古林楓編 1/3

『孤独は山になく、街にある。
 一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の"間"にある。』
(三木清)



会いたいのに会えないだの、今日は特別な日だからだの、
あの時の君は云々と繰り返すクリスマスソングが街中に洪水している。
けど世間の空気関係なく、受験生にサンタなんて来ないのですよ。

池袋駅。朝のラッシュで低酸素気味のような気がする
駅を抜けて地上に出ると、排気まみれの空気も美味しく感じた。
サンシャイン通りへ向かう方とは反対、明治通りを下る。
咲ヶ丘の制服の波に混ざりながら、白い息を吐いた。

季節は冬。月は十二。日付は二四。
宗教無差別国家日本が特定の宗教の風習を有難がる
もっとも顕著な例と言える日の前夜祭である。
学生としても終業式があり明日から長期休暇という
別の意味で非常に有難い日でもある。
まあ、さっきも言ったようにアタシ高三だし
受験生にクリスマスなんて暢気なものはないんだけど。

はあ、冬だけど青春が枯れている。
花の十代枯れてるよ。

なんて考えていると校門前で、反対側からやってきた
あの三人にバッタリ会った。
相変わらず桜ちゃんを真ん中に、隣の彼氏はボケーっと歩いて、
別の隣の噛ませ犬は必死に尻尾振ってた。

「……あ。楓ちゃん、おはよう」
「んー。おはよーう」

アタシを見付けるなりパタパタと小走りで寄ってくる桜ちゃん。
この女の子は控えめ過ぎるくらい控え目で、
常に相手の事を考え過ぎて言葉選びが慎重になり過ぎている子。
つまり色々度が越えている。
けど今時珍しいくらいすれてなくて純粋な子なので
お姉さん思わず守ってあげたくなっちゃいます。
誕生日はアタシの方が遅いんだけどね。

桜ちゃんと話しながらチラっと後ろを窺うと、
面白くなさそうにしている棗くんと先程の何ら変わりのない藤くん。
いやほんと、男共は可愛くない。

「あ、そだ。その他もおはよう」
「その他って言うな。ていうか宮森と一緒くたにしないでよ」
「古林、おはよう」
「明日から冬休みだねー。桜ちゃんどっか行ったりする?」
「ごく自然に無視すんな!」

後ろのキャンキャン声はスルー。
慈悲深い桜ちゃんは背後の小型犬のような声が気になるようだけど
こっちから話題を振って無視させてみた。
草加棗くんは桜ちゃんが好きだけど、彼女にはもう既に
運命の相手がいらっしゃるので他の男に寄ってはいけないでしょ。

まあその運命の相手は彼女に男が近付いてても頓着してない、
寧ろ桜ちゃんが自分から離れるなんて夢にも思ってないという風に
余裕の態度をかましている。
いやでも彼はボケーっとしているようで、
桜ちゃんから片時も目を離してない。
少なくとも一緒にいる時は
比喩表現ではなくガチでずっと見てる。無言で。
宮森藤くん。別名、仲木戸桜の守護霊。

「桜」

突然、無口な守護霊が口を開いた。
スタスタと桜ちゃんの隣に歩み寄ると、
彼女の腕を掴んで自身の方へ引き寄せる。

「……わっ。ふ、藤?」

よもやそのまま路上キスでもするつもりではなかろうな、と
一瞬思ったけど藤くんの手は桜ちゃんのマフラーに伸びた。

「マフラー、緩んでる」
「……え、あ、ありがと……。
 ……あ。藤の手、あったかいね……」
「そうか? 桜の手が冷たいんじゃないのか」

と言って藤くんは桜ちゃんの手を取って自然に指を絡めた。
桜ちゃんはあわあわと真っ赤になりながらも、
嫌がる素振りは見せずそのまま二人は恋人繋ぎ。

「…………」

ある意味、キスより恥ずかしい。こっちが。
藤くんは桜ちゃんのどんな些細な事も見逃さないし、
桜ちゃんは藤くんの行動一つ一つを惚れ惚れと見詰めている。
わー、青春だねぇ。枯れた花の十代にこの春の陽気はキツい。

あの二人が並んで歩き始めたせいで、
自然とアタシの隣には棗くんが並ぶ。
あーらら、拗ねたような顔しちゃって。

「面白くないって顔してるねぇ」
「べ、別に……そんな風には思ってないよ」
「じゃああれか。仲木戸さんのマフラーになりたい! とか」
「変態か!」
「え、じゃあ靴下になりたいとか? マニアックだね」
「僕を何だと思ってるんだ!」

どこにでもいる高校生みたいに友達と談笑しながら校門をくぐる。
今日は終業式なので学生はこのまま教室へ行かず体育館集合。
その後、各自クラスにて所連絡の後良いお年をで解散。
素晴らしいよね。早く帰れる事は良い事。
それにアタシ、学校ってそんな好きじゃないしね。

「古林。ちょっといいか」

玄関で靴を履き替えていると、背後から名前を呼ばれた。
あー、この声。アイツか。やだな。反応したくないな。
聞こえてないフリしようかな。

「……楓ちゃん? 松本先生、呼んでるよ?」
「あーうん。そうだね。呼んでるね」
「あれ、古林さん達のクラスって松本の授業あったっけ?」
「……え、えと、ない……けど……どうしたんだろう、ね」

