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「……なんか勢いでここまで来ちゃったけれど、
 そろそろ真面目に犯罪に抵触しそうな気がする」
「抵触どころかもう立派なストーカーだよ」

氷が解けて味薄そうなジンジャエールを
ちびちびストローで吸い上げながら棗くんは言う。
アタシの戯言に深いため息を吐いたその顔が
二十歳くらい老けて見えてしまい、
慌てて本音をちょっとだけ添えた。

「いやまあ、アタシ自身もちょっとこれガチの犯罪臭いなーって。
 ちょっと盛り上がり過ぎたなーって思ってる。思ってるよ」
「じゃあ壁に耳当てるの、止めようよ」
「…………」

流石に反論出来なくなって大人しくソファに腰掛けた。

今、アタシ達がいるのはとあるカラオケの七階。
そして丁度隣の別室には藤くんと桜ちゃんがいる。

ウィロードを抜けた後、あのカップルはカラオケ店に入って行った。
ちょっとあれな想像をしていただけに、どこまで行っても学生らしい
選択に正直肩を落とす事を禁じえなかった。
まさかあの二人もこんな所で人の失望を
買っているとは思ってないだろうけど。

しかし気分はすっかり週刊誌の記者気分だったので
このまま手ぶらで帰れるものかと、店の外から
二人が乗ったエレベーターが何階で停まったのかを確認してから
同じカラオケに入り同じ階を選んで潜入した。
運よく店員が二人のいる部屋の隣室を選んでくれたのは良かったけど、
ここまで来るとそろそろ真面目に棗くんがドン引きし出しだ。
ついでにアタシも自分の行動がじわじわと来ていた。
具体的に言うとこれ補導歴つくんじゃねっていうじわじわ。

「……急に大人しくなられると逆に怖いよ、古林さん」
「君の中でアタシってどんな女なの?」

質問をさらっと流して
棗くんは曲の送信機を差し出して来た。

「このまま出るのもなんだし、折角だから
 バレない程度に歌っていこうよ。先入れていいから」
「んー、いいよ。二人きりで歌い合うとか恥ずかしいじゃん。
 それよりお昼まだだったし何か食べようよ。奢るよ」

終業式の後は校内の売店も閉まっていたせいで
朝ごはん以降何も食べてない。
テーブルの上には入店する時に注文したワンドリンクしかないし。
フードメニューを開いて渡すと、

「いや。お腹は空いてるけど、奢られるのは遠慮しとくよ」
「乗り気じゃないのに入店させたのアタシだし、
 楓さん懐に余裕あるから何でも頼んでいいのよ?」
「凄い太っ腹発言だね……古林さんってバイトとかしてたっけ?」
「うんにゃ。したことない。まあ、お小遣い溜めてるだけよ」

高校生にしては随分多額のお小遣いを
毎月貰ってはいるけど。流石に反感を買われたら嫌なので
そこは黙っておく。

メニューから腹が膨れそうなのを注文して、
適当にPV付きの曲を流しては歌わずに眺めて食べるという
カラオケの趣旨からかなり外れた事をする時間が流れた。
運ばれて来た料理がどれも油っぽくて普段なら食べられたものじゃ
なかったけど、メロンソーダで誤魔化して飲み下した。

隣の部屋からは微かにメロディが聞こえてくるけれど
それが何の曲なのかまでは分からなかった。
というか流行りの曲とかあんまり分からないし。

「あの二人ってどんな曲歌うんだろうね」
「宮森は知らないけど、仲木戸さんはこの前ロキノン買ってたよ」
「さすが、よく見てるね。仲木戸桜マニア」
「人を変態みたいな呼び方すんな」

マスタードとケチャップをやたら長いフライドポテトで弄りつつ、

「好きな子の音楽の趣味くらい知っててとーぜんって感じ?」
「当然って訳じゃ……いや知っててもいいだろ、これくらい」
「棗くんってさー……」

一瞬、それを聞くかどうか迷って、質問を飲んだ。
深く突っ込むような質問をするべきか考えたけど、
どうせ三月になったらもう会わないし、
この機会に聞いておいても構わないでしょう

「桜ちゃんのどこが好きなの?」
「どこ、って」

ぶわっと、棗くんの顔が赤くなる。
何を聞くんだと怒られるかと思ったけど、
どうやらちゃんと答えるつもりらしく上を向いて考え込んだ。
そして数十秒ほど考え込んだ挙句、

「――ぜ、ぜんぶ」

想像以上の直球さに思わずメロンソーダを噴いてしまった。

「あああッ、ぜってー笑われると思ったよ!
 ていうか怖い! 古林さん顔の周り緑色の液体まみれにしたまま
 笑わないで、すげー怖い!」
「クッ、うひひ……ど、ドラマみたいなせりふっ……、
 ぷっ、ふはっ、はははっ」

