【其ノ四】夏、薄く水の流れる川辺で 〇一

平々凡々。

そんな言葉が似合う極普通であるはずの東雲周という少女。
陰陽師(半人前)という立場上、
常人よりやや特殊な場面に出くわし、またそれを対処するほどの
力は持ち合わせてはいるものの
それでもまだ十六の少女。

平々凡々であるはずの彼女を特殊な人間として
しまっているのが彼女の周りを囲む九人の妖怪達。
そのどれもが妖怪としての地位、力の全てが
高位に値する妖怪ばかり。

そんな九人もの妖怪を式神として従わせている少女を
狙う者も少なからずは存在し――

……とにかく、今日も彼女の周りは妖怪でいっぱいなのでした。

   ◇  ◆  ◇

ぱしん、と鋭くも軽快な音が単調に響く。
猫又で溌剌な少年の姿の妖怪、由生(ゆう)が
それこそ猫のようにしなやかな動きで拳を突き出していた。

彼の拳を片手で受け止め流しているのは濁った緑の髪を持った
端整な顔の青年だった。
一見穏やかで無害そうな顔をしているのは鵺である
世愛(よまな)。

「――はッ」

由生の口から発せられる呼気。
体を動かしていないと暴れだしてしまう由生の鍛錬の
手合わせに世愛は付き合わされていた。
常人の目ではとても追いつけない速さで繰り出される
拳の連続を世愛は涼しい顔で受け止めていく。
本当ならここで少し苛ついてもいいところだが、
由生は相手が強ければ強いほど燃え上がる性質なので
寧ろ攻撃の速度は徐々に上がっていっていた。
同時に顔にも生気が満ち溢れ、楽しくて堪らないといった
感情が周囲に洩れている。

「由生。もう何十分こうしていると思っている。
 私はそろそろ止めにしたいのだが」

穏やかな顔をしていて実は群れる事を嫌い、孤高でありたいと
望んでいる世愛は呆れたように言い出した。

「ええーっ!? もう終わり? つっまんねー。
 あっ、世愛疲れたん? だったらそー言え……よッ!」

しかし由生は世愛の言葉にはほぼ耳を貸さず
拳を突き出した。
やや振り下ろすように突き出されたそれを、
上に向けた掌で受け止める。
瞬間、受け止めた手にいきなり重みが掛かった。

「――!」

見開いた世愛の視界の中に、由生はいない。
由生は世愛の掌に置かれた自らの腕を軸に上に飛んでいた。
軸に添って、由生の体が空中で前側に回る。
手が世愛から離れる。
丁度世愛の上に来た時、彼は右足を世愛の項目掛けて
思い切り振り下ろした。

「激ッ烈ッ猫又蹴りィ――ッ!!」

安い技名を叫びながら由生は自らの技の成功を確信し――
右足は虚しく空気を裂いた。

あれ、と意表を突かれた由生は
右足に感触が伝わってこない事を疑問に思ってしまい、
目の前に地面が見えた時には既に判断は遅かった。

「にゃぎぃッ!!」

ろくな受身もできずに地面に顔から衝突。
派手な音が響き、由生はそのまま体をヒクヒクさせていて
起きる気配がない。

由生が自分の真上に来た瞬間に前に転がって
かわしていた世愛は、間抜けな格好を世に晒している
猫又を侮蔑の混じった視線で見ていた。
そんな彼の暗い表情を見咎めた者は誰もいない。

「――なんか、本当に……由生って阿呆だよねぇ……。
 ああ、ごめんよ。わざわざ口に出して言うほどの事じゃ
 なかったね。もう皆分かってるんだから」

未だに痺れている由生に向って心配など欠片も感じられない
言葉を流れるように吐いたのは、
夏の猛暑で水量が少なくなった池に甚平を着たまま
浸かっている幼い少年――蛟の妖怪、麻月(まづき)だ。
流れる川のような色の色素の薄い髪の毛の下にある顔は
大分弱っているように見えるが、
それでも彼の口から悪態が尽きる事は無いらしい。

麻月が池に更に浸かって深く息を吐く。
世愛は既に由生から興味が逸れたのか、
いつものように一人で何処かへと歩き出そうとしていた。
ようやく回復した由生が顔を上げ世愛に文句を言おうとした時、
彼の視界に見覚えのある人影が二人、映った。

