其ノ四】夏、薄く水の流れる川辺で 〇二

秋澄と世愛は無言で睨み合っていた。
今日までお互いの顔は知っていたが、こうして向き合い
眼光をぶつけ合うのは初めてだ。

――薄気味悪い鵺ですね……。まあ鵺だし。

――胡散臭い海和尚だな……。まあ海和尚だし。

奇しくも二人は似たような感想を互いに抱く。
因みに二人の間には由生が転がっているが、
秋澄は気に留めない。
仲間であるはずの世愛も気に留めなかった。

しばらく無言での眼光のぶつかり合いが続いたが、
それを外したのは秋澄が先だった。
視線は白里の方に向けられる。
頼りない背中がうろたえているのが分かる。
人間よりも特殊な感覚を持つ彼らなら少し離れた場所の
会話なら聞き取る事もできるが、
秋澄は白里の問題だろうと思いあえて聴覚を逸らしていた。
あの麻月とかいう幼子は、あれでも相当な歳を食った
蛟なのだろう。
白里の年齢を秋澄は知らない。
そもそも彼ら妖怪にとって年齢と言うものはあまり意味がない。

そんな事を考えていると、
意外にも世愛が話しかけてきた。

「おい、海和尚」

ぶっきらぼうというか、
まるで岩にでも話しかけるかのような冷たさだ。

「私には秋澄という名前があるのですが」
「秋澄か。似合わない名前をしているんだな」

秋澄の眉間がヒクっと動いたが、
動いたのはそこだけで冷静にやり返す。

「そういう貴方こそ、その性根に合わない
 名前をしていると思いますね。
 世を愛するとは、素敵なお名前――」

言い終わる前に、
世愛の手が秋澄の眼前に構えられた。
その手は虎の毛で覆われ、獰猛で凶悪な太い爪が
夏の日差しを照り返す。

――見えなかった……!?

内心の動揺を悟られないように秋澄は必死で
余裕の笑みを形作る。
世愛の目は尖った怒りを煮えたぎらせている。

「名前の事を言うな。
 私は、私の名前が気に食わない」
「素敵なお名前ですね?」

全力の殺意をぶつけられていながら、
それでも秋澄は笑って棘を刺しにかかった。

「万象にとって名前は大切なもの。
 名前はその存在を表し、その存在をそこに現す。
 名前は絶えず我らの身体を巡り、縛っている」

それは陰陽道を志す者の常識。
名前を相手に捕らえられてはならない。
だから真名の他に名前が用意される。

「貴方を産み落とした母上は大層な慈愛に溢れていたのでしょう」
「黙れ」
「優しい母上が願いを込めて付けた名前。大切になさい」

世愛の妖気が、現実の圧力なって秋澄に襲い掛かる。
本気で掴みかかろうとした瞬間――

「うにゃ゛――――ッッ!!」

転がっていた由生が、起きた。
反射的に距離を取った二人の間で由生が後頭部を押さえながら
ジタバタと暴れだす。
由生の奇声に白里と麻月も振り向いた。

「うおおおおおっ、ってぇー! 激烈痛ぇぇええ!
 よまっ、てめっ、マジに何をしやがっ!」

ブツ切れの言葉でマジ切れの由生。
そのまましなやかな身体を滑らせて世愛に襲い掛かる。
いよいよ乱闘が始まるかと思ったその時、

由生と世愛を翠の燐光が包み込んだ。

「「!」」

驚いて動きの止まる二人に幼くも毒のある声が降りかかる。
麻月だった。

「くだらない事は止めてくんないかなぁ。
 仲間割れも楽しそうだけど、ここでやったって面倒なだけだし。
 僕に面倒をかけるな。消すよ?
 お前らの生き血で力を取り戻してやったっていいんだぞ?」
「ま、麻月……」

濡れた甚平のまま池から上がってくる少年。
呆然とする白里の横を通り過ぎ、自らも燐光の輪の中に入る。

猫又と鵺が、戦慄しながら幼い姿の鵺を見ていた。

「白里。いつか君にちゃんと分からせてあげるよ。
 君が間違っている事をね。
 まずは、君があの周っていう小娘の傍にいる事が
 間違っているのを教えてあげるよ」
「……周に手を出したら、麻月、君でも許さない」

ぐっと何かを堪えるように白里が言い放つ。
麻月はそれを嘲笑で流した。

「それは楽しみだね。
 君にとってあの小娘はとても大切なモノみたいだけど、
 僕にとっては君と争うための理由だよ」
「……!!」
「ああ、そうだよ。君は間違っている。
 その甘ったれた脳味噌を絶対に苦しめてあげる」

またね。

その言葉は残響のように周囲に静かに行き渡る。
燐光が弾け、白里と秋澄が目を開けた時には
三人の姿は何処にもなかった。



帰り道。
足取りは重く。
ついでに心も重い。
顔を俯かせて歩く白里の細い身体を見て、
秋澄は内心で溜息を吐いた。

――白里はいい意味でも悪い意味でも純粋ですからね……。
――あのひん曲がった小僧蛟の言葉は堪えるでしょう。
――折角孤独の傷跡が癒えかかっているのに。

「……秋澄」

視線を向けると、自信を喪失しかけている白里の左目。

「僕、間違ってるのかな」

右目は見えない。
その奥に潜む、底知れない孤独の寂しさを秋澄は知らない。
だが自分も似ているという事は知っている。
無意識に左目の眼帯に触れていた。

「それに私が答える事は出来ませんよ。
 ひよこの傍にいる事が正しかったのか、間違っていたのか、
 それを決めるのは最期の瞬間の貴方です。
 間違っていると思うのが嫌なら、そう思わないように、
 後悔の無いようにやりなさい」

言ってしまってから、胸の奥がざわついた。
心からの言葉を言ってしまった、自分へ舌打ちする。
適当に言えばよかったのだ。
その場しのぎの陳腐な言葉でよかったのに。
こんな言い方。
傷つけるくらいなら、嘘を言ってしまったほうがいいのに。

しかし白里の左目には見る見るうちに温かなものが戻ってくる。
ぱっと顔を上げて、笑顔で、嬉しそうに、

「う、うん。分かった。僕頑張るよ」

えへへ、と何故そんな風に笑うのか秋澄には分からなかった。

分からなかったが、

「……そうですか」

自分の本心が白里を傷つけなかった事に、
心の底から安心した。



…………

「秋澄は周の事好きだよねー?」
「なっ!? 何を言いますか。あのような発達不足の小娘に
 気があるなどとはありえませんよ。
 私はもっと余裕のある発育豊かな女性が好きなのです。
 それに比べてひよこのあの悲しい細身っぷりときたら……、
 術の腕もまだまだですし
 私に釣り合うような女性ではありません」
「あ、あの、秋澄。僕はそう言う意味で訊いたんじゃ……」
「……え……」
「秋澄、周の事、き、嫌いなの?」
「ちょ、待ってください。白里、泣きそうにならないで下さい!
 嫌いではありませんよ。ただ主人として、まあ仕方なく……」
「じゃ、じゃあ、嫌いじゃないけど好きじゃないの?」
「そ、そういう意味でも……。寧ろちゃんと好意は……。
 ああもう! どうして私が本音をこのような場所で
 ボロボロと白状しなければならないのですっ!?」
「??? あぅ、よく分かんないけどごめんなさい~~~!」



第一話・了

[其ノ伍へ]