棗くんから投げつけられたタオルで顔を拭いている間も
笑いが止まらず肩が震えまくっていた。

「あーもう、いいよ。笑えよ。
 時間差で僕も恥ずかしくなってきたし……」
「いやいや……ぷふっ……アタシは純粋に感動してるのだよ」

冗談でも好きな子の全部が好きだと言えるなんて素敵ではないですか。
更に棗くんの場合、冗談じゃなく本気だし。
見た目チャラい癖に中身は純情少年なんだから、この人は。

「うーん、でも、一女性として言わしてもらえれば
 『君の全部が好き』というのは逃げに聞こえるよね。
 具体的に示した方が嬉しい人もいると思うよ?」
「妙に生々しいアドバイスをありがとう……。
 ま、いいんだよ。多分、言う事もないんだから」
「あ、言わないんだ?」
「最初から失恋してるし」

軽そうな外見に似合わない重い息が落ちた。
いつから好きだったのかは知らないけど、
もしかしたらこの三年間ずっと望みのない片思いを
続けていたのかもしれない。
それくらいの重みと苦さが今の溜息にはあった。

「大学も全然違うし、卒業したら会えないかもな……」
「…………」

卒業かぁ。
正直、アタシには卒業に対する実感があまりない。
中学へ上がった時も、高校に上がった時も、
単に平日通う場所が変わったという程度の実感しかなかった。
卒業式に周りの子たちがまるで今生の別れのように
泣いているのが理解できなかった。
とりあえず行う儀礼的なものにしか感じないけれど、
他人の口から寂しそうに言われた卒業という言葉は、
同じ意味の筈なのに、響きが違っていた。

棗くんは、卒業が寂しいらしい。
桜ちゃんにだって会おうと思えばいくらでも
連絡を取り合えるのに、分からなくはないが
理解はできなかった。

だけど、

「……仲木戸さんは英文学科でさ、
 翻訳家になる為の勉強するんだって。
 聞き取りとかは苦手だけど、読むのなら得意だって言ってた」

寂しそうに言いながら、なぜか棗くんはちょっと笑っていた。
――そんな表情ってあるんだ。
初めて見たせいで意味が読み取れない。

「……、なんか嬉しそうだね?」
「え? いや、嬉しいっていうか。
 いつか仲木戸さんが翻訳した本が読めたりするのかもしれないし」
「まあ、それは素敵な事だけど」

その前にアタシ達は卒業しないといけなくて、
卒業したら桜ちゃんには会いにくくなる事が君は寂しいんじゃないの。
かませ犬のワンちゃんはなんでいつも
嬉しそうに笑っているのかが分からなかった。

「棗くんは――」

言いかけたその瞬間、部屋の電話がけたたましくアタシの声を蹴とばした。
近くだった棗くんが電話を取る。

「はい。――はい。分かりました。
 延長はしないです」

いつの間にか終了時間になったらしい。
アタシは開きかけだった口元を誤魔化すようにポテトの最後の一本を食べた。

「もう終了時間だってさ。とりあえず出ようか」
「……そーだね」

隣の部屋の二人にバレないよう、そっと部屋を出て
会計を済ませて外に出た。
十二月の風が、脂ぎったものを食べた後では少しだけ心地いい。

   *

東池袋まで戻ってきた。
日が沈み始めたのであちこちで気の早いネオンが輝いている。
でもそれはまだ明るい街並みでは不自然に見えてイブという感じがしない。
まあカップルがやっぱり目につくなというところはあるけれど、
よくよく考えてみたら男の子と一緒に歩いているのはアタシも同じだった。

「そういえばイブなんだよな、今日。
 周りが受験ムード過ぎてなんか実感ないけど」

棗くんの帰り道までなんとなく付き合う事にした。
アタシは普段池袋駅を使っているから、都電で帰る
彼に合わせるのは全くの逆方向になってしまうけど。
まあ最近副都心線が出来たから、雑司ヶ谷駅から
帰っても構わないし。

「イブに好きな子をストーキングとはなかなか濃い体験だったね」
「誰のせいだよ」
「もう一回やって今年の仲木戸桜見納めストーキングしてもいいんだよ?」
「やらねえよ! 別に冬休みなんて2週間もないんだし……。
 あー、でも……一月終わったら自由登校かぁ」

あと何回桜ちゃんに会えるか数えていたんだろうか。
確かに一月が終わったらあとは自由登校だし、
受験が終わっていればあとは卒業式の練習日を除いて
学校に行く日はあと三十もない。
華の高校時代はあとそれだけしか残されていないけど、
やっぱりそう考えても卒業に焦りなどは感じなかった。
進路は焦ってるけど。

