伍/我が愛しき赤鬼 〇四

黄色い太陽が咲き乱れる中、
その少女は毅然と立っていた。
青い着物のその姿を見て、どうしようもなく血がざわめく。

イロハ。
イロハ、と。

しかし目の前にいるのは二百年前のその人ではなく、
不幸にも怒り狂う鬼を抱えて生まれてしまった、人間の少女。
あの人の、生まれ“代”わり。
不幸な、無力な少女。
殺される運命にある憐れな少女。
そんな色葉が、今はとても力に漲って見えた。
というか……、

「あの、イロハ……怒ってる?」
「まあね」

背は色葉のほうが低いのに、瑛を見下げるようにして胸を張る。
いつもはポニーテールに結わえられている髪が、
今は縛りをなくして背中に流れている。
いつもおどおどしている目が、静かな――それでいて
全てを焼き尽くしそうな勢いで燃える激情を宿している。
そんな目で睨みつかれたものだから瑛は思わず
一歩後ろへ下がった。

瑛は動揺した。
何故だろう。
自分の知っている色葉は、考えている事がすぐに分かるような、
そんな子だったのに
今は怒っているのは分かるがどうして怒っているのか分からない。
色葉のことだから、きっと凄く悲しんでいるんだと思っていた。
裏切られた悲しみに沈んでいるんだと、思っていた。
なのに、今その少女は怒っていた。

「……瑛たちの事情は、もう知ってるよ。
“明”の事も“イロハ”の事も、
 あたしの中に何がいるのか。
 あたしは、全然自分を知らなかった事も」

突然、色葉は一瞬前の怒りの目が嘘のように、
悲しそうに目を伏せて深い悲しみと痛ましさの篭った声を出した。

「……瑛。ごめんね。あたし、何も知らなかった」

しゅんと項垂れる。
どうして彼女が謝るのか、瑛には解らなかった。

「イロハ」

雨は止まず、この村を濡らし続けている。
濡れて張り付いた着物が気持ち悪い。

「僕は、」

赤い髪が濡れて一層濃い色になり、ひまわりの黄色の中で
異様に浮いている。

「君を、」

鈍く光るくすんだ金色二本の角が生える。
その瞬間をちゃんと色葉は見ていた。

「――殺さなきゃいけないんだ」

ベキベキ、と音がして筋肉が硬質化し、
手の爪は厚く長く鋭くなる。

「その為に、“明”という鬼は、
 この血は生き残ってきたんだ」

虹彩の色が揺らぎ、深い黒から鈍く輝く金色に変貌した。
黒目が猫のように縦長に細くなる。
口から伸びた犬歯が覗き、
何よりも――瑛のまとっている空気そのものが変わった。

そこにいるのは、赤い鬼だ。
百の鬼を統べる鬼の血が流れる、赤鬼。

ただし、その鬼には奇妙な部分があった。
両耳の上に生える、二本の角。
その右の角の先が――欠けていた。
削り取られたように、先端がない。

色葉はハッとなって、自分の首に提げてある
勾玉の形に削られた金色の石を見た。
今の色葉には、理解出来た。

これは、瑛の角だったのだ。

――『咒(まじない)をかけたんだよ。
   イロハを護ってくれるように。
   イロハが何処に居ても解るように。
   だから、ずっと身に付けていて』

これは瑛の一部なのだ。

「これ……瑛の角?」

勾玉を握り締めて、色葉は訊いた。

「……イロハを護ってくれるように。
 イロハが何処に居ても――解るように」

鬼に変貌した瑛は、それでも変わらぬ優しい笑顔で。

これは色葉を逃がさない為のものだったのだろうか。
それとも、ただ純粋にお守りのつもりでくれたのだろうか。

「これは――」

色葉が問いかけようとしたその時、
瑛が突然走り出した。

「!」

迷いなく真っ直ぐこちらへ走ってくるのを見て、
思わず身を硬くする。
鬼を内に包容しているが――それでも色葉は鬼ではない。
本物の鬼である瑛に対抗する術はないのだ。

「ま、待って――」

瑛は止まらずにその鋭い爪が備わった手を突き出した。
両手で顔を護るように覆い、目を瞑ろうとした瞬間――

ばしゅ、と。

色葉の背後で何かが潰れたような、もしくは弾けたような
よく分からない音が響いた。
驚いた色葉が目を見開いて見たものは、
自分の頬を通り過ぎた先に手を突き出している瑛と――

自分のすぐ背後まで迫っていたどす黒い“何か”だった。

色葉は直感的に、それが昨日自分を襲った
妖怪や魑魅魍魎の類である事を理解した。

突き刺さった瑛の手の先から、光る線が伸びて
黒いものに伝っていた。
瑛が手を握ると、その黒いものは断末魔を上げながら
ガラスが割れて崩れるように消えていく。

だが、それを倒しても安心は出来なかった。

気付いた時には――周りを妖怪に囲まれていた。


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