【其ノ伍】夜、廃屋の主を賭けて 〇一

夜は、妖しい者共にご注意を。
影から覗く笑顔に油断してしまったらそこまで。
貴方の生き血は啜られ、
貴方の魂は手中に嵌る。

◇  ◆  ◇

空もあと残り僅かな橙色を残すのみとなった時刻。
陰陽師の卵が寄り添う寮。
東雲周の部屋に一つの影が現れた。

「おや?」

晒し木綿を適当に体に巻きつけただけ、という
非常に目のやり場に困る姿を恥じる事なく、寧ろ誇るように
周囲に晒しているのは、一旦木綿の妖怪・佐巻だ。
彼は小脇に抱えている籠を一旦廊下に下ろし、
襖を開けてなんの躊躇いも無く中に入った。

普段ならこの時間は部屋で休んでいるはずの主が
そこにはいなかった。
佐巻を首を傾げていると、後ろから二つの気配。
残念ながらそれは主どころか人ですらなかった。

「うわ、何これ?」
「……人形」

振り向くと、そこには二人の少年――の姿を取った妖怪がいた。
伸びた前髪が両目を隠している少年と、
人形のように表情のない顔の少年。
前髪少年が烏天狗の圭雪。
人形少年が雨童子の修芳だ。

圭雪達が驚いていたのは、先ほど佐巻が廊下に置いた
籠の中身だった。
そこには蜘蛛、蛇、蜥蜴などを模した人形が
やたら毒々しい色合いに彩られている。
女性が見たら卒倒しそうなほど、気味の悪い人形だった。

「あっ、佐巻。さては君、この人形で
 また周を苛めようとしたね?」
「……苛め、かっこわるい」

見るなり、すぐさま責め始めた。
佐巻は普段から主である周をからかって遊んでいるので
彼は他の周の式神達から嫌われている節があるが、
本人は全く気にした様子も無い。
喚き立てる少年達の言葉に、しかし佐巻は余裕の表情で微笑む。
美貌の青年の姿である佐巻がそうすると、
それだけで町娘も遊女も貴族の姫も虜になりそうな
妖艶な雰囲気が辺りに満ちるようだった。

「苛めとは心外な。苛めてなどいません。
 私が我が君を可愛がっているというのが分かりませんか?」
「君の愛情表現は物凄く歪んでいるよ」
「……変」
「ああ。ところで当の我が君がいらっしゃらないのですが、
 何処にいるかご存知ありません?」
「知らないよ。ていうか知ってたとしても君には教えないよ!」
「あまねが、いない?」

伽藍とした部屋を見て、圭雪も修芳も首を傾げた。

「あれ、本当だ。
 まあ継雅か清姫に呼ばれたとか、そんなんじゃない?」

圭雪が言った当然の推論に、佐巻は無意識に顔をしかめる。
なんとなく、自分に何も告げずに何処かへ行った
周に不愉快さを覚えた。
そんな佐巻の心情などさも知らず、修芳は無言で部屋に入り
部屋に落ちていた一枚の紙を拾い上げた。

「落ちてた」

圭雪が受け取ろうとするのを、佐巻が横から腕を伸ばし
紙きれを奪い取った。

「あ、ちょっと!」

抗議の声を無視して、佐巻は紙に書かれた文字に目を落とした。
紙切れ、といってもかなり高級な和紙であり
そこに流れるように書かれた文字は達筆の一言に尽きる。

そこにはこう書かれていた。

『今宵、川沿いの妖怪屋敷で宴を開きませんか?
 気が向いたら出よろしいのですが、
 私としては皆様と親睦を更に深め合いたいと思っております。
 佐々野屋の団子を用意して、お待ちしています。

 藤倉(ふじくら)

 追伸
 周嬢は既にこちらへお越し頂いています』

圭雪はぽかんとした顔をし、
修芳は青い顔を更に青くし、
佐巻は箪笥から着物を取り出した。

◇  ◆  ◇

「お目覚めですか。九人の妖怪を統べる麗しの姫」
「……えーっと……」

必要以上に飾り立てた言葉で周に優しく微笑みかけるのは
自分を付け狙う蒔田(まきた)の仲間である
土蜘蛛の妖怪――藤倉だった。
穏やかでありながら隙が一つも無い物腰と
油断を誘うような微笑み。
しかし蒔田の五人の妖怪達の中で一番危険視されているのが
他ならぬ藤倉であった。