「卒業式は三月だけど、一か月分もないよなぁ。登校日」

アタシはこのまま進路定まらなかったら登校日が増えるけどね。

「短かったな青春……大学生も青春に入るかな」
「どうだろうねー。やり残した青春、やるなら今の内じゃない?」

やり残した青春と聞いて、棗くんはちょっと苦そうな顔をした。
もしかしたら心当たりがあるのかもしれないけど、
やっぱり桜ちゃんの事なのかな。

「ほんとにさー、告白とかしないの?
 玉砕覚悟っつか玉砕確実の特攻なんだから寧ろ気が楽じゃない?」
「さっきも言ったけど、言うつもりなんてないよ。
 仲木戸さん優しいから、罪悪感とかそういうの……持ってほしくないし」

長い影を引きずった大勢が通り過ぎていく。
その中の多くがカップルで、腕を組んでにやにやしながら
クリスマスの池袋に飲み込まれていく。
あの二人も今頃はカラオケを出て、手を繋いで歩いているのかもしれない。
それが悔しくない訳がないのに棗くんはずっと奪いもせず、
諦めもせず片思いだけしていた。

「自分の気持ちの区切りをつけるため……とか、よくあるけど
 ふる方も結構キツいとこあるし」
「……まるで今までふった事のあるような口ぶりですな」
「あっ」

しまった、と棗くんは目を逸らす。
けど隠さなくても棗くんなら今までに何度か告白を
受けていてもおかしくはないと思う。
後輩受けとか、いいもんなあ。

「はっはー、青い春ですなぁ」
「な、なんだよ。大体、そういう古林さんこそ
 甘酸っぱい事ないのかよ」
「ないんだなそれが」
「またそういう……」

棗くんは「はぐらかされた」と思っているようだけど
アタシには甘酸っぱい青春なんてこの三年間なかった。
すぐそばに腹いっぱいになるほど甘ったるいカップルはいたけど。

思い返せば周りを見ているだけで
アタシ自身には特別なイベントも何も本当になかった。
「彼氏欲しい」とか「あの仕事に就きたい」とか
特に情熱とかいうのを動員する目標もなかったし。
だから進路が決まらないんだろうけど。

「……ま、大学も青春の内ならまだ
 色々チャンスあるかもね」
「大学ねー……」

アタシが進路希望調査書をまだ出していなかった事を
思い出したのか、棗くんはまた「しまった」という顔をした。
このまま、また気まずくなったら嫌だから
続かないらしい棗くんの言葉を引き継ぐ。

「棗くんは大学入ったらどうするの?」
「ぼ、僕? 僕は……そうだな、まずバイトして
 お金がたまったら一人暮らし、かな。
 うち弟いるんだけど、毎日うるさくてさ」
「あー、いいね。一人暮らし。
 アタシも四人兄弟だから、家賑やかなんだよねえ。学部は?」
「体育……体育の先生とか、トレーナーとか目指そうと思って」
「……ふうん。じゃあ、将来は草加先生か」
「いや、まだ分かんないけどさ」

自信がなさそうに薄く笑いながら彼はそう言うが、
アタシには棗くんはしっかり立っている人間に見えた。
少なくとも方向性はあるんだから、何も決めていない
人間よりずっと良いに決まっている。

「そうなんだ。アタシ、どうしよっかな」

空には冬の短い日が落ちて、西から濃紺が広がってきていた。
その流れがなぜかとてつもなく速く感じた。
引きずられる事すらないまま、
ただ摩耗を待っているかのような錯覚の中で、

「先生とかいいんじゃない?」

ぽつ、と棗くんが何かを言った。

「へ……?」
「あ、いや。今、悩んでるんだったら
 同じように進路とか悩んでる人の気持ちを
 分かってあげられる先生とかいいと思うんだけど
 ……あれ、駄目かな?」

言いながら言葉尻にどんどん焦りが表れていく。
棗くんは腕をばたつかせ下手なダンスのような
奇妙な動きをしながら、

「え、あの、まあ単なる意見っていうか、
 進路の悩みってたいていの人が持ってるだろうし、
 それにほら古林さん頭良いし……だから、
 いや僕個人の考えだから参考程度にって思ってくれれば
 それでいいんだけど……な、なんか言ってよ!
 すげー恥ずかしくなってきたんだけど!」

最後の方は妙な汗と共に噴出していた。
真面目に意見したのがじわじわと恥ずかしくなっていて
一人で焦っているようだけど、
アタシは今彼を笑うつもりなんてなかった。

生徒の悩みを分かってあげられる先生、て。
アタシにとっては教師なんて分かってくれない大人の
代名詞みたいなものだったけど。
棗くんは分かってあげられる教師に、なんて言う。

