伍/我が愛しき赤鬼 〇二

その声には聞き覚えがあった。
隠せぬ老いが伺えるが、なお強く鋭いものもある声。

「……志枝さん」

穴の上に居る志枝。
色葉の状態を見て、慌てたように穴の中へ
老婆とは思えない身のこなしで降りてくる。

「何やってるの、色葉ちゃん!」

すぐに色葉の手にある石を奪ってそれを投げ飛ばす。
石はぬかるんだ地面に落ちて音も立てなかった。
志枝は色葉を抱えて起こし、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「色葉ちゃん、どうしたんだい。大丈夫なの?」
「あんまり……大丈夫じゃ、ないです」
「そうね……色葉ちゃん、泣いているもの」

言われて初めて気付いた。
色葉は目元を拭い、付いた液体を舐める。
……しょっぱい。

「あの、あのね。色葉ちゃん。今から言う事、
意味が解らなかったら、忘れて」

そう前置きをして、志枝は恐る恐るといった感じで口を開いた。

「もしかして……貴方の中の鬼が目を覚ましたの?」



志枝の家に上げてもらった色葉は、汚れた服を全部脱いで
志枝が昔着ていたと言う所々に白い花の咲く青い着物を着るのに
悪戦苦闘していた。

「色葉ちゃん、大丈夫? 着れそう?」
「はい……まあ、なんとか」

手にこつん、と何かが触れた。
瑛がくれた首に巻いた紐の先に付いている鈍い金色の勾玉。
そういえばずっと身に付けたままだったのを忘れていた。

「……瑛」

変な所がないか確認してから志枝の待つ居間へ向った。

「わあ、可愛い。似合ってるよ。
髪留めのゴムもあれば良かったんだけどね」
「……いえ、ありがとうございます」

髪留めのゴムがないので髪を下ろしたまま。
可愛いと言われた事に照れを覚えながら、色葉は慣れない着物で
慎重に座布団の上に座った。

「……それで、あの……、
さっき言ってた“鬼”の事なんですけど。
……どうして志枝さんが知ってるんですか?」

志枝の顔が途端に曇った。
どう言えば良いのか、しばらくの間考えた後、
思い切ったように口を開いた。

「いや、ねえ……私も鬼なんだよね」
「…………わお」

そんなおかしな反応しか取れなかった。

「と言ってもね、もう殆ど鬼の力も使えない。
角だって出ないんだから、人より少し力が強いだけの婆あさ。
この村は皆、そうなのよ」

そうならば見た目よりも身のこなしが軽そうなのも頷ける。
もう疑ったり逡巡したりする事すら面倒臭くなってきた色葉は
言われた事目の前にある事、そのまま受け止めることにした。
妖怪に襲われたときのように。
変に疑りをかけるよりは、こっちの方が楽だ。

「この村のもんは皆、祖先は鬼だった奴ばっかりさ。
 もう、知ってるんでしょ?
 二百年くらい前にイロハちゃんが消えた後、今貴方の中にいる
 奴らの気に当てられた元名桐村は一年も掛からずに全滅したよ。
 それでここに住み始めたのが――
私達の祖先、瑛ちゃんの鬼達さ」
「……だから百の鬼の村、なんですか?」
「まあ、ね」

志枝は懐かしむように目を細めた。
自身の記憶でなくとも、
志枝に流れる血が懐かしんでいるのだろうか。

「……あたしはどうすればいいんでしょうか」

悲痛の滲む声で色葉が呟いた。

「あたし、こんなの全然知らなかった。
 どうしてこんな事になっちゃったんでしょう。
 ……あたし、瑛に殺される……」

手が震えた。身体が震えた。
今だって、瑛が殺しに来るのかもしれないのに。
それに、逃げ続ける事は出来ない。

人間に会えば、あたしはきっとその人を殺してしまう。
志枝が大丈夫なのは、彼女がまだ鬼だからだ。

殺せと言うのだ。
あたしの中の鬼が、人を殺せと。

まず、生きている事が許せない。

「……あたしは……」
「まったく! 瑛ちゃんは何をやってるんだろうね!?」

突然志枝が大声を上げた。
先ほどの顔とは打って変わってひどく憤慨した顔をして、
ここにいない瑛を罵倒した。

「こんな可愛い女の子を泣かせて、それで自分は迎えに来る
 事もしないで何処ほっつき歩いてるんだ!」

……いや、正直この状況で瑛が迎えに来るのは困るんですけど。

「いいかい、色葉ちゃん! 男尊女卑? 上等じゃないか。
 思い切り甘えさせてもらいな。か弱いんだから守ってもらいな。
 女の子の為に命張った時こそ男に磨きが掛かる!
 そうだと思わない!?」

あ、あれ。何か女子高生の恋のお悩み相談みたいになって……?

「瑛ちゃんが色葉ちゃんを殺す? 冗談じゃないよ。
 守る立場の奴が殺してどうするんだい!
 そもそもどうしてそれしか方法がないとか思ってるの?
 どうにかなるかもしれない!
 外国の映画みたいに接吻したらそこから愛の力が湧いて、
 何か色々解決――そっちの方が断然いいでしょう!?」
「せ、せっぷ……えー……あー、まあ、はい」

力説したら疲れたのか、お茶を一口飲んで息を大きく吐いた。

「……ま、そういうことさね。分かった?」

どうにかなるかもしれない。
“もしかしたら”に期待するのは好きじゃない。
でも、こんなバッドエンドは嫌だから。

「――分かりました」

だから色葉はそう力強く答えた。


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