【其ノ伍】夜、廃屋の主を賭けて 〇二

しばらく、互いに無言が続いた。
佐巻、圭雪、修芳の息は荒く目は炯々と輝いている。
三人の目にあるのは同じ。敵意、だった。
対する藤倉、九川は冷静そのものだ。
はち切れそうな緊張の中で周は声を上げる事もできない。
重い沈黙を破ったのは、圭雪だった。

「……周を、返してよ」

普段は大人しく、普通の少年のような圭雪からこれほど
重く、寒気がする声を、周は始めて聞いた。

「景品だって? 周は、お前のものじゃないぞ」
「では、貴方のものだと? 烏天狗さん」
「それは……」

ぐっと悔しそうに言葉を詰まらせる圭雪。
それに修芳が珍しく声を上げて反論した。

「あまねは、誰のものでもない」
「修芳の言う通りです」

珍しく佐巻が周りに同調した……と思われたが、

「我が君は誰のものでもありません。
 ――私の玩具(モノ)です」
「「「それは違う」」」

周と圭雪と修芳が同時に突っ込みを入れた。

「佐巻……君、ちょっと空気読んで」
「私は空気が読めないのではありません。読まないのです」
「もう君黙ってて」

砕け散った緊張を戻そうと、圭雪は一つ咳払いをする。

「……で、頼んでも返してくれなさそうだね?」
「貴方達が土下座をしたらそれはそれで面白そうですがね。
 でもそれでは欲求は満たされないでしょう?」
「欲求?」
「ええ。最近、体が鈍っていませんか?」

その言葉に圭雪と修芳は反応を見せた。
以前は自由に振舞えていたが、周の式神と
なってからは無用な争いを嫌う周の指示で
もうずっと力を抑えていた。
最後に妖怪としての力を存分に使ったのは、
はたしてどれほど前だっただろう?
動き回りたい。自由に、自分達は空さえ飛べるのだ――
そんな欲求が溜まっていた事を、今更ながらに気付いた。

「……つまり君達と、戦え、と?」
「理解が早くて助かります。周嬢を賭けた戦です」

藤倉が手を挙げ、美しいつま先を周に向ける。
すると藤倉の手の平から大量の糸が噴出した。

「きゃあ……っ!?」

糸は瞬時に周を絡めとり、埃っぽい壁に磔刑にした。
思い切り背中を壁に打ち付けた周は激しく咳き込む。

「あまね!」
「……っ、平気……大丈夫だから……」

思わず駆け寄ろうとする修芳の前に九川が立塞がる。
刀は、既に鞘から抜けていた。

「男児なら、売られた喧嘩は倍の値段で買わねばな」
「――!」

残像が残るほど速い太刀筋。
周が悲鳴をあげかけたが、宙に舞ったのは血ではなく
数本の髪の毛だった。
修芳は寸での所で刀をかわし、距離を取っていた。

「危ない」
「ふん。貴殿、なかなかやりおるな?」

九川の太刀筋を見て相手は本気だと悟った圭雪は
袂から扇を取り出し、相手の出方を見た。

「やっとその気になってくれましたか。
 けれど残念ですが貴方の相手は私ではありません」

見れば九川は刀を正眼に構え――狙いは修芳と圭雪の二人。

「舐められたもんだね」
「違いますよ。私は一人で存分にそちらの布切れ妖怪の
 相手をしたいのです」
「ぬ、布切れ妖怪……ッ!?」

普段は胡散臭く冷静な佐巻が聞き捨てならんと、
激しくその言葉に反応した。
圭雪が「ぷっ」と横で噴出したが、気付かず声を荒げた。

「……卑しい蜘蛛が随分と言いたい放題やりたい放題ですね。
 土蜘蛛なんですから大人しく湿気た土の下で
 永久に眠り転がりやがったらどうです?」
「随分と態度の大きなボロ雑巾なのですね。
 布切れは布切れらしく廊下でも拭いていなさい」