首を傾げる桜ちゃんと棗くんの横で、
靴を履き変えつつ藤くんがポツと言った。

「松本先生、進路担当だろ」
「……あ」

二人の目が気まずそうにアタシを見た。
あーあ。“進路に問題のある生徒”ってか。否定しないけど。

「じゃ、アタシ松本ンとこ行ってくるから。
 先行っててよ」

聞きたいけど気まずい気がして聞けない、ってその目。
あんまり好きじゃないから止めてほしい。

上履きを踵に引っ掛けたまま、人混みの流れとは逆方向に歩いた。

   *

いつもは各々の昼食のにおいで臭くなる教室も、
今は窓から侵入してくる冬の風が通り抜けるだけの無臭空間。
ホームルームが終わると大半の生徒は速攻で帰った。
勉強がある人はもう授業をしない学校になんか用はないし
既に推薦受験で受験戦線離脱組もなおさら学校に用はない。
最初は仲良し同士でお喋りしていた子達も三十分以内には出て行った。
桜ちゃんも「またね」の一言で彼氏と下校。

と言う訳で3年C組はアタシ一人だけの空間になっていた。
昨日の内に大掃除を終わらせた教室はこざっぱりして、
普段の乱雑さを感じさせない。
机もロッカーの中も空っぽ。黒板にはチョークも置いてない。
黒板消しは綺麗になっていて、掲示物は全て剥がされている。

「……軽いなあ」

何もない誰もいない教室は案外悪くなかった。
誰もいないのをいい事にアタシは机に腰掛けて
一枚の白紙を見つめた。

正確には、白紙に非ず。
このA4紙には日本語と罫線が書かれていて、
けれど記入欄には何もない。だから白紙。

『進路希望調査書』

松本に渡された紙。失くしましたと適当こいたら
アイツ周到にも用意してた。
この時期にまだ進路について悩んでるのはアタシだけではないけど、
教師に何も相談せず進路相談室にも現れず、何考えてるんだか
分からないのはアタシ一人だけだろう。
夏休み終わってすぐの三者面談では、 都内の大学を考えてますとか殊勝な事言ったけど。

――都内の大学を考えてるんだろう。
  古林の学力ならMARCHに、いや早慶も狙えるんじゃないか。
  まあ強制はしないし行きたい学部に合わせてくれて構わないが。
  もう年末だし早くしないと間に合わないぞ。

全部、そうですねいやどうでしょう考えときます、で済ませた。

――失くしたら、ほら新しいのあるから。
  冬休み中も進路相談室は空いているからな。

ぐしゃっ

白紙に松本の顔が浮かんでいてつい握り潰した。
白紙一枚埋まらないだけで大騒ぎ。すみません面倒な生徒で。
今まで何の問題もなかった優等生がここにきて
進路未確定というのは困った問題でしょう。

「はあ……優等生か」

優等生というレールの上を歩くのは簡単だった。
そのレールの上は特に障害もなく、楽な道だったけれど
進路と言う分岐点でいきなり崖が出てきやがりまして。
崖から飛び降りていいと思えるほど賭けていい夢も
ここからきっと飛び立てると思わせてくれるほどの希望も、
アタシには、

「ないんだなそれが……」

あの子達はどうなんだっけ。
桜ちゃんは、翻訳家になりたいって言ってたな。
ていう事はどこかの外語学科でも受けるのかしら。
藤くんは親戚のインテリアショップを手伝うとか言ってた。
棗くんは知らないけど。
でも皆、
ここまでぐずったりするほど夢も希望も無い訳じゃないんだろうね。

それは、ちょっと、面倒くさくなくていいなと思う。
三年間、あの子達の輪の傍に立って見てたけど
傍観者気取りのようでいつの間にか先を越されてた訳か。

「あーあ……」

ほんと、あーあ。

くしゃくしゃの進路希望調査書を広げて折り折り。
真ん中に合わせて両サイド折って、畳んで、
ぱんぱかぱーん。紙飛行機の完成。
さて紙飛行機をこの崖から飛ばしてみましょう。

机から降りて、開いていた窓に立つ。
昼とはいえ年末の風はかなり寒い。
いつもの生徒の声が聞こえない、閑散とした校舎。
その校庭に向かって、紙飛行機を投げた。
都合よく投げた瞬間に風が吹いて、いい感じに舞い上がる。
寒空に、馬鹿みたいにくるくると。
そして、地面に向かって。

このまま紙飛行機『進路号』がどこにも引っ掛からずに、
地面に落ちたら

「死んじゃおっかなー……」

それでもいいかもしんない――と、ぼんやり眺めていたその時。
校舎から人が出て来た。

「え」

男子生徒三人――内一人は見慣れた一人で、
『進路号』はあろう事かソイツの頭に刺さった。

ソイツは頭に手を回し、落ちる前に紙飛行機を取った。
落ちて来た方向を確かめるように、ソイツは、こっちを――

「――――!!」

思わず窓から離れた。
なんでか分かんないけど吃驚し過ぎて心臓がヤバい。
鞄を掴むと急いで教室を飛び出した。
先生に「帰る時窓閉めてけよ」と言われてたけど
それどころじゃない。
彼がこっちへ来るかもしれない。
ああ、でもアタシは柄にもなく軽くパニくって
頭悪い事に玄関に一番近い階段を下っていた。

階段の踊り場で、誰かとぶつかりそうになって
その誰かが今逃げようとしていた人物だと気付いた。

「なつ、め、くん」
「あれ、古林さん?」

外見のチャラさと合わない普通の微笑みを浮かべて、
棗くんは汚い紙を差し出した。

「丁度良かった。これ、古林さんのじゃない?
 さっき、窓に古林さん見えたからさ」

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