為の代償もこれだけでいいんだ。

なんだか照れ臭くなって無意識に耳に触れて、
そこにあるはずの感触がない事に気付いた。

「あ」

ピアスについている筈の飾りを落としたらしい。
いつ落したんだろ。コスプレ衣装に着替え終わった時は
確かにあったのは覚えているんだけど。

「……草加くん?」

天使の羽を生やした背中が振り返る。

「あ、いや。何でもないよっ。大した事じゃないから」

僕のピアスなんて君のヘアピンに比べれば――

「本当……大した事じゃないよ」



高校に入ってすぐの事だった。
何の疑問も迷いも持たずテニス部に入ったが
先輩達は顧問や女子が通った時にしかまともに活動をしなくて
そんな雰囲気に圧されて練習がしづらかった。
ある日、思い切って「練習しないんですか」と聞くと
「草加は真面目だなあ」と笑われた。

別に大会目指してる訳じゃないし、元々ここはそんな感じの部だし、
お前らもそんな真面目に練習しなくていいんだぜ。

当時の部長の言葉に周りは同調していた。
僕はテストが迫っている時もテニスを諦めなかったし、
大会とテスト期間が被っていても諦めずに両立していた。
頑張れば認められたからだ。今まではそうだった。
自分は努力の出来る強い人間だと思っていた。
けれど、あの時の僕は――

「あはは。ですよねー」

今までの自分を殺して、空気に流された。
僕は意思の強い人間じゃなかった。出来る子じゃなかった。
ただ周りの反応を窺って認められるように動いていた。

たった一言を発して、空気に同調して、
転がり落ちていくのは早かった。
先輩達に勧められて髪を染めた。
同級生に一緒にやってみようと言われてピアス穴を開けた。
ラケットを思い切り振る事はなくなった。

所属した場所の空気が悪かった。
学生生活において空気を壊す事はしてはいけない事だと
自分に言い聞かせて一年が過ぎた時だった。

ある無口な少女と図書委員の当番が一緒になった。

正直外見はかなり好みだったし、ラッキーとは思ったけど
全然喋らないし、喋った所でオドオドとつっかえて
普段軽い調子でペラペラと喋る事に慣れた僕にとっては
かなり話しにくい子だと思った。
図書室の閉館時間までお互い黙ったまま。
鐘が鳴って閉館作業で貸出用のパソコンの電源を落とそうとしたら
その子が借りたい本があるからちょっと待ってほしいと
必死な声で止めて来た。
その表紙が見た事あるものだったから、つい、

「あ。その作家良いよね」

なんとなしに話しかけた。
その時のあの子の表情を、まだ鮮明に思い出せる。
彼女もその作家が好きだったのか、緊張がほどけて、
彼女の名前のように――桜の花がほころぶような笑顔だった。

「……はい。私も……この作家は好きです」

その笑顔一つで僕は恋をしてしまった。

同時に、彼女の笑顔を見ていると妙に自分が恥ずかしくなって
直視が出来ない。目を通して奥にいる自分をせめてこの人にだけは
見られたくないと感じた。
久しぶりに心臓がはち切れそうな思いをした。

けれど僕の恋は十分ももたなかった。

この直後に宮森が仲木戸さんを迎えに来たのだ。
彼女の彼を見る目は普通ではなく、うっとりしているようで
見守っているような眼差しは確かにアイツにだけ注がれていた。
芽生えたばかりの感情がパリンと壊れた音を確かに聞いた。

その帰宅後、家の本棚で埃を被っていた文庫を取り出した。
今日、彼女が借りて行った作家の本。
この作家が作るストーリーは難解で人を選ぶが、
言葉や表現が美しく、文をなぞるだけで
頭に溜まったものが落ちて澄み渡っていくような感覚を覚える。

数年ぶりに読み返す文章を眺めながら、
この作家が作る物語とあの子は似ているな、と思った。

それから学校で仲木戸さんを見かける度に
想いは積もっていった。
彼女の目が宮森にしか向いてない事、笑顔も眼差しも
奴以外には滅多に向けられない事はすぐに分かった。
普段ヘッドフォンをして周りを遮断しているような彼女も
宮森の隣ではヘッドフォンを外して、安心したような笑顔を見せる。

少しでも近い立ち位置にいたくて、なんとか友人と呼べる
ポジションに着いた今でも彼女は僕にそんな笑顔を向けてくれない。
寧ろ近付けば近付くほど、僕が安心出来なくなってくる。
仲木戸さんの視線はいつもうつむきがちなのに、
時々酷く真っ直ぐで、それを受けると僕は目を逸らしてしまう。
後ろめたい部分が見透かされそう。水面みたいに彼女の目に
自分が映っているのが怖いと感じる。
そんな視線に射抜かれる度に
本当は「諦められない」なんてロマンチックな理由じゃなくて
また諦めるのが怖いだけなんじゃないかという不安が足元で
口を開けている。
何かを諦めずにいる事で今まで諦めて捨てたものへの
免罪符にしようとしている自分が何処かにいて、
それが仲木戸さんに知られる事を恐れている。

こんな流されっぱなしの自分じゃ、
彼女に届くはずがないと近付くごとに思い知る。



「お邪魔します……」
「なんだ。草加も一緒なのか」

文化祭が終わって放課後、僕は宮森のお見舞いに行くと言う
仲木戸さんについてきていた。
なんとなく、このまま別れて宮森の元へ返すのも癪だったし
実際彼女との時間が名残惜しかったというのもある。

宮森の容体は仲木戸さんが焦っていたほど酷くはなく、
普通にベッドから出て歩いて看病を自分でしていたくらいだった。
それでも仲木戸さんは意外なほど頑固な声で宮森を寝かせると
キッチンに引っ込んでおかゆを作り始めた。

ちなみに、宮森の部屋へは仲木戸さんが持っていた合鍵で入った。
そして今はキッチンから淀みない料理を行う音がする。

……勝手知ったる他人の家か。

癪だから何だのとついてきてみれば結構な精神的ダメージを
負う事になったようだ。

「どうだった、今日の桜は」
「お前、そこは『文化祭楽しかった?』だろ……」
「じゃあ文化祭はどうだったんだ?」

特に悪びれも謝罪の気配もない口調に不快指数を上げられながらも
文化祭の感想を掻い摘んで話す事になってしまった。

「そういえばお前、仲木戸さんにヘアピンあげたのか?」
「ああ。一昨日くらいにあげたな。文化祭のコスプレに
 合いそうだったし」

ああ、確かに似合っていたよ。お前の観察眼は間違ってなかった。
だけどその天使コスプレの仲木戸さんを拝めたのは
お前じゃなくて俺――かすかな優越感に浸っていると、
宮森が爆弾を落として来た。

「あれをあげた時、桜は何度も断ろうとしたんだ。
 桜は、自分は何も俺に返せないって言ったけど、
 全然そんな事無いって言ったら、今度は泣き出しそうになって」

宮森の空気読まないノロケ炸裂だった。
こっちがウジウジと悩んでいる間、こいつは何も後ろめたい事無く
純粋に思い合っている。
やっぱりコイツは本当に癇に障る奴だ。
でも今の僕では仲木戸さんには、宮森には到底届かない。
それでも気持ちに決着がつけられない僕は
きっといつか後ろめたい事一つなく彼女の前に立てるような
人になりたいと思った。
せめて、そこまでよじ登らないと
好きと言える資格さえないと思うから。

「言っておくけどな、宮森。
 僕は当分諦めないからな」
「何が?」

草加棗編 fin.

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