【其ノ弐】周、捜索断念 〇一

「お疲れさまです、濡鼠」
「誰が濡鼠よ!」

路灯の言葉に大声で言い返しながら
周は自室の畳の上に大の字になった。
あの後、ずぶ濡れで帰って来た周他三人(妖怪)の御一行は
寮の人々の好奇視線に晒されつつ、
そのままお風呂場へ直行したのだ。

「ああ、私はこれから陰で濡鼠と言われ続けるんだわ……」
「なんだ。ちゃんと分かってるんじゃないですか」
「うるさいっ」

お風呂から上がった後は髪を乾かす暇もなく
寮のおばさんに怒られるし、
自分が濡らした廊下を掃除する羽目になったし、
杏矢と圭雪と修芳はどこにも居ないし……散々だ。

「町で『あ、この前の濡鼠女』って言われたらどうしよう~……」
「修芳を、梅雨明けの空の下で連れ回された逆襲なんですって?」

大の字になって寝転がっている横で巻物を読みながら
路灯が訊ねてくる。ちょっと言葉に詰まった。
路灯は常に笑顔を絶やさない青年の姿をした青鬼だ。

「それは、……悪いと思ってるけど」
「じゃ、自業自得です」
「……うー……」

そもそも原因である佐巻は見付からず仕舞いで、
佐巻捜索はたった一時間ほどで打ち切りなった。
周も、すっかりやる気を削がれてしまった。

しばらく、静かな時間が続いた。

周は廊下の先の、何もないが風に揺られて音を立てる
綺麗な青々した竹が植えてある庭を見つめていた。
路灯は部屋の奥で巻物を呼んでいる。

……そういえば清姫も濡れちゃったけど大丈夫かな。
  もし風邪引いたら私のせい、だよね……。

……あ、杏矢は佐々野屋の団子が好きなんだよって言い忘れた。

「……周。直に寝ていたら、
 頬に畳の痕がつきますよ」
「…………」

周は無言で二の腕を頬と畳の間に入れる。
その時、路灯の顔から一瞬だけ笑顔消えた。
そして小さく溜息を吐いたが、周には聞こえなかった。



周の耳に足音が入ったのは、
ちょうど眠りの世界へ誘われる直前だった。
意識が急速に引っ張られる感覚に戸惑いながら顔を上げる。

「路灯、面白い歴史文献が……、
 ああ、ひよこ。帰っていましたか」
「秋澄……」

周を「ひよこ」と呼んだ、左目に眼帯をし、和尚様が着るような
服を着ているかなり長身の男性――秋澄は手に何冊かの本を抱えていた。

「……おや。我が主人は気分が優れないようだ。
 なんということでしょう。私は心配し過ぎて夜も眠れません」
「嘘言わないで下さい。秋澄。
 今、我が君は落ち込んでいるんです」

巻物から目を離さずに、路灯が言う。

「ああ……濡鼠」

その言葉に周がぴくりと反応し、
膝を抱えて丸まってしまった。

「……いじけていらっしゃいますね」
「……いじけていますね」

その言葉に周は更に体を縮こませた。
周りには何かよくない負の気が出ている……ように思えた。

とりあえず「ほっときゃ治る」と、
普段の周の切り替えのよさに期待して秋澄も部屋に入り
本を読み出す。

だが周はその後もしばらくじっと動かず寝転がっていた。

「……周。気分転換に図書室へ行きませんか」
「んー……図書室?」

どうやら妖怪と言えど、一応目の前に男二人が居るというのに
無防備にも寝かけていたようだった。

「周は図書室行かないでしょう。偶には、どうです? 二人で」

爽やかな笑顔で首を傾げながら訊いてくる。
最後の単語に、秋澄が密かに反応した。

周だって、まだ成り立て陰陽師の頃には
毎日図書室に通って勉強していた。
しかしこの妖怪達に出会ってからは、彼らを手懐けるのに
精一杯になって、確かに随分図書室に入っていない。

「まあ、久しぶりに行こうかなー」

目を擦りながら立ち上がる。

「私もお供します」
「ん? 秋澄は今行って来たんじゃないの?」
「いいじゃないですか。
 ほら、人数は多いほうがいいでしょう」
「図書室だから静かにしなきゃダメだよ?」
「……いいから」
「? ま、いいけどー。
 ほらっ、私着替えるんだから男は出る!」

急に勢いを出し始めた周に男二人は部屋から追い出された。
二人は先生に起こられた子供のように、廊下で
待つことになった。
路灯は穏やかな笑みを崩さぬまま、
秋澄を見遣りわざとらしく言った。

「別に無理して来なくてもいいんですよ?
 部屋でゆっくりその面白い歴史文献とやらを
 読んでいたらどうです」
「……貴方とひよこを二人っきりになどさせませんよ?」
「おや。嘘吐きな秋澄らしくない率直な言葉」
「貴方は佐巻の次くらいに妖しいですからね。
 言わせて貰いますと、何をしでかすか分からない」
「妖怪に対して“妖しい”? 面白いことを言いますね」

障子一枚の向こう側からは、
平和そうに着替える衣擦れの音がした。

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