しかし緊張しようにも周が寝かされているのは
やたらとふかふかで寝心地のいい布団の上だった。
どうして自分がこのような状況にあるのかが分からない。
混乱する周の心を見透かしたように藤倉は微笑みながら言う。

「少々、面白い悪戯、を考え付きましたので、
 周嬢を攫ってみました。手荒な真似をして申し訳ありません」
「さら……っ!?」
「ああ。まだ起き上がらない方がよろしいですよ。
 連れ去る時に眠り薬を嗅がせましたので、
 もうしばらく安静になさっていてください」
「なっ、ね、眠り薬って……!」
「ほらほら。そう力まないで」

次々と出てきた不穏な言葉に堪らず飛び起きようとすると
肩をそっと押し返されて周は布団の上に逆戻りした。

確かに体に上手く力が入らない。
まだ意識もぼんやりとおぼろげであり、眠ってしまいそうになる。
敵地に連れ込まれた挙句に寝てしまうなどできる訳もなく、
かと行って今ここで藤倉を振り切って逃げる事はできなさそうだ。
せめても、と藤倉をキッと睨みつけたが、

「そんな可愛い顔をなさらなくても」

迫力が足らないらしく、馬鹿にされてしまった。
十六歳の少女では相手を嚇す事もできない。

「今、お茶をお持ちします」

そう言って藤倉は立ち上がり、襖の奥へと消えていった。
逃げ出すなら今だが、周は完全に丸腰だ。
それにこれほど無防備に周を放っておくという事は
何か罠でも仕掛けてあるのだろう。
どちらにしろ、薬が体を回っている状態では
立ち上がっても歩く事はできないだろう。

辺りを確認する。
何処かの廃屋らしいが、ここが蒔田達のねぐらなのだろうか?
使われなくなって数年経つらしく、天井の隅には
大きな蜘蛛の巣が張っていて、黄色い蝶が引っ掛かっていた。
じたばたと必死の思いでもがく蝶。
それに近付く大きいけれど、蝶の半分以下ほどしかない蜘蛛。
しかしこの状態では、勝つのは蜘蛛だ。
蜘蛛は小さいけれど、それより大きなものを仕留める知恵がある。
なんとなく今の自分と藤倉を表しているようで、目を逸らした。

……何もされてないわよね?

自意識過剰だとは思いつつも、布団の中の自分の姿を確認した。
着物は意識を失う前に着ていたものと同じであり、
特に乱れた様子も、直された様子もない。
そのまま連れてこられたらしい事に一先ず安堵した。

溜息を吐いた時、ふと、風を切る音が聞こえた。

音のする方へ首を向けると、その先には庭があった。
手入れのされていない庭には、栄養もないのに高く伸びる
雑草が鬱蒼としていた。
音はそこから聞こえる。
雑草の合間に、凛々しい青年が無心の刀を振っていた。
藤倉と同じく蒔田の仲間であり、
九十九である九川(くがわ)だった。

頭の高い所でまとめられた長い髪の毛が、刀を一振りする度に
ぴょんっと跳ねた。
刀の太刀筋は武士の心得のない女性である周から見ても
見事なものだと分かるほど、磨き抜かれたものだった。
振る毎に、寧ろ力強くなっていく。
周は自分の置かれている立場も忘れて見入ってしまう。

視線に気付いたのか、九川が手をピタリと止めて
淀みのない動きで刀を鞘に納める。
その動作は、音すらないほど静かなものだった。

こちらを振り帰った九川の瞳は思わずこちらの背筋が伸びるほど
真っ直ぐで、凛々しく、真夜中の三日月を思わせた。

「うぬ。お目覚めであるか、周殿」
「あ。……はい。どうも」

――駄目よ周っ。凛々しい殿方だけどこの人は敵なんだから!

見とれていた自分に気付き、心の中で叱咤する。
そんな周の心境など露知らず、九川は汗ばんだ己の体を
手ぬぐいで拭き始める。
上半身には何もまとっていないのに、不思議と艶かしさはない。
上着を着て草履を脱いで、周のいる居間に上がってきた。

「仕方なき事とはいえ女子に対して手荒な真似をした事、
 どうか許していただきたい」

こちらへ来るなり真摯な態度で土下座をされた。
周はぽかんとしてしまい、それから慌てて「そんな」と言いかけ

――いやいやいや! 許しちゃ駄目だよ!?