「アタシが先生って、どう思う?」
「どうって……」

うーん、なんて分かりやすく唸りながら、
既に暗くなった空を見上げて熟考してくれる。

「……なんか緩くて、よく生徒を良いようにパシって、
 職員室で漫画読んでるような先生になりそうだね」

自分から提案しといてなかなか酷い教師像だった。

「うわ酷」
「あはは、でも、僕そういう先生結構好きだよ。
 古林さんって何だかんだ一歩引いて全体を見てるから、
 気付いてあげられる事も多そうだし」
「――――、……」

さらっととんでもない事を、今言われた気がする。
一歩引いたポジションなんて普通だったら
澄ましている感じでよく思われない所だと思うけど。
ムカつくと言われた事はあったけど、
それを笑って言われた事は初めてだった。
進路ひとつ決められない自分の何も無さも、
一歩引いてる姿勢も良いものだとは思っていなかった。

――桜ちゃんといういう者がありながら、
  他の女性に“好き”って棗くんの浮気者。

反射的に言い出しかけた誤魔化しを飲み込む。
今、いつものようにふざけたり誤魔化しては
いけないような気がした。

言葉を返そうと、振り向いて気付く。静かで、周りに人がいない。
最近整備された鬼子母神から池袋の大通りに繋ぐ道は
住宅街という事もあって人家がなかった。
ととん、ととん、という音を立てながら
暗い夜道に小さな都電がアタシ達の横を通り過ぎていく。
都電のライトが照らした棗くんの目は
素直な色をしていた。

「……いいかもね、それ」
「へ……」

アタシが肯定すると、提案者は何故か
豆鉄砲のような顔をした。

「い、いや、あの、いいの?
 僕の意見なんてほんの思いつきだし、
 君の進路なんだからもっとよく考えて……」
「へー、じゃあ今のはテっキトーに言った
 口からでまかせなんだ?」
「ぐっ。そうでもないけど……」

棗くんは、いやあの、と何度も繰り返し口ごもる。

「いいのいいの。なんか今の楓さんグッと来ちゃったもん。
 とりあえず参考にさせてもらうね。
 面倒な話題に付き合ってくれてありがと」
「め、面倒とか言うなよ。君の進路だろ」
「面倒だよ。だからありがと。
 お礼に今から楓さんと甘いイブのアバンチュールなんてどう?」
「……遠慮しとく」

さっきまでは長く感じた距離だったけど、
いつの間にか鬼子母神駅に着いていた。
大都会・池袋のすぐ傍に立っているはずなのに
闇の中に浮かぶようにある駅には誰もいない。

「あ、来た」

ととんととん、と丁度よく都電のライトが
サンシャインを背景にやってくるのが見えた。
小さな荒川線の車両にはそれなりに混んではいたが、
都会の中を走る電車とは思えないノスタルジックな
雰囲気がある。

「……古林さん」
「うん?」
「その、さっきも言ったけど僕のあの提案なんて
 本当にその場で思いついただけみたいなもんだし、
 いい加減に考えてた訳じゃないけど……
 その、君の進路なんだし、あんまり僕の意見を
 鵜呑みにしないでほしいっていうか……」

でも、と棗くんが振り向く。
電車がホームに滑り込んできて、ライトが彼を照らす。

「古林さんに先生が似合いそうってのは本当だよ」

まっすぐに目を射抜かれながら断言されて、
面喰ってらしくもなくそのまま硬直してしまった。
言い切った棗くんは照れ笑いを誤魔化すように鞄を持ち直す。

「じゃ、じゃあ、よいお年をっ」

言い逃げるように早口で別れを告げると、
駆け込むように荒川線へ乗り込んだ。
吃驚している間に電車は発車し、
起き上がる老人の速さで加速し遠ざかって行った。

「――はあ……」

……いい子だなあ。
こんないい子と友達だってことに気づいたのに
卒業がすぐそこまで来ている。

「初めてだね。卒業が嫌だと思ったのは」

だけど――それと同時に、
目標を持って進路を進もうとしている彼を、
そんな彼を知っている自分が何故か少し誇らしく思えた。
たぶん、棗くんが桜ちゃんの夢を話した時と同じ顔を
今のアタシはしているんだろう。
寂しいけれど、少し誇らしい。

「さて……今からだとほぼ一般受験しかないし、
 帰りに世界史の参考書でも買って帰るかぁ」

このまま帰らないでジュンク堂で参考書を物色して、
夜食用のお菓子もコンビニで買っていこう。

――やることが、ある。

軽くなったような体を伸ばし、ふと線路の先を見た。
棗くんを乗せた路面電車はもうずいぶん向こうまで
行ってしまっている。

それに背を向けて、私はビルの光が輝かしい方向を目指して歩き出した。

古林楓編 fin.

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