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「あーそれ、たぶん藤だわ」
「……藤、くん?」

入学式の後、私とお姉ちゃんは池袋駅でランチをとった。
折角の春の陽気だったからベランダ席のあるカフェを選び、
周りは私達と同じ事を考えているらしいお客さんで溢れている。
お姉ちゃんに式の前に話しかけられた男の子の特徴を教えると、
すぐに思い当たったみたいだった。

「うん。宮森藤ってゆーんだけど、中学の後輩」

それを聞いて納得した。
私とお姉ちゃんは四つ離れている。留年でもしない限り
その宮森藤くんという人と同じ中学校に通える筈がないけど、
とにかく年下の面倒見がよくて人気のあるお姉ちゃんは
しょっちゅう母校の小学校や中学校に顔を出しているから
卒業後に知り合った後輩も多い。

「藤は美術部だったんだよ。
 ほらあたしって美術部もやってたじゃない。幽霊だったけど」
「……人数が少ないから、名前……貸してたんだっけ?」
「そうそう」

お姉ちゃんは中学は陸上部だったけれど、
確か友達に頼まれて人数が少ない美術部に名前を貸していたと言っていた。
本当だったらちゃんと顔を出す必要のない部活にまで
親しんだ後輩がいるというのはお姉ちゃんらしい。

「そっか。そういえば藤、咲ヶ丘高校に行くとか言ってたっけなぁ」

言いながらお姉ちゃんはブルーベリーソースのかかったパンケーキを頬張る。
私の目の前にはシロップがこれでもかというくらいかかったパンケーキ。
太りそう、という理由で止めようとしたけれどお姉ちゃん曰く「桜はもっと
食べて太くなった方がいい」という事で無理やり注文させられてしまった。
……今日は入学式だから特別、と自分に言い訳をして食べると
大量のシロップは思っていたよりも甘くなく口の中で生地と一緒にとろけていく。
お姉ちゃんのブルーベリーも美味しそうだけど、新しい制服のブラウスに
ついたらどうしようと考えると少し食べるのは怖い。

「藤は何考えてるんだかわかんない感じだけど、
 別に悪い奴じゃないし、寧ろ良い奴だからそんな警戒しなくても大丈夫よ」
「……あ、その、怖いとか、思ってない」

何を考えているのか分からない、という風な感じは確かにしたけれど。
けれど彼も私がたまたま知り合いの先輩の妹だったというだけで、
私もその宮森くんは姉の後輩だったというだけだから
あれ以上、積極的に関わってこないかもしれない。
私もそんな接点があったからと言って彼に必要以上に近付いたりはしない。

――口下手な私がいると、嫌な気持ちにさせてしまう。

今日は入学式に来てくれた姉も夕方には行ってしまう。
私はしっかりやっていかないといけないから、
お姉ちゃんがいなくても一人で出来るようにならないと。
だから――

「でも、良かった」
「……え?」
「あたしの知り合いが桜と同じ学校で良かったなーって思って。
 あんたたちは今日初めて会っただろうけど、全く縁がない人じゃないし。
 ねえ桜、高校生活上手くやれそう?」

お姉ちゃんはよく笑う。
笑っていてほしかったから、期待を裏切りたくないと思ったから。

「……うん。大丈夫だよ」

不安を隠して、嘘をついた。
私はもうお姉ちゃんを頼れないから。
だから――ひとりに慣れないと。

   *

「仲木戸」
「――は……はいっ?」

入学式の翌日。
学校の廊下で宮森くんに話しかけられた。
まさか声をかけられるとは思っていなかったから
返事する声が裏返ってしまった。

「……な、なん……ですか?」
「おはよう」
「……ぉ……おはよう、ございます」

上級生のいる上の階からは賑やかな雰囲気が伝わってくるが、
新入生の教室のある二階はまだ静か。
昨日会ったばかりの人達と急に仲良くなれる訳もなく、
皆お互いの出方を見つつ、そわそわと同じ新入生を見ている――
そんな子が大半なのに彼はそうじゃなかったみたいだった。

会釈をして、そのまま宮森くんの横を通り過ぎようとしたけど
彼はそのまま私の隣を歩き出した。

――つ、ついてきた……?

「同い年なんだから敬語とかいらない」
「……ええっと、く、癖、みたいなもので……」
「同級生に敬語を使うのが?」

一杯一杯で回らない口のかわりに、首を縦に振る。
宮森くんは「そう」と返事をしただけで、後は私の隣を歩いた。

「………………」

玄関口から教室までの道のりが酷く長い。
昨日初めて会ったばかりの、それも男の子に何を話したらいいか
分からなくて、結局何も声にならず黙って一緒に歩く事になった。
まだ一人で行動している新入生たちの中で
並んで歩く私たちは目立ってしまう。

「俺の事、先輩から聞いたの?」
「えッ……、えと、はい。……聞きました」
「昨日って先輩は来てたの?」
「……はい」
「そう。挨拶しておけばよかったな」
「……すみません」

それまで表情を変えずに前を向いて話していた宮森くんが、
きょとんとした顔で私を振り向いた。

「なんで謝る?」
「……み、宮森くんが、おねえちゃ……姉に挨拶、したかったのに
 私たちが……先に、帰っちゃったから」
「? そんなの謝られるような事じゃない」
「……すみません」
「………………」

