「瑛」と書いて「アキラ」と呼ぶ男の子が居た。

癖のある赤毛で、目の黒はとても深い感じがあって、
ちょっと浮世離れした雰囲気があった。

あたしが瑛に出会ったのは、
蝉の鳴き声がうるさい夏の日。

あたしが瑛に最後に会ったのは、
蝉の鳴き声がうるさい夏の夜。

三年前。
夏休みが終わる頃の、夏祭りの夜。

「イロハ――」

瑛はあたしの名前を呼んだ。
それだけで、あたしの背中に冷や汗が浮かんだ。

「もし、自分が自分じゃなかったら、どうする?」

夏祭りの喧騒から離れた薄暗い神社の裏側。
そこには、あたしと瑛だけが居た。

「イロハが思っているほど
 自分が自分じゃなかったら、どうする?」

少し離れているだけ。
神社をぐるっと回れば、
すぐに賑やかな夏祭りが見えるのに。
その賑やかさも、提燈の明かりも、
焼き蕎麦やたこ焼きや綿飴の匂いも届かない。
月と星の明るさだけが、ここを照らしている。
今この場所が、お祭りから、
世界から、切り離されたみたいだった。

「そして、イロハの知らないイロハが
 イロハの認められないものだったら、どうする?」

真っ暗でほとんど何も見えないのに、
瑛がそこに居る、という事は解る。

「どうする?」

どうして、あたしは。
こんなにも、瑛が怖いと思うのだろう。

「イロハは、どうする?」

ここには、何も届かない。

嗚呼、けれど――
蝉の、雨の降るような鳴き声だけが、響いていた。




あたしが瑛の事を思い出した理由は、
瑛から手紙が届いたからだ。
手紙には、ただ一言

『イロハに会いたい』

とだけ。
封筒にはちゃんと、住所が書いてある。
住所はおろか、電話番号さえ教えてくれなかったのに。

あたしは迷わず、荷物を纏めて
毎日メールするから、とお父さんを強引に説き伏せて
単身、新幹線に乗り込んだ。

瑛が何を考えているのかなんて、解らない。
なんだか怖い気もする。
けど、あの蝉時雨の中に消えてしまったあの問いの答えを、
あたしは返さなきゃいけないんだ。
その答えすら、また知らないけれど。

瑛が居る場所に、きっと答えは在る。


季節は夏。

つんざくように、蝉が鳴いている。


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