七年後/彩葉の独白 上

あれから七年が過ぎた。
あれから七度目の夏が来た。
目を覚ましてからも、周りの環境はそれほど変わっていなかった。

全く、蝉共が忙しなくうるさい。



既に千年以上も生きている私にとって七年など
七日とさして変わりない。
しかし、この七年は――なんだか長かったような気がする。
七年前。イロハと明、色葉と瑛の長い恋の話が終わった。
二百年も、なめくじのようにうじうじ、じめじめしていた
あの赤鬼の面倒を見るのもようやく終わったのだ。
ここはもっと解放感に浸り、喜ぶべきなのだろう。
けれでも、なんだか、不満だ。

一人で飲む茶は、不味くていけない。



七年間で変わったこと――
背が伸びたし体重も増えたし髪も伸びた。
体は幼女から少女になった。
当たり前だ。この器はどうやっても元は人の体なのだから。

「長髪の彩葉様も、可愛らしいで御座いますよ」

とか抜かしておったな、志枝は。
この体は私の体ではないというのに。
私の荘厳で神々しい真の姿を見せてやりたいが、こいつも……
もう神族を視るほどの妖気はない。
切ってもらったばかりの髪を弄ってみる。 やはり髪は短い方に限る。美しさにばかり心を奪われて、
だらだらと伸ばすのは、私は好まない。
それに、白い髪はぱさぱさしていて鬱陶しい。

「……アキラの奴、今日は遅いな」

と呟いて、はたと気付いた。
七年前に、あいつは此処を出て行ったのだ。
愛しいものを追いかけて、今度こそと、
人に成り下がってしまい、都の方へ走って行ってしまったのだ。
あいつは、もうこの神社へ来て、茶を飲むことはない。
長年の癖は、習慣は、七年程度では抜けぬ。

「ふん。呆けたな、私も」

……最近、独り言が多くていけない。





散歩へ出てみた。
朝早く人が家から出てくる前にこの小さな村を
ぐるりと一周するのがいつも道だ。
からころ、と下駄の音だけが響いている。
蝉は朝からご苦労様と言いたくなるほど鳴いている。
嗚呼、単調なものだな。蟲と言うものは。
照りつける日輪も、毎日飽きもせずに照り付けて。

「暑い……」

全く、人の体は不便だな。

かころこ。
からん。
ころん。
    からん。
        ころん。
            からん……

「……ん?」

どこか遠くから、蝉の声に混じって声が聞こえた気がした。
蝉の声に混じって、人の泣き声が聞こえる。

「む……」

氏神故、氏子が泣いて困っているのを放っておくのも出来ぬ。
仕方なく声のした方へ、小走りで向う。

干上がった池の穴の中に男児の子供がいた。
確かあれは……藤馬(とうま)という子供だ。
まだ七、八ほどの子供だ。
どうやら足を滑らせて穴に落っこちたらしく、
膝など体のあちらこちらを擦り剥いて、真っ赤な血が出ている。

藤馬は「痛い、痛い」と泣くばかりで、私に気付かない。
たったあれほどの傷で泣くのか。男児のくせして。

「おい、貴様」

声を掛けると、最初は希望の光を灯した表情で顔を上げたが
私を見た途端、その小さな肩が小さく跳ねた。

「あ、あ、彩葉様……っ」

その顔に希望と畏怖を器用にも浮かばせる。

「あのっ、ぼく、この穴に落っこちちゃって、
 足とか擦り剥いて、痛くて……、
 う、動けないんです。助けて、ください」
「……素直に助けを求める奴は、嫌いじゃないがなぁ」
「え?」
「独り言だ。忘れろ」

藤馬は鳩のような顔をした後、「はい、忘れます」なんて
おかしな返事をした。
このまま助けるのもなんだかつまらないと思い、
私も穴の中へ飛び込み、仰天している藤馬の横へ着地する。
ふむ。思っていたより深い。確かにこれでは子供は出られまい。

「あ、彩葉様!? な、なにやってるんですかっ」
「騒ぐな、童(わらべ)。
私にとってこの程度の穴、穴でもないわ」

そう答えると、藤馬は

「そっかぁ。神様ですもんね!」

と阿呆丸出しの返事をした。

「童。私は退屈していたところだ。
 少しばかり、付き合ってくれるか」
「え、えええ!? ぼぼぼぼ、ぼくですか!」
「そうだ。他に誰がいる」

私が笑うと、藤馬は顔を赤く染めて俯いた。

「で、あの。何をするんですか?」
「そうだな――私を苛々させる赤い鬼と、
 馬鹿正直で少し可愛い人の女の昔話を聞きたくないか?」

自分と同じ年頃の少女に目を輝かせながら、藤馬は
「聞きたい……ですっ」と言った。

「まず、二百年ほど前、ここより南の土地に百の鬼を
 従えていた若い鬼が居て――」

何故か私は、久しぶりに心が浮き浮きしたのだ。



「――そして二百年後、“鬼”を宿した
イロハの子孫が生まれたのさ」
「す、すごいですね! 運命ってやつですか!」
「運命、か。そうだな……そうとしか呼べないのかも知れぬ」

とても調子が良い。まるで自分が絵の描かれた紙を片手に
昔話を聞かせる話し手になったようだった。
藤馬は顔を日輪よりも眩しく
輝かせながら私の話に聞き入っている。

「それで、鬼は居ても立ってもいられなくて
 都の方角へ向って行ったんだ」

その時、後で
みしり、という不吉な音が鳴った。

「!」

はっとなって背後を振り返ると、池の穴の淵に立っていた
古い腐った木がこちら側へ倒れてこようとしていた。
目玉が飛び出るくらい目蓋を目一杯開いて驚く藤馬とは
別に、私はひどく冷静だ。

あまり人の前で“力”を使うものではないが――

私は倒れてくる木に向かって静かに手を振りかざし、
掌に力を込め、それを放って朽木を散らせようとして――

「彩葉様、危ないっ!!」

「――!?」

藤馬が私に体当たりしてきた。
掌から放たれたものは明後日の方向へ虚しく空を切り、
木は依然こちらへ――

「馬鹿者――」
辺りに、重い音が響いた。


[下へ]