会話はそこまでだった。
会談を上って教室に着くまで、ただ無音が漂う。

――また、やってしまったんだ……。

口下手と人見知りのせいで、きっと宮森くんを
嫌な気持ちにさせてしまった。

「……じゃあ、俺B組だから」
「……はい」

入学したばかりの男女が並んで歩いたせいで、
廊下や教室の方から好奇の目線が向いているのが分かる。
宮森くんはそれに気付いていないのか、気にしていないのか
前を向いたまま堂々と隣の教室へ入っていった。

――クール、とかなのかな……。

私は、周りの視線に耐えられないのに。
俯いて、誰の視線ともぶつからないように私は朝の教室に入った。

   *

教室でホームルームを受け、担任が改めてこの学校の説明をし
その後体育館で上級生のよる新入生歓迎の催しが行われる。
出席番号順で並び、体育館に入るまでは何も問題はなかったのに、
体育館に入った途端「順番は決めてないから適当に座れ」という
先生の指示が出た。
皆、おずおずとその場に座ったり、積極的に周りに話しかけて
隣に体育座りをしたりしている。
私は少し後ろ側で、端っこの方に座ろうとした時。

「仲木戸」
「…………!?」

先に来ていたB組の輪から宮森くんが私の方へやってきた。
いきなり自分のクラスから外れて移動する生徒なんて
他にはいないのに宮森くんは気にする様子もない。

「傍、いいか?」
「……は、はい……どうぞ」

私が返事をすると、宮森くんは傍に腰を下ろした。
隣と言うには少し離れていて、
隣ではないというには人一人分も空いていない。
確かに「傍」という距離感の位置に彼は座る。

「………………」

何を聞かれるのかと思って身構えていたけれど、
今度は初めから何も会話が発生しない。
それは少し安心したけど、少し後ろ側と言え
自分のクラスから大きく離れた宮森くんはやっぱり目立っている。
それはすぐ傍に座る私も目立つ事も意味していて――

――な、なんなんだろう……この人。

上級生による歓迎の言葉やブラスバンド部の演奏も、
混乱した頭には何一つ入ってこない。
結局、新入生歓迎式が終わるまで私と彼は
特に何も話さなかった。

   *

「仲木戸」
「…………はい」

本格的な授業開始は明日から、という事で
今日は新入生歓迎式と各部活動の紹介だけで終わった。

そして、玄関口でまた宮森くんに話しかけられた。
他のクラスも同じタイミングで解散になり、
新入生で溢れる帰りの玄関口だった。

――どうしよう。この人が何考えているのか分からない……。

「……あ、あの……なんでしょうか?」
「何って……」

話しかけてから話す内容を考え始めた、という風に
宮森くんは頭を捻った。

「そこまでちょっと歩こう」
「……はい……」

昨日はあんなに枝の先で色を膨らませていた桜の花は
たった一日で少し痩せてしまっていた。
花の命は短いなあ――とか、必死に雑念を呼び寄せる。
歩こう、と言われたので並んで歩き始めても
私と宮森くんの間に特に会話はなかった。
何か言わなきゃ。でも何を? ……それだけが頭の中で
堂々巡りをしていて、結局雑念に逃げるしかなかった。

池袋駅を背に坂を下る。
私の家は鬼子母神堂の近くだけれど
今更ながら彼の家はこっちでいいのだろうか、と気付いた。

「……あの……宮森くんは、電車じゃないんですか?」
「ん? ああ、家? 俺は音羽通りの方」

音羽通り――だと講談社の近くに住んでいるのかな。

「仲木戸は?」
「……き、鬼子母神の方……です」
「学校から近いな」
「……そ、そう、ですね」
「今、先輩は家にいるのか?
 大学生になったら家出るって聞いたけど、
 あの人もう一人暮らししてるの」
「……はい。姉は、今は一人暮らしして――」

やっと少し会話らしい事が出来たところで、ふと思い至った。
もしかして――宮森くんは、お姉ちゃんが気になっているから
私に近付いてくるんだろうか。
朝からお姉ちゃんの話題が多いし、
『仲木戸桃の妹』という事で話しかけられた事は少なくない。
ほとんどの場合は私が何にも話せなくなって
諦めていく人ばかりだったけれど……。

「……宮森くん、は……美術部で……
 姉の後輩、だったんですよね」
「ああ。先輩は絵も彫刻もやらないみたいだけど
 放課後になるとたまに部室に来てたな」

クールというか少し不思議な宮森くんと、ひたすら明るいお姉ちゃんが
仲良さそうな場面はうまく描けないけれど、
彼の声から、お姉ちゃんを慕っていた事はよく分かった。

「……もっと明るい絵を描けってよく言われたな」
「…………」

宮森くんは少しはにかみ気味に言った。
思えば、彼の笑顔は初めて見たかもしれない。
笑顔というほど濃いものではなかったけれど……
やっぱり――宮森くんはおねえちゃんが気になるんだ。

「…………」

次にかける言葉を私はまた見失う。
宮森くんも特に話題を振ってくる事のないまま、
私たちは無言で春の坂道を下って行った。

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