肆/二百年の恋 〇五

数日後。
明は「おかしい」と思っていた。
いつもは自ら自分に寄ってくるイロハが、この数日間
寄ってくる所か避けられている気がするのだ。
彼女を怒らせるようなことをしただろうか、と悩み始めた頃
イロハが「出掛ける」と言い出した。

『何処に?』
『……あやちゃんの所』

イロハが彩葉の元へ行くのは珍しい事ではない。
二日に一回はあの神社を訪ねてお茶を飲んでいるのだ。
だから明は、
心配だったがそれほど気に留めなかった。

『そう……じゃあ、行ってらっしゃい。
 暗くなる前には帰ってくるんだよ』
『――――』

一瞬イロハの顔が辛そうに歪んだが、
明からは見えなかった。

『うん。行ってくるね』



朱色の神社。
大きな御神木は葉が落ちて寒そうにそこに立っていた。
寒い風が吹き荒ぶ度にイロハは首を竦めた。
彩葉の住む神社の横の倉庫の扉を叩こうとして、
その前にその倉庫の、この神社の主が扉を開け現れた。
白い髪の下の黒い瞳が、すっと細められた。

『……ひどい目だな』

挨拶もなしに開口一番言った言葉。
その言葉通り――イロハの目は赤く腫れ上がっていた。
明を避けていたのは、泣き腫らした目の事を気付かれない為。
イロハはその言葉で、まだ涸れていなかった涙が溢れてきた。

『あやちゃん……っ、どうしよう……。
 私の、私のせいで、不幸になってしまった人達がいるの。
 沢山、いっぱい、百も居るの……!』

自分と同じ位の体格の少女の細い体に雪崩かかり、
わっと泣きだす。
それだけで彩葉はイロハが“知ってしまった”事を悟った。

『……明の、馬鹿者め……』

舌打ちをしながらイロハの背中を赤子をあやすようにさすった。



しばらく泣き続けたイロハだったが、
段々と落ち着いてきたのか、お茶を少しずつ飲んだ。

『あ、あの、ごめんね』
『いい。人間に泣きつかれる事は慣れてる』

ますます申し訳なさそうに小さくなるイロハ。
溜息を吐いて彩葉が座布団の上に腰を下ろした。

『まず訊いておくが、何故知ったんだ?』
『数日前の朝……明の仲間の鬼が来て……、
 その……聞いてしまったの』
『そうか』

イロハが起きていた事に気付かなかったという事は、
明も相当切羽詰っていたのだろうか。
もう一度「あの馬鹿」と呟いて、額に手を当てた。
多分、イロハはこのまま明と暮らす事は出来ないと思っている。
でも明は本当に想い人で、離れたくない。

彩葉が考えたイロハの思いは、殆ど合っていた。
自分が明と逃げ出したせいで苦しんだ鬼が百人も居る。
あの早朝に見た鬼の辛そうな顔が、懇願する声が、
全てが怨嗟のようにイロハに絡みつく。
でも、それでも――明と離れなくない。
愛しい愛しい、想い人。

明も、自分を一番に考えてくれていた。
嬉しいけど――同時にあまりにも辛い。

しばらく両者の間に微妙な沈黙が続いた。
それは一分のような気もしたし、十分のような気もした。

先に口を開いたのはイロハだった。

『あやちゃんに、お願いがあるの』
『なんだ?』

この時、彩葉はイロハの目を見て
彼女が何を言おうとしているのか理解した。

なるほど、それは
彼女らしい、優しい――愚かな決断。

『私を、鬼にして』


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