伍/我が愛しき赤鬼 〇九

「!」

倉庫の扉が開く音がして二人は慌てて離れた。

「瑛! 色葉!」

やや疲れたような彩葉の声が飛んで、すぐに白い頭と
薄汚れた朱色の着物が見えた。
彩葉自身は大丈夫でも器である体が疲れきっているようだった。

「アヤちゃん、大丈夫?」
「これくらい何ともないわ」

いつも通りの強気の声に安堵する。
思わず綻んだ顔を見せる色葉の顔を彩葉はまじまじと見つめた。
何故か不機嫌そうな顔で、唇をつんとさせている。

「な、なに?」
「まだ、鬼が入ったままか」

言いながら瑛の足を思い切り踏み、「痛っ」と声が上がった。

「色葉。貴様は鬼として生まれてきたわけじゃない。
 このままだと、内側で目覚めた鬼の力のせいで
 衰弱死してしまうぞ。
 まあ……その前に心が壊れるのが先か」

最後の言葉は聞こえないように呟き、小さな手で髪にかかった
雨をしずくを払う。

「……神木を蘇らせる」

唐突に彩葉が切り出した。

「え?」
「神木に、お前の中の鬼の“氣”を戻す」
「そんな事、できるの?」
「分からない」

決意の篭った強い目が色葉を見据えた。

「でも、やるんだよ」

なんだか、あれほど可愛いと思っていた彩葉が、
今はとても男らしく、頼もしく見えた。



倉庫の中にあった二つ番傘を引っ張り出した。
一つは色葉と彩葉。もう一つは瑛だ。

「それで、御神木を蘇らせる、とは?」

途中から抉れたように切り株と果てている御神木の表面を
撫でながら瑛が問う。

「神木の時間を戻す」

その答えには色葉も瑛も目を見張った。
瑛がうろたえたように言った。

「時間を戻すなんて、そんな」
「ああ、禁忌だ。正直、
今度こそ出雲の目からは逃れられんだろうな」

出雲って、出雲大社の事だろうか、と色葉は首を傾げ
瑛はそんな無茶な提案に呆れ半分驚き半分の表情をした。
二人の反応ににんまりと笑いながら、彩葉は胸を張りつつ
作戦の内容を続ける。

「とにかく、まだ神木が雄々しかった百五十年前まで時間を
 戻してみせる。
 ――その間に、瑛。貴様は色葉から“氣”を抜き出して
 神木に叩きつけろ。
 あ、神木には近づくなよ。術が終わった途端、貴様は百五十歳
 歳をとってしまうからな。死んでしまうぞ」

手短に告げられた作戦に二人は戸惑って顔を見合わせた。

「……えっと、この作戦ってどうなの?」
「うん……御神木が蘇らせる事ができるなら、それが一番
 ……考えうる限りでは、被害が少ない」

瑛は顎に手を当てて考えるように唸った。

「……色葉を殺さなきゃいけなかったのは、その氣を
 追い遣る場所がなかったからなんだよ。
 この御神木は世間に知られている御神木よりはずっと
 長生きで凄い力が篭っているから……出来なくはない。
 確かにこれなら色葉を殺さずに、済む。
 ……でも、被害は零じゃない」

彩葉が色葉の顔を覗きこむ。

「瑛の言う通りだ。お前は死なずに済むかもしれない。
 けど、死なないだけで死と同じような状況に陥る事も
 充分ありえる。最悪、植物状態だな」

その時、真剣な目をしていた彩葉がぽかんとした
顔をした。
色葉が、優しく笑ったからだ。

「大丈夫。
 瑛とアヤちゃんの事、信じてるから」

今度は彩葉と瑛が顔を見合わせた。
二人で静かに頷き合い、

「やるぞ」
「はい」



木の枝で御神木の周りに何かを書きこんでいた彩葉が
顔を上げて、少し離れた位置にいる二人へ声をかけた。

「始めるぞ」

二人に返事させる暇を与えず、彩葉は両手を御神木へかざした。
色葉には周囲が薄く緑色に光り、彩葉が地面に書いた模様が
白く光ったように見えた。
空気が張り詰め、凍り付くのが分かった。

そして空気の緊張が最高潮に達した瞬間――
変化は濁流の如く訪れた。

「           !」

彩葉が何事かと叫ぶように唱えたがそれは切り株から
発せられた音に遮られて聞こえなかった。

めき、という音と、べき、という音が重なり合う。

切り株から小さな小枝が生えたと思ったら、それはみるみる内に
急成長し枝を伸ばし、葉を付ける。
葉が擦れ合う音が混じり始め、いよいよ御神木が
“五百年前の姿”に戻ろうとしていた。

「あ――ぁ、あ――」

知らず、呻きのような声が掠れ気味に漏れた。
それほどまでに、目の前の光景はあまりにも神々しかった。
人間では。否、妖怪でも決して入る事の出来ない領域――
まさに神の成せる業だった。

時間にしてはほんの数秒で、切り株の小枝は切り株と同じ
太さになり、ご神木と同化した。
緑色の光が踊るように弾け、白い光は吼えるように弾けた。

五百年前の御神木――
それは近付く事さえ躊躇われるような、真に雄々しい樹だった。

「行くよ」

瑛の冷静な声が鼓膜を打ち、色葉は視線をようやく
御神木から外す事ができた。

瑛が手を伸ばす。
それが色葉の胸に触れる――と思った瞬間、
瑛の手は色葉を通過した。
体の中をまさぐられるような不思議で不快な感触に眉をひそめ、
冷や汗を浮かばせながら、それでも色葉は笑って受け止めた。
やがて、瑛の手が色葉の“中心”に届く。
その中心を掴み、抉るように手を動かした。

「――――ぁ――」

そこまでが、人間である色葉の限界だった。


白い髪の毛。
赤い髪の毛。
金色の目。

それらを見つめながら、色葉は意識を手放した。

意識が落ちる瞬間、優しい腕に受け止められたような気がした。


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