「あーっ!」

彼が指差し声を上げる前から、世愛も麻月も
気付いたらしい。二人同時に視線を同じ方向に向けた。

二人の人影も三人に気付いたらしく足を止めた。
儚げな、麻月より少し年上に見える少年と
左目に眼帯を付けた長身の男だった。

周の従える九人の妖怪の内二人、
白里と秋澄だった。

間に不穏な空気が流れ、秋澄は見なかったフリをしようと
方向転換しようとする彼に由生は掴みかかろうとした。

「あいつ、周って女の下僕の――」
「ここで騒ぎを起こすな」

背後から世愛がその頭に踵落としを爽快に極め込んだ。
完全に回復しきっていなかった体に叩き込まれた二度目の衝撃に
再び顔を地面に付けた。
今度こそ意識が数秒飛んだらしく
髪の毛の間から猫の耳が覗いてしまっていた。

仲間割れかとさえ思わせるその光景に秋澄と白里は
一瞬唖然としていたが、秋澄がすぐに我を取り戻した。

「白里。別の道で寮まで――」
「待って」

秋澄の言葉を最後まで言わせずに白里が麻月達の方へ向っていく。

「白里っ」

止める声も聞かずに進んでいく白里は世愛の横を通り過ぎる。
池に浸かっている麻月の前で白里は止まった。

何を言えばいいのか言葉を選んでいるらしい白里は困惑顔のまま。
麻月はそんな白里を静かな怒りを灯らせた瞳で睨んだ。

「やあ、久しぶりじゃないか。白里。
 猛暑で川の水が干上がって弱っている僕の姿を見るのは
 楽しいかい?」

湿気た嫌味な口調。
川を力の源とする麻月は川の水が少ない夏は
決まって力が衰えていた。

白里は驚いた顔で細い首をぶんぶんと振り、

「た、楽しくないよ。
 あぅ、その……大丈夫?」
「君に心配されたくないね。余計に気分が悪くなる」
「ええっ? ご、ごめん。ごめんね」
「謝るな。ていうか謝るくらいならとっとと失せてくれる?」

目を合わせようともしないで
ただ白里を傷つける事しか言わない麻月。
しかし白里も白里で譲れないところがあるらしく
おどおどしながら言う。

「あの……麻月は、最近、どう?」
「どうって何が? 人に答えを求めるにしては
 随分と大事な部分が抜けているけど」
「あう。そ、その、えっと……竜神様に、会った?」

竜神。
その言葉を聞いた途端、麻月の目にはっきりと激情が燃えた。

「君が、それを、僕に、聞くの?」
「ぼ、僕もね、最近竜神様に会ってないんだ。
 周を守るのもあったけど、色々な人に会えて忙しかったから。
 だから竜神様どうかなぁって……」
「別に、自分から会いに行けばいいじゃないかそんなもの。
 君は竜神様のお気に入りなんだから、
 会いたいって言えば会ってくれるんでしょ。僕と違って」

僕と違って、を特に語気を強めて言う。

「全く。君はいつもオドオドウダウダジメジメウジウジ……
 とろくさいったらないね。
 どうして君が竜神様に認められているのか本気で分からないよ。
 もしかしたら竜神様ってぇのは、案外大した事ないのかもねえ」
「麻月っ!」

ぴしゃりと言い放つ声。
今までのような震えも気後れもない鋭さがあった。
麻月は不覚にも、まるで尊敬している人物から叱咤されたような
怯えと緊張を感じてしまい顔が強張る。

「……お、怒るよ。りゅ、竜神様を、悪く言ったら」

しかし既に白里のまとう雰囲気は一瞬前と同じものに
戻っていた。
儚く、頼りなく、意気地のない。
それなのに力があり、人の背筋を伸ばさせる
威厳を何処かに秘めている。

気に入らない。
そう。麻月は出会った時からこの白蛇が気に入らなかった。

「……白里。
 僕は――君なんか嫌いだ」

宣言。
何度も繰り返した嫌悪の投げかけ。

「ぼ、僕は嫌いじゃない、けど」

そんな風に夢見がちな目で。
分かり合おうなんて思っている目で。
殺してやりたくなる。
肌を裂き骨を砕き四肢を千切り顔を潰し、
その隠れた右目を暴いて抉り取ってやりたい。

腹の底から押し上げてくる黒い衝動を抑え、
麻月は冷静を装った声で言う。

「僕は嫌いだ。大嫌いだ。
 僕より優秀で竜神様に気に入られている君が心から嫌いだ」

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