伍/我が愛しき赤鬼 〇五

「酷いじゃないですか」

余裕をたっぷり含んだ声音で瑛が背後の木に座っている
彩葉に声を投げかける。

「こんな状況になっても教えてくれないなんてね」
「神属というのはな、基本氏子に手を出したりしない」
「全く説得力がないですよ」
「こんなになるまで気付かなかった貴様も貴様だろう」

痛い所を疲れたように瑛が顔を逸らす。
逸らした先には色葉の瞳があった。
色葉の目は同様に揺れていた。

「……どうして」
「ただ器を殺すだけじゃ意味が無いからね」

色葉を守るように前に出て、爪を魍魎共に向ける。
ただそれだけの事で黒いものが怯えたように後退する。
全く知識のない色葉でも、瑛の力がどれだけ凄いのか分かった。
ただ目の前に立ち塞がれただけで
全身にまとわりつく痺れ。

これが……強い鬼。

「イロハ。逃げて。神社まで行けば安心だから」
「え……」
「すぐ行くよ。そして、それから少し、話でもしようか」

金色の目を細めて、眉を下げ、瑛が困ったように笑う。

「彩葉様。お願いします」
「またか。貴様も神使いが荒いな」

ぶつぶつと文句を言いながら、彩葉が木の枝から降りてきて
色葉の手を取る。

「瑛。貴様が何を話すつもりなのかは知らんが、一つ言っておく。
 ――私の友人を傷付けたら許さんぞ」

彩葉が幼い子供の身体とは思えぬ力で手を引いて走りだした。
途中色葉が一度だけ振り返り、何かを言いたそうに
口を開いたが、結局は閉じてその背中が遠ざかった。





「……まいったね」

瑛は溜息を吐いて、彩葉から言われた事を頭の中で反芻する。

――私の友人を傷つけたら許さんぞ。

その友人と言うのは勿論、イロハ――いや、色葉の事だ。
多分、身体的にも精神的の両方の意味で言っている。

「そう、言われたってね」

とりあえず、また妖怪が襲ってきたから逃がしたものの、
「すぐ行く」「話をしよう」とつい言ってしまったからには
後でちゃんと迎えに行かなければならない。

バカだなぁ、と思う。

こんなに愛着が湧くぐらいだったら、あの初めて会ったあの
夏の日に殺しておけばよかったのだ。
それが、出来なかったのは。
あの子の笑顔がイロハに似ていたのと、それと

   ――はじめまして。浮竹色葉です。

いろは、という同じ響きの名前。
卑怯だなぁ、と思う。
ずるいなぁ、と思う。

本当に。

「こんなことまでして」

自分の先端のなくなった片方の角に触れる。
角は、鬼にとっては己を示す、なくてはならない部分。
ある意味では、魂の次に大切なモノだ。
色葉が会いに来る、その前日に瑛は何の躊躇もなく
角を折り、それを削って首飾りにした。

今思うと、とんでもないことをしたものだ。

……バカだなぁ、と思う。

色葉は、鬼になった瑛を見ても、驚きはあったものの
恐怖は示さなかった。
それが、嬉しくなかったわけがない。

「さて」

瑛は前を見据えた。

濃く、重量のある黒い煙のような、
形さえない低級の低級の妖怪たち。
数だけはやたらと多い。
色葉の中の鬼が目覚めた事により、その“狂気”に
惹かれて出来たのだろう。

煙の中の一つが、響くような低い唸りをあげた。
それにつられて、共鳴するように他の煙たちも唸り声を発した。
瑛は動かない。余裕の表情で、しかし金色に輝く目だけが油断無く
煙たちを睨みつけている。
やがてそれが大きくなり、煙が瑛に襲い掛かった。

「――身の程知らずめ」

ぎち、と瑛の筋肉が鳴った。
その次の瞬間――人間では到底追いつけない速度で、
黒い煙たちと自分の間にあった間合いを詰めた。

犬歯を覗かせるように笑い、目を金色の輝かせ、
瑛が鋭い爪の光る手を振り上げ、煙に減り込ませた。
ぼっ、というくぐもった音がなって黒い煙の一つが霧散する。

たった一撃で消えた仲間を見て、他の煙たちがたじろいだ。
それらを一瞥し、瑛は苦笑した。

「誰に勝負を挑んだのか、お分かりかな?」

一つ、二つ、三つと――周囲に黒いものが霧散し、消えていく。
瑛は自分の中に高揚感があるのを自覚して、
心中で溜息を吐く。

――そうだ。
こんな感じで、あの時、殺せれば良かったのに。
自分は強い。
強い鬼。
かつては百の鬼を統べた鬼の血を継ぐ、赤の鬼。
これが、自分の本性なのだろうか。
そうなのだろう。
力が有る者は、その力を使う事にこそ快感を覚える。

爛々と輝く金色の瞳の奥には、
冷めた色が見え隠れしていた。

そしてまた一つ霧散して、また一つ。


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