肆/二百年の恋 〇三

記憶。

記憶の中に居る。
じゃあ、これは誰の記憶?

目の前に広がる、小さな農村。
穏やかな人達。
小高い山の中にある朱色の神社。
大きな御神木。
そして――赤い髪と、黒い髪と、白い髪。

瑛と、彩葉と、あたし?

これは――土地の記憶。
この土地に根付く――樹の記憶だ。





今にも白い欠片が落ちてきそうな
分厚い灰色の空が延々と続く冬の初め。
新しい二人の者が、この地の土を踏んだ。
片方は男で、片方は女。
男は若鬼で、女は人間。
二人は辛そうな顔をしながら、それでも繋いだ手は離さない。
この手を解いたら死んでしまうとでも言うように。

駆け落ちをしてきた男女だということは明らかだった。
それでも名桐の村の人々は彼らを温かく迎えた。

『――明』

鈴を転がしたような声。
可愛らしい声が、冷たい空気の向こうから投げかけられた。
村の農作を手伝っていた男の額の汗を女は優しく拭う。
健気な少女の姿に村の男たちの顔を綻ぶ。

『お疲れでしょう、皆さん。お茶にしましょう』
『イロハちゃんの入れたお茶を飲めばすぐに元気になるさ』
『まあ、おだてても何も出ませんよ』
『そりゃ残念だなぁ』
『……僕の妻に手を出さないで下さいね』

若い二人の惚気た雰囲気に、周りがどっと湧く。
からかわれながら二人は幸せそうに笑ったのだった。



視点は、とある古い家の縁でお茶を飲むあの男女に変わった。
雪が深々(しんしん)と積もる外を見つめながら、
熱いお茶をすすり、寄り添いあっていた。

『ねえ、明』
『うん?』
『ここで暮らさない?
 ここは良い所よ。村の皆は優しいし穏やかで暖か……。
 名桐に骨を埋めるのも、悪くないと思うの』

娘の――イロハの提案に、しかし明と呼ばれた
赤毛の男の顔は渋った。

『……僕は、人じゃないよ。
 僕に流れる時間と、君たちに流れる時間は違う。
 一年はいられても――それ以上はいられない』

イロハにだけ聞こえるように、と雪の中に消えてしまいそうな
至極小さな囁き声で、明が諭す。

『分かってる……ごめんなさい。言ってみただけよ』

それから二人は何を言わなかった。
雪は深々と積もっていった。



朱色の神社。
まだ新しい、小さいが綺麗な神社だった。
大きな樹の下に長い白髪の二十歳かという年頃の女性が居た。
凍えるような冬の昼に、樹にもたれかかるようにして
女性は寝ていた。
不意にその目蓋がついっと持ち上がり、
目の前に立っていた赤毛の鬼と人間の娘を見た。

『ここの氏神、彩葉様ですね』

明が尋ねると、女性は雅やかに笑った。

『ふん。お前らがこの前ここの土を踏んだ二人だな。
 鬼が入ってきたものだから警戒はしていたが、
 どうやら仲良くしているようじゃないか』

楽しそうに微笑む女性――彩葉。
……彩葉って、アヤちゃんのこと?
でも、この人見た目全然違う……髪の毛だけ同じだけど。

『南の森を統治していた鬼、明です。
……ほらイロハ』

ぽかんとしていたイロハの背中を優しく叩き、
明は

『え、ああ、えっと。イロハです』
『イロハは兎も角、明、貴様の事は風の噂には聞いている。
 くれぐれも面倒を起こしてくれるなよ』
『あの!』

イロハが耐え切れないとばかりに声を上げた。

『なんだ』
『可愛いですね』
『……はあ?』
『貴方みたいに綺麗で可愛い人、初めて見たわ!
 何処に住んでるの? 神様って本当なのよね!』
『あ、あのなぁ。わたしは』
『仲良くしましょうね!』
一方的に手を握ってはしゃぐイロハを彩葉は対応に困ったような
顔で見た。

『おい、明! こいつを止めないかっ』
『ごめんなさい彩葉様。僕にとって一番可愛いのはイロハなので。
 どうか仲良くしてやって下さいよ』

その後イロハの楽しそうな声と
彩葉の怒鳴り声が響きあっていたが、
しばらくするとイロハの声しかしなくなった。


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