と思い至った。
数秒言葉に迷い、顔を上げないままの九川にそっと語りかけた。

「……とりあえず顔を上げて下さい」
「おお。流石は周殿。許していただけるか」
「いやあの、許してはいませんけど……」

なんと、と九川は難しい顔をした。
黙っていると「ならば腹を切ってお詫びを」などど
本気で言い出しかけないので、こちらから話しかける事にした。

「あの、九川さん。訊いてもいいですか?」
「手荒な真似をした報いとして、拙者はなんでもお答えしようぞ」
「じゃあ、私はこんな所にいるんでしょう?」
「うぬ。それは拙者と藤倉殿が周殿を誘拐したからなのである」
「…………」

ちょっとは包み隠せよ。
そこは誤魔化すところだ。誤魔化しようもないけど。

「はあ……なんで誘拐したんですか?」
「それは藤倉殿が面白そうだから、と。
 なんでも周殿をダシに汝の九人の式神を呼び込むとか」
「ああ、なるほど。はい、分かりました……」
「全く、周殿をダシにとはけしからぬ。
 あの式神達と会いたいのであれば自ら赴けばいいものを」

努力を尊び、頼る事を善しとしない。それが九川の信念だ。
ズレている気もするが、今回の藤倉の手口にはご立腹の様子。

周は呆れて、というより半ば予想通りで気が抜けた。
藤倉は徹頭徹尾快楽主義者だ。
蒔田の傍に付いているのも単に「面白そうだから」という
理由である。そんな理由で彼のような上位の妖怪に
付け狙われる周にとっては堪ったものではない。
「あの、許せないならなんで藤倉さんの
 お手伝いをしているんですか?」
「うぬ。恥ずかしい話だが藤倉殿は拙者よりも
 上の妖怪ゆえ、そう簡単に頼み事を断れないのである」

――え、そうなんだ……。知らなかった。

見た目では九川の方が年上に見えるが、
見た目の年齢は関係ないらしい。
思い出してみれば自分の式神の一人である白里も
幼い格好をしているがあれは相当歳を食った白蛇なのだ。
妖怪の姿は精神的な年齢に因るのかな、と周が思っていると、
立て付けが悪いのか襖がガタガタと小うるさく開き、
お盆を持った藤倉が現れた。

「おや、九川さん。鍛錬はもうよろしいのですか?」
「……うぬ」

九川の顔がやや曇る。
どうやら彼は藤倉を好いてはいないようだった。
藤倉は周の横に座ると、湯呑みを差し出してきた。
先ほどと変わらぬ微笑みで「どうぞ」と言ってくるが、
眠り薬で眠らされていた周にとって、藤倉が差し出すものを
素直に受け取る気には当然なれない。

「いやですねえ。毒なんて入っていませんよ?」

周の考えを見透かしたように言い、藤倉は差し出していた
湯飲みに口を付け、少しだけ含んで見せた。

「……妖怪には効かない毒かもしれないじゃないですか」
「ふふ、そうかもしれませんね」

周の疑り深さに、藤倉は嫌な顔一つせずに
さらりと冗談で受け流した。
だが次の瞬間、優しい笑みが底知れない厭らしいものへと変わる。
妖怪独特の、怪しい光を瞳の内に灯らせて。

「――人間と妖怪は、違うイキモノですから」
「えっ……」

その言葉に、胸に棘が刺さったような痛みを感じた。
どういう意味、と問いかけようとした時、
何処からか暗い廃屋には似合わない軽やかな鈴の音がした。

「鈴……?」
「おやおや。思っていたより随分と早い到着だ」

見ると九川は刀を腰に差している。
藤倉もただならぬ雰囲気をまとい始めていた。

「え、なに? なんなの?」
「……これから、遊戯が始まるのですよ。姫」
「遊、戯?」

立ち上がろうとした体は九川に押さえつけられた。

「っ、どいて!」
「すまぬ周殿。詫びなら、後でいくらでも――」

「我が君!」「周!」「あまね!」

襖を蹴破って現れたのは周の見知った三人。
三人とも殺気立って、藤倉を睨みつけていた。
それを当の彼は、心底嬉しそうな笑顔で迎える。

「景品は佐々野屋の団子と――東雲周。
 さあ、存分に遊びましょう。こういうの、海の向こうでは
 “げぇむ”と言うらしいですよ。ご存知でした?」

[次へ]