参/百鬼村 〇一

「―――! ―――! ―――――ッ!!」

苦しい。
色葉はそれしか考えられなかった。
夢じゃないのは解っている。
泥に飲み込まれた、なんてとても信じられないが
そうとしか思えない。
濁流のような場所。

つかまえた
           つかまえた

  いろは  つかまえた

目の前が真っ暗で、何かが体に巻きついている。
腕を伸ばして何も掴めず、逆に掴まれる。
身動きが出来ない。もがく事すら出来ない。
叫んだ悲鳴は何処にも響かない。

  つかまえた         やっと
        つかまえたよ

首を絞められ、呼吸が出来ない。
だがその前に恐怖で死んでしまいそうだった。

   あきらの…………

   つかまえたよ

なんで。なんで。
怖い。痛い。苦しい。助けて。

……瑛……!

     !?  !?

『――祓!』

何も響かなかったこの場所で、
強い声が聞こえた。





天井が見えた。
自分が起きていると理解するのに、随分かかった。
涼しい音が聞こえた。
風鈴の音だと理解するのに、随分かかった。
続いて誰かの怒鳴り声。
誰の声だかを理解するのに、随分かかった。

「だから言ったじゃないか、色葉ちゃんを
 ……いや、イロハを呼べば絶対にこうなるって!」
「ここら辺に居る奴らは僕には勝てない小物ばかりだよ」
「そういう問題じゃないっ、誤魔化すんじゃないよ!」

色葉は自分でも気付かないうちに体を起こしていた。
体に傷はない。痣もなく、痛みもない。
ただ、物凄くだるかった。

外はもうすっかり夜で、夜の虫がせわしなく鳴いている。
真昼の暑さも大分緩んでいた。

「大丈夫だよ。……僕が居るんだから、イロハは」
「人の話をお聞き! もう我慢ならんっ。
 瑛ちゃん、あんた一体何が目的なんだい!?」
「志枝婆、僕はイロハに逢いたかっただけなんだ」
「嘘だね。それ“だけ”じゃないだろう?」
「僕は……、!」

ぎし、と歩いた場所が軋んだ。
縁側で何か言い合っていた二人が、後ろに立っていた
色葉に気付いて動きを止めた。
歪んだ顔の瑛と、今にも掴みかかりそうな志枝。

「イロハ。起きたんだね。
 やあ、もう吃驚したよ。いきなり道端で倒れ、」
「瑛ちゃんッ!」

和やかに言おうとしていた瑛を志枝が遮る。
今にも爆発しそうな、真っ赤な顔をしていた。

「瑛……、私は……。ワケが解らない。
 アレは何だったの? ……夢じゃない」

認めたくはないが、あれは絶対に現実に起きた事だ。
色葉は唇を噛み締め、瑛に問うた。
そんな彼女を、瑛は酷く辛そうな顔で見た。

立つだけで支えていられないと訴える体を
必死に足に力を込めて支え、色葉は立ち続ける。

瑛の唇は動かない。それは躊躇っているのではなく、
言いたくない、という意思の表れだった。

「瑛ちゃん」

妙な沈黙を破ったのは志枝だった。
彼女もまた悲しそうな顔をしている。

「あたしだってね、本当は言いたかないさ。
 隠し通せるなら、そうしたかった。
 だけどもう……言うしかないよ」

何故志枝がそんな事を言うのか解らないが。
色葉はなんだか自分が酷い我侭を言っているような
気になってしまい、慌てて言った。

「いや、あの。嫌っていうなら、良いよ。
 ごめんね、瑛」
「いや。
 言うよ。言わないのは、僕の勝手な考えだ」

言うまで少し間があった。
その僅かな間に、瑛の顔に様々な感情が浮かんだのを
色葉は見た。

強い後悔。隠せない悲愴。抑えきれない苛立ち。

そんな瑛を見たことがない。
……だって、瑛は、いつだって、優れていた。
学校でも、登下校も、休日の日も。
瑛は優れている人だった。中学の時は学級委員をやっていた。
いつだって涼しい顔して何でもこなす。
皆の尊敬の対象。
そんな彼が、どうしてこんな顔をしているのか。

朽名瑛は、なんなんだ?

「イロハ」

瑛は、
大真面目に言った。


「妖怪は信じているかな?」


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