肆/二百年の恋 〇二

「鬼に、なった?」

口が渇いて、喉が締め付けられるようだった。
手が震えだし、汗が噴出す。
ダメだ。その先は聞いてはいけない。
そう思う。何故か思う。

「……大丈夫か?」

彩葉がそっとよって目を覗き込んでくる。

「顔色が悪い」
「ああ、うん……平気だよ」

確かに気持ちが悪い。
胸が締め付けられるように痛くて、喉が苦しい。
悪い夢から覚めたときのような感覚。

「冷えた茶を持ってこよう」

彩葉は気遣うように言って台所へと引き返す。
あんな小さい子供に気を遣わせて……情けないなぁ。

「……あれ?」

小さな子供?
さっき、彩葉は何と言っていたか。
見た目は幼子、中身は老婆。
そんな評価を、あながち間違ってはいないと……。
違うそこじゃなくて。

――私は氏神だからな。

うじがみ。
氏神ってなんだけ。

――その土地を守ってくれる神様みたいなものだよ。

そう、神様だ。
あれ? つまりアヤちゃんは「私は神様だ」って言ったってこと?
確かに神様みたいに神秘的な子だけど。髪真っ白だし。
……あー、なんなの。妖怪の次は神様?

「……ん?」

外を見遣ると雨がやんでいた。
灰色の雲は確かに広がっていて、遠くの方では確かに
雨は降っているのが見えるが見える。

ただ、この彩葉の家の周辺だけ雨がぽっかりと降っていない。

「へんなの」

サンダルを履いてちょっと外へ出る。
やはり確かに真上に空はある。
でも雨粒は落ちてこない。

「狐の嫁入り……の逆バージョン?」

周囲をぐるりと見渡して、ふと目に止まるものがあった。
赤い神社の裏側にある、何か白いものを巻かれた大きな樹。

「これ、御神木だ」

近くによって見ると、かなり大きな木だ。
色葉の住んでいる町にも樹齢云百年大きな木を
祀っている神社があるがこれはその神社の木よりもずっと大きい。

「……昨日来たとき、こんなのあったっけ?」

昨日来たとき、これほどの大木を見た覚えはない。
あったらいくらなんでも気付きそうな気がするが。

「ほんとおっきいな」

彩葉が自分の為にお茶を入れてくれているのを忘れて
呑気に大僕の周囲をぐるりと回る。

「なんだか……」

懐かしい。
まるで、見覚えがあるような。

急にこの木にもたれかかってみたくなり、
周りの柵を何の躊躇もなく乗り越え、木の傍まで寄る。
間近で見るとその木の持つ神秘的な神気と
ある種の威圧感を感じた。
そして、見守るような温かさ。

知っている。
あたしは、この木を知っている。

「なんで……」

どうして知っていると思うのだろう。
自分はここへ、一昨日来たばかりなのに。
そのはずなのに。

木を抱く。
耳を当てると水の音が……しない。
おかしい、と思ってもっと耳を押し当てて耳を澄ましてみる。
そこに、突然下駄のからころという音が入ってきた。
振り返ってみると、そこに珍しく顔を蒼白にし、唖然とした顔の
彩葉が立っていた。
その見開いた目は色葉ではなく、木だけを見ていた。

「木が……どうして、こんなに……、
 何故……っ」

掠れた声が彩葉の口から漏れる。

「アヤちゃん……?」

声を掛けて、彩葉ははっとした顔をした。
木にもたれかかっている色葉を見て、更に顔から
面白いくらいに血の気が引いていく。

「イロハ! この木に何を――
 いや、今すぐ御神木から離れろ!」

必死に叫び、もつれそうな足を動かしてこちらへ走ってくる。
自分のしていることにやっと気付いて、
慌てて離れようとした。

が、その前に意識が“呑まれた”。

「え――」

意識が突然、木の方へ強制的に向けられて
そのまま引っ張り込まれていく感覚。
否、それは感覚ではなく事実だった。
とてつもない力に引っ張られ、意識だけが呑み込まれる!

「馬鹿者……っ!」

ああ、昨日妖怪に襲われたときと似てる。

最後に彩葉の声を聞いて、そのまま色葉の意識が落ちた。


落ちて――そして、木の奥に辿り着いた。

――イロハ。

あの人の声が聞こえた気がして、
色葉はゆっくりと目を開けた。


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