七年後/彩葉の独白 下

体の至る所を擦り剥いたり、打ってしまったりしたようだ。
私自身は何ともなくても、体は動くなと悲鳴を上げる。
精神と肉体の不一致はこういうときに面倒だ。

私の上には藤馬が覆い被さり、その藤馬の足の上には木がある。
藤馬はどうやら気絶しているようだった。

「ああもう……大馬鹿者め」

頭を掻いて、無事な右手で木を粉々に砕く。
それでも藤馬は起きない。
苦しんでいる様子でもないし、
このまま自然に起きるまで待つのも良いだろう。

藤馬の体を起こしてやり、楽な姿勢にさせる。
時折唸っても、起きる気配は一向にやってこなかった。
日輪は高い。そろそろ正午だろう。
辺りは水蒸気でぼんやりとしている。

「藤馬、何故……」

問いかけても、返事はない。
否、返事など聞かずとも分かることだ。

私を――守ろうとしたのだ。
なめられたものだ。私は神に属する者だというのに。

「……全く、ヒトとはあやかし以上に怪奇なものだ。
 理解し難い奴らめ」

溜息を吐いて、どうしようもなくなってその場に座り込んだ。
着物が汚れるが、構いやしない。
傍に藤馬がいるのいうのに、何だか独りぼっちのようだ。
暗い、深い穴に、一人だけ落ちてしまったようだ。
急に憎たらしくなって、藤馬を見遣る。

「弱いくせに、弁えないからそうなるんだ」

嫌味を言っても、聞く者がいない。
もう一度、思い溜息を吐いても聞き咎める者もいない。

――溜息を吐くなんて、何か悩み事でも?

赤毛の鬼は、人になってしまってもういない。
あの変わった女は、とうの昔からいない。
七年前にここで出逢った彼女はイロハではなく浮竹色葉だ。

「どうしてお前らは……」

その後の言葉が続かない。

「…………私は」

おかしい。
きっと、今の私はおかしい。

「…………これだから人は……」

弱いくせに、誰かを守ろうとする。
一人では何も出来ない。
この童も、
そして

あいつらも。

「――そうか」

苛々する。
人を見ていると苛々する。
これはなんだと、瑛に訊いたことがある。
あいつは、こう答えた。

――そのうち、分かるよ。

「私は、羨ましかったのか」

私よりずっと自由で感情的で
鳥みたいな彼らが。

「……だから人になっても良かったのか、赤鬼」

あれほどの術を使えば、代償を支払わなければならないのは
あの鬼だって分かっていたはずだ。
それがおそらく、角が取れるという事だとも分かっていた。
それでも、あいつは何も言わずにそれを受け入れたのだ。

……体が重い。
瞼も重い。
力が入らず、何故だか非常にだるい。
安らかに眠る藤馬の横に、私も寝そべる。
ちょうど池の壁が陰になっていて、そんなに暑くない。
眠りの手が意識を掴み、淵へと誘っていく。


もしも 生まれ変わり
なんて
ものがあるのなら
次は 人間になってみてもいいな





遠い、遠い昔。
もう五百年は前だろうか。
いや、七百? 八百? それもと千?
それくらい遠い昔だ。
あの頃はまだ、出雲の目から逃げつつそこら辺を彷徨っていた。
ある日、悪戯心で人に化けて、人をからかってやろうと思った。
だが私が目を付けたのはやたらに勘のいい奴で……。
その後も、何故かだらだらと会う日が続いてしまったんだ。


――「彩葉!」

彩葉と呼ぶな! 弁えろよ。私は神族なんだぞ!

――「うん凄いよね!」

馬鹿者っ。

――「よく言われる、それは」


ある日、晩年のあいつから頼まれた。
今でも、耳を澄ませば聞こえてきそうなくらい
鮮やかに思い出される声。


――「ああ、彩葉。君は神様だからずっと美しいままなんだ。
昔と今の体は違うけど、君はずっとずっと綺麗だね。
そんな美しい神様にお願いがるんだ。
この村をどうか……どうか…………」

