終/蝉時雨

瑛に背負ってもらいながら、色葉はあの神社へと続く
山を進んでいた。

色葉はあの後、丸二日間寝ていて、やっと目を覚ました後も
父への連絡や“リハビリ”に追われてここを訪れる事が
出来なくなっていたのだ。

あれから、五日が過ぎた。

色葉を救う為の術は――成功した。
ただし、被害は決して零ではなかった。
無茶な術を使用した代償として、
色葉は両足が動かなくなってしまった。
たが「これくらいで済んでよかった」と喜ばねば罰が当たる
代償である。

「ご、ごめんね瑛。重い? 重いよね?」
「そんな事ないよ。色葉は軽いから、
安心して体重を乗せていいよ」

そう言われても素直に体を預けられるはずもなく、
唸りながら地味に落ち込んだ。
ちら、と瑛の赤い髪の毛を覗き見る。
必要とあらばそこから生えるはずの鬼の角――
しかし、赤い髪の隙間から角が見える事はない。

瑛は、鬼ではなくなってしまった。

色葉が目を覚まし、瑛は状況を説明した後笑って言った。

『これが、僕の代償』

と言って差し出したのが折れた――否、根本から抜けた二本の角。
片方は鈍く金色に輝く立派なものだったが、もう片方は
先っぽが欠けていた。

『僕はもう鬼じゃない。人間なんだ』

そう言った時の瑛の顔は、むしろ爽やかだった。
色葉は何だか、やっと“朽名瑛”という人物を見れた気がした。

「さて、そろそろかなっと……」

色葉を担いだまま、まだ鬼の力が残っているのではと
疑いたくなるほど身軽に、ひょいひょいと山を登っていく瑛。
志枝が手配してくれた車椅子では到底登れず、
こうやって瑛に背負ってもらっている次第なのだ。

「これから車椅子だから、色葉は腕を鍛えなきゃね」
「が、頑張ります……」



あの五百年前の姿に逆戻りした御神木は、
既に元の切り株姿に戻っていた。
その前には新しい注連縄と、柵が出来ている。
そして、柵の内側、樹の手前で寝ている幼子。
白い髪に、今は若草色の着物を着ている。

「……アヤちゃん」

呼びかけても返事は無い。
周りの木々に護られるように眠っている彼女は、
後七年経つまで目を覚ます事はないという。

これが、氏神・彩葉の代償。

色葉が瑛の背中越しに呼びかけてみても、返事はない。
届かぬと知っていても、届けとばかりに色葉は声を張り上げた。

「ありがとう、アヤちゃん」

今まで氏神――土地の神の支えがあってこそ、ここまで
存続する事が出来た百鬼村。
七年間の氏神の不在は、この村の運命を決める七年になる。
しかし、志枝や村人達は笑っていた。

『彩葉様がいないのは寂しいけど、私達だっていつまでも
 神頼みしちゃいられないさ。
 ――これからは、私達の力で村を護っていくよ』

「……色葉。そろそろ行こう。
 新幹線に遅れてしまうよ」
「うん」

禁忌を犯してまで、自分を救ってくれた神様。
こんな可愛い神様に「友人」だと言われた事――
色葉はそれを、とても誇らしく思った。

「また七年後にね。アヤちゃん」

御神木の前で陽光を身に受けながら眠り続ける彼女は、
本当に人々を見守る神様に見えた。



「体に気を付けるんだよ」
「熱いからって涼しくして寝ると風邪を引いてしまうからね」
「瑛っ、都会に着いたら手紙くれよ!」
「いつでも帰って来いよな」

多くの村人に見送りに来てくれた。
皆、現場にいなくとも志枝から話を聞いていたり
雰囲気を悟ったりして、状況は飲み込めているらしい。
見送りの言葉に瑛は笑顔で答えながら、一人一人の手を握った。
「みんな、ありがとう。
 この村を、よろしく」

――瑛は、色葉と共に都会へ行く事にした。
驚いた事に色葉が目を覚ました時には色々な手続きを終えていて、
色葉の住むマンションの隣のマンションに部屋を借りたらしい。
どうして、と聞く色葉に瑛はとぼけたように笑って言った。

『一緒にいてって言ったの、色葉でしょ?』

それを言われたら、色葉にはもう何も返す言葉がなかった。
今でも思い出すと、大胆な事を言ったもんだ、と
恥ずかしさよりも呆れが浮かぶ。

「これが若気の至りってやつかなぁ……」
「え?」
「何でもない」

村に別れを告げて瑛と二人で乗ったバスの天井を
見つめながら、色葉は妙に年寄り臭い溜息を吐いた。
色葉と瑛と運転手。それ以外は誰もいない。
首を下ろし、窓の外を見た。
始めは緑が延々と続くこの風景に戸惑いと驚愕を覚えたが、
八日も経つと慣れてしまっていた。
もう少しいたかったが、これ以上は父が心配するので無理だ。

「君の父上にさ」
「えっ?」

一瞬、父の事を思っていた色葉は思考が読まれた気分で
驚きの声を上げた。

「あっちに行ったら、まずは君の父上に土下座しなきゃね。
 色葉さんを傷物にしてごめんなさいって」

通路に置いた車椅子の持ち手を撫でながら、瑛が自嘲するように
言った。

「き、傷物だなんて、そんな」
「僕がちゃんと責任を取ります、とも言わなきゃね」
「…………え」

硬直した色葉は、ぎこちない動作で首を傾けながら
疑問符を浮かべた。

「だから」

瑛は当たり前にように言う。

「“色葉を傷物にした責任はちゃんと取ります”って」

無言。
バスの稼動音だけがしばらく響いた。
じっくり十秒が経ち、色葉がその言葉の意味を飲み込み。

「――なっ! え、ちょ……まっ……」

何かを言おうとして、でも何も出て来ない。
瑛は色葉の黒髪の手を置いて、優しく梳きながら、
しかしその顔はしたり顔だった。

「これなら色葉が言った事も守れるし、君の父上にも
 ちゃんと償いが出来るわけだね。うん、一石二鳥」
「………………………………」

困惑顔を、それこそ茹ダコのように真っ赤にして
口を金魚のようにぱくぱくさせる。
また十秒ほどが経って、

「えーっと…………これからも、よろしく」

やっとそれだけ言えた。

「うん。よろしく」

色葉が頭を瑛の肩に預けた。
よりそう若い二人の姿をバックミラー越しに見た
初老の運転手は、

「青春だねぇ……」

と一人静かに羨望を込めて呟く。


バスは二人を乗せて、蝉時雨の中を走っていった。


[七年後へ]