……なんか、黒く邪悪な気配が……。

周は自分の置かれた危機的状況も忘れて、
二人の間からだだ漏れる黒い空気が周りを侵食していくのに
肝を冷やしていた。

佐巻は着物の隙間から真っ白な手を覗かせて、
その爪をまるで刀のように鋭く伸ばした。

「……ふっ。ふふふ……。
 いいですよ。今は貴様の策略に乗りましょう、藤倉。
 ――ここまでやっといて生半可で済むと思うなよ」

――……佐巻が、キレた。

圭雪と修芳、そして周が固唾を飲んで見守る中、
妖怪同士が、激突した。



正直、この廃屋が壊れるのではないかと思うほどの衝撃に
勝負の行く末よりも屋敷の倒壊が気になる。
ヘタをすればそれで死んでしまうかもしれない。

――ていうか、皆絶対あたしの事忘れてるよね。

九川、対、圭雪と修芳――はともかく、
藤倉、対、佐巻の方は完全に藤倉が楽しんでいる。

「帰りたい……夕餉まだ食べてないし……」

蜘蛛の糸によって壁に貼り付けされているので、
立ち続けるというのも疲れてきた。

それにしても、誰かが少し攻撃をするだけで
周にもはっきりとそれと分かるほど
呪力の波が襲い掛かってくる。
人間には到底できない、離れ業。

圭雪は風を起こし、操り、吹き飛ばす。
修芳は水を操り、集結させる。
佐巻は伸びた爪を武器に人間離れの動きで掴みかかる。

――「人間と妖怪は、違うイキモノですから」

先ほど胸に刺さった藤倉の言葉が浮かんだ。
そう。妖怪は人間じゃない。
当たり前な事だ。妖怪は人間を凌駕する力を持っている。
今までだって、散々見てきたじゃないか。
なのになぜ今更、胸に突き刺さるのだろう。

――藤倉のあの言い方が……。

まるで自分達は相容れない、と言われたみたいで。

――って、何考えてんだろ。

そう思った瞬間、周のすぐ横の壁に何かが
物凄い勢いでぶつかった。

「――圭雪ッ!」



視界の端にふと入った周が俯いて落ち込んでいるように見えて、
それに気をとられた瞬間、刀の峰で吹っ飛ばされた。

「か、はっ……」
「圭雪! 大丈夫!? ねえ圭雪!!」
「だいじょ、ぶ……峰打ちだから。
 くそ、思ったより強いや……」

よろよろ立ち上がろうとした瞬間、
一体どう動いたのか九川が目の前にいた。
修芳がそれを気付いて仕掛けようとするが、
九川が刀の先を圭雪の喉元に突き付けたのを見て動きを止めた。
見上げると、九川が凛としながらも冷たい目で
こちらを見下ろしている。
殺されると思ったが、九川の口から意外な言葉が紡ぎ出された。

「潔く負けを認めれば、ここで終いにしてもよいが?」
「え……?」

呆然と九川を見上げるが、冗談を言っているようには見えない。
命乞いを欲するほど性根の腐った人間ではない事は知っている。

「なんで……」
「……貴殿を殺すと周殿が泣くからだ。
 男児たるもの、女子供を泣かすわけにはゆかぬ」

呆けた顔を――前髪で目が見えないので口をポカンと開けていた――
していた圭雪は、一瞬の間を置いて「降参だ」と呟いた。
周が先ほど見たように、音をたてずに刀が鞘に納まる。

「あんた、甘いね。そんなんじゃ蒔田に捨て駒にされるよ」
「拙者は己を貫くのみ。他人に寄りかかる気は毛頭ないゆえ、
 そのような心配は無用だ」
「あんたが背を向けた瞬間、俺はあんたを襲うかもしれないよ」
「貴殿はそのような事はしない。
 ……周殿が選んだ、式神であるからな」

修芳の手を借りながら、圭雪が立ち上がる。
あっけらかんと彼に背を向けた九川に苦笑した。
修芳はそんな二人を見つめ、
九川にそっと語った。

「違う。あまねが選んだんじゃない。
 僕らが、あまねを選んだんだ」

な? と修芳が周を向いて訊いてくる。
訊かれた周は「え?」と今の修芳の言葉に頬を赤くした。



「割と持ちこたえましたね。ボロ雑巾の癖に」
「そろそろ疲れたでしょう。言ってくれれば
 恋しい土の下に埋めて差し上げますよ」

余裕を返してみるが、佐巻には殆ど余裕など残っていなかった。
藤倉が手から放つ蜘蛛の糸をかわすのが精一杯で
周りの事や反撃の事が考えられなかった。
動く度に体中が悲鳴を上げた。
人間の姿のままでは限界がある。出せる力も出せない。
――仕方ない……っ。
周が見ていない事を願うしかなかった。

藤倉の手から尽きる事無く蜘蛛の糸が吐き出される。
それに向って佐巻は腕を突き出した。
そのまま糸が絡まるかと思ったが、その寸前で佐巻の腕が
バラリと崩れた。
驚く藤倉の一瞬の隙を見逃さず、佐巻の腕だったものは
藤倉の喉に向かい、首を絡め取った。