……弁えろと何度言えば分かるんだ。
私は神だぞ。
――そのくらいのこと、造作もないわ。

――「うん。ありがとう。あやは…………」


神というのは思ったより無力だ。
あの日、私は威張ってばかりいた過去の自分を恥じた。
だって、私は、
死んでほしくない奴を、死なせないようにする事ができなかった。

「アヤちゃん」

私には誰もいないという事を知った。
どうせ、皆私を置いて去っていく。
見守るしか、見続けるしか出来ない。

「アヤちゃん」

私には誰も――

「アヤちゃん」

――「彩葉」

「彩葉様」

――「彩葉」

何度言ったら分かるんだ。もうこれで二六五二回目だぞ。
貴様は私が何なのか、本当に分かっていないようだな。

「アヤちゃん」
「彩葉様」

「…………え」

黒い頭と赤い頭。
黒はまだいいとして、赤いのは……。

「おはよ。アヤちゃん」
「――ぁ」

前は一つ括りだった、大分伸びた髪が、下ろされている。
車椅子に乗っている彼女は確かに大人にはなったが……
それでも、すぐに、分かった。

「……色葉」
「うん。久しぶり」

久しぶり、か。
二百年には遠く及ばないが、
こいつらにとって七年は長かったんだろうな。
隣の赤頭も、背が伸びたようだが、
全く本当に変わっていない。

「やっと目が覚めたんですね。一週間前に志枝婆から
 手紙を貰って、ようやく予定に隙間を作って来たんだけど」

赤頭――瑛の声は、あまり変わっていない。
ふと気付いて、周りを見る。
あの池ではなく、ここはもう使われなくなった
瑛の家だった。

「アヤちゃんは可愛くなったね!
 あ、可愛いと言えばね……ほら、見て」

色葉が胸に抱いていたものを差し出した。
足が代償だった色葉の為に自ら近付いてそれを受け取る。

手触りのいい毛布に包まれて眠っているそれは、
何とも可愛らしい小さな生命だった。

吃驚して二人を見上げると、二人は同時に顔を見合わせて
色葉は照れたように俯き、瑛が説明をした。

「僕達の、子供です。
因みに色葉は浮竹色葉ではなく、朽名色葉になりました」

まだ歯も髪も充分に出来ていない赤子は、確かに
二人に似ていく予感がした。
小さくあくびをしたと思ったら、ぱちり、とその目が開いた。
大きな黒い瞳がじっと私を見つめている。泣き出すかな、と
思ったがそんな事はなく、
好奇心に目を輝かせた赤子は手を伸ばし――

「い、いてて。髪を引っぱるなっ」
「あ、こら。あやはっ」

瑛が何とか引き剥がしてくれた。
……今とんでもない事を聞いた気が……。

「今、その赤子を何て呼んだ?」
「あやは――綾羽ですよ。
 僕達にとっては縁起の良い名前ですからね」

――全く、こいつらは。
自分達の子供によりにもよって私と同じ音をつけるとは!

「あーっ、彩葉様。目が覚めたんですね!」

勢いよく襖を開いて何と藤馬が飛び込んできた。

「この人達が僕らを助けてくれたんです。
 あ、あ、あの、すみませんでした。本当に僕、あの……」

輝いた顔で二人を説明したと思ったら、今度は途端に
落ち込んだ顔で謝罪をしてきた。
急におかしくなって、笑いながら小さな童の頭に手を乗せた。

「済んだ事だ。もうよい」

その顔が複雑に輝いた。器用な奴だ。

「そうだ。せっかくだから、あたし達の子供に、
神様からの祝福を貰っちゃおうか」
「ああ、いいねそれ」

手をぽん、と打って色葉が提案した。
また私の腕に赤子――綾羽が戻される。

「え、え? 私は知らんぞ。そんなもの」
「いいからいいから」

期待の眼差しが二人分――いや、藤馬も加わって
三人分降りかかった。

無邪気な顔で私を見つめてくる小さな生命を見つめ返し、
短く生えた髪の毛がほんのりと赤いことに気付いた。

外では蝉が鳴いていて、
太陽は地面を照りつけていて、
風は生暖かくて、
透き通るような空に真っ白な入道雲が浮かんでいた。

どうすればいいか分からないくて、
そっと綾羽を抱きしめて、頬に頬を当てた。
とりあえず少しだけ私の“氣”を送ってやり、
その氣に私なりの祝福――祈りを、込めた。


それは、私の好きなひまわりの花言葉だ。


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