参/百鬼村 〇八

「……どういう意味?」
「そのままの意味だ。イロハの中にはお前以外の」

「やめろッ!!」

悲鳴に似た怒鳴り声が響いた。
それは村全体に響き渡るような声だった。
ざわりと、嫌な感触が背筋を這った。
まだ寝ていた鳥たちが驚いてばさばさと飛び立っていく。
声の余韻が消えると、しん、とした空気が訪れた。

その乱暴な声が瑛の声だと気付くのに、数秒を要した。

「…………瑛?」

色葉は怯えた目を向け、彩葉は冷たい目線を向けた。
たった一言叫んだだけなのに、瑛は大きく肩で息をしていた。
目は、赤毛に隠れて見えない。

「貴様も、どうするんだ」

彩葉はただ淡々と。
瑛の手は着物を強く掴んでいて白くなっていた。

「そうだ。僕は、怖い。
 このまま何も知らない今のイロハと穏やかに過ごそうか、と
 何度思っただろうね。でも、それは僕の我侭だ。
でも、それじゃ……ダメなんだ」

絞り出すような声。

瑛が顔を上げた。
とても悲しげな、
懐かしむような、
後悔するような、
とても強い意志の宿った目が色葉を見つめた。

「――絶対に助けるって、約束したんだ」

あの深い黒の目が、色葉を見た。
けれどそれは色葉ではなく色葉を通り越した
別の何かを見ているようだった。

息が詰まった。
話の内容が全く解らない。
でも、そこには決して嘘ではない真剣な空気があった。

色葉はふと、あることに気付いた。

蝉が鳴いていない。

あれほど喧しく鳴いていた蝉が、一匹として鳴いていない。
何故か背中がぞくりとした。

「蝉が……」

色葉がなんとなしに呟いた時、
瑛と彩葉が同時に顔を上げた。
山の方を見ている。
蝉は鳴いていない。
鳥も、何処かへ行ってしまった。
ただ風がひまわりを揺らしていた。

「嵐が来る」

瑛がぽつりと言った。
色葉も二人の見ている方向を見ると、
山の向こうに灰色の雲が広がってきているのが見えた。

「嫌な雲だ」

今度は彩葉がぽつりと言った。
雲は生きているかのような速さで空を覆っていく。

「イロハ。神社で雨宿りするといい」
「なんでさ。イロハは僕の家で……」
「今の貴様に、イロハの面倒が見られるのか」

瑛が反論するのを途中で遮って彩葉が冷たく言い放った。

「イロハは私が預かる。志枝を待たせているのだろう。
 事情を話して来い。雨が降る前に」

瑛が言葉に詰まっている。顔は悔しそうに歪んでいる。
自分の事が話題になっているのに、自分は置いていかれている
状況が色葉には納得できなかったが、
どうもこの二人の会話にはついていけないし、口が挟めない。

「イロハ、来い。嵐が来る」
「ま、待ってよ。あの、本当にあたし混乱して。
 話の内容が、だからあの……」
「それは……私の家で話そう。
 覚悟して聞けよ」
「覚悟……?」
「貴様も、それでいいな。
 私からイロハに全てを話す」

色葉の疑問を無視して、彩葉は瑛に問いかけた。
瑛は腑に落ちないのか、難しい顔をしていた。
だがすぐに、ゆっくりと、首を縦に振った。
納得したのではなく、
諦めたかのようだった。

「というわけだ。行くぞ、イロハ」

彩葉に手を引かれて、色葉は仕方なく歩き出す。
振り向くと、瑛と目があった。

「イロハ。
 嵐が過ぎたら、迎えに行くよ」
「うん……」

彩葉に手を引かれて、どんどん歩いていく。
瑛には悪いと思ったが、
何だか彩葉には逆らえなくて、結局山道を歩いていく。

頭上ではごろごろと雷が鳴っていた。


[夢へ]