「っ、……!」

佐巻の着物の袖から伸びるそれは、木綿だった。
彼は自分の一部分だけ本来の姿に戻したのだ。

「一部だけの解除とは……意外に高度な事もできるのですね?」
「周の手前ですから止めておきたかったのですがね。
 手っ取り早く終わらせます。――だから死ね」
「っ! ……ぐ……!」

きつく喉を締め上げ、持ち上げる。藤倉の足が浮く。
一思いに殺してやろうと佐巻の中の黒い何かが笑った。
――が。

「止めなさいっ!」
「痛!?」

後頭部に衝撃。
振り向くとそこには、今まで助け出そうとやっきになっていた
主である少女が立っていた。
手にはお盆。それで佐巻の頭を殴ったのだろう。
今の衝撃で力が抜けてしまい藤倉が床に落ちてしまった。
彼はむせながら必死に肺に空気を取り込もうとしている。

「え、あれ? 我が君、何故?」
「圭雪と修芳が既に助けてくれたわよ!
 もう、呼んでも返事してくれないし、馬鹿!
 って、怪我してるしあたしの着物もぼろぼろじゃないの!」

周は涙目になって佐巻の着ている自分の着物の裾を掴み、
ほつれや破け目を見て叫んだ。

「あんたに着物を貸すとロクな事にならなんだからーっ!
 脱いで! 今すぐ脱ぎなさい!」
「ちょ、待って下さい我が君。そういう大胆な事は布団で」
「なっ! 違うわよ! あんたの考え方ってホントに最低だわ!」

ポカポカと殴ってくる普段なら可愛いそれは、
今の佐巻の体には結構辛いものがあった。
とりあえず周を取り返せた安心感にぐったりと頭を下げると、
着物から伸びる木綿の“腕”に気付いてハッとなった。
同時に周の視線がそこに止まったのを感じ、慌てて、

「我が君、見――」
「平気よ」
「え……?」

言い終わる前に言われた周の言葉にきょとんとなる。

「……あたしと貴方達は違うのは分かってるから大丈夫」

途端に胸の中に鈍い痛みが走った……ような気がした。
何故だろう。周にだけは言われたくなかった。
しかし周は存外ににっこりと笑って言った。

「違うのは分かってるから。
 ――だからあたしは受け入れられるわ」

――先ほど言いかけた事が、全て言えなくてよかったと思った。
佐巻は見ないでと言うつもりだった。
見られたら拒絶されると思ったのだ。違うから。
……周はこんなに自分を信頼してくれていたのに。

「……なにやらいい雰囲気の所悪いのですが」

忘れ去られていた藤倉が、のっそりと立ち上がり
呆れたような顔で髪の毛を整えながら

「周嬢が救出されたとなっては仕方ありません。
 この勝負、貴方がたの勝利です。
 なんだかやる気も削げましたし……」
「藤倉さん」

呼ばれた藤倉が億劫そうに顔を上げると、強い瞳とぶつかった。

「あたしの式神達に、誰かを殺させる真似をさせようと
 するのは止めて下さい。今後一切です」

今までの穏やかな微笑みのない藤倉を正面から睨み、
周は強い口調で告げてくる。
同じ少女なのかと疑いたくなるほど迫力のある睨みに
藤倉は一瞬だけたじろいだ。
――どうやら怒らせてしまいましたね……。

「約束はできかねますねえ。私は富村の式神ですから。
 ……まあ、個人としてするのは止めると約束しましょう」

藤倉の顔にいつもの笑みが戻ってくる。
何かをたくらんでいる顔だったが、これ以上周は何も言わない。
三人の妖怪たちに向かい、帰ろう、と言う。
去っていく四人の背後を見送った。



「……よいのであるか?」

静かになった廃屋の部屋。
月明かりだけが薄ぼんやりと照らすそこで
九川が藤倉に訊いた。

「何がでしょう?」
「貴殿があっさりと身を引いた事が不気味なのだ」
「ふふっ、言ってくれますね。疲れただけですよ」

生い茂る庭に向ってゆっくりと歩き出し、
月を見上げて浴びるように手を広げた。
九川がひっそりと見守る中で、胸中で呟く。

惜しい事をした。
あの娘、最初からあのような顔をしていれば
自分はあの娘についただろう、と。

  …………

「あーっ!」
「うわっ。な、何どうしたの、周」
「あいつら、佐々野屋の団子くれるって言ってたのに!」
「……あまね、食い意地はってる」
「しっ仕方ないでしょ。あたし夕餉食べてないんだからっ」
「今なら色町の方へ行けば何処か開いているんじゃないですかね」
「行かないわよあんなところ!」
「遊女達の着飾りを少しは見習ったらどうですか?」
「あたしが可愛くないって言うの!?」


第二話・終

[其ノ陸へ]