【其ノ八】森の中、迷子は神に逢う 〇二

「い、一体なんだ? どうしたというんだ?」
「……強制呼び出し?」
「おいおい、なんだよ。俺まだ寝てたんだけど……」
「杏矢、もう昼過ぎてるよ」
「しかしながら、圭雪。私達は妖怪なので
 本来は夜に活動をするものですよ」
「夜に活動を好むだけであって、実際に昼夜は
 私達にはあまり関係のないものだと思いますが」
「……感覚が人間の方に慣れたんじゃないかな?」
「まあ私は夜の方が好きですけれど」
「お前の場合は夜に遊びに行くからだろう、佐巻」

強制的に呼び出された式神達は、
各々が場違いなほど呑気に言いたい事を言っている。
九人の注意がやっと周に向いた時に
妙ににこにことしている彩馬を見て、
一人を除いた八人の顔に同時に「誰?」という表情が浮かんだ。

「コイツ誰? つーか此処は何処だ?」
「周が私の知らぬ所で知らぬ男に会っている方が問題では?」
「賛同したいけど、佐巻が言うと賛同したくないね」

更に上を行く場違いな佐巻の発言を圭雪が冷たく受け流す。

「に、人間じゃないよね……妖怪?」
「にしては、気配が上手く掴めないな」
「……秋澄」
「立葉に読めないものが、私に読めるはずないでしょう」

「あ、あんたらね……」

好き勝手に言い出している式神達に
周が叫び声を上げる。

「仮にも強制召喚されといて私の心配はなし!?」

周は普段から彼らを強制的に呼び出す事はしない。
彼らが自身の式神である事は確かなのだが、
あまり自分の都合で縛りたくないというのと、
何よりも彼らを「道具」のように扱いたくなかったと
いうのがある。
しかし強制召喚という緊急事態を前に
九人は実にほのぼのとしていた

「だって周、寮を抜け出して
 陰陽寮生の実践訓練が行われる森へ行くって
 言ってたじゃないか」
「だからどうせ森で道に迷って
 呼びだされたんだろうなと思いました」
「う……」

考えが割と読まれていて言い返せない。
人間臭いくせに人間より頭が回るのだから
この九人の妖怪達の扱いは難しい。

「それで、この少年は一体誰なんだ?」
「この人は彩馬。あたしの道案内をしてくれたんだけど……」

声が途中で尻窄まっていく。
今更出会った人物が妖怪だったという程度で驚く周ではないが、
本来式神の主にしか出来ないはずの強制召喚をしてみせた。
それだけで普通の妖怪とは違うのは明白であり、
その上目的が分からない。
富村のように桁外れな呪力を持つ自分を狙って
近付いてきたという可能性も捨てきれない。

周が不安げに彩馬を見ている事に気付いたのか、
ふざけあっていた式神達が徐々に
見知らぬ妖怪へ警戒心を見せた。
彼らの中で兄貴的な存在の立葉が冷静に問い質す。

「今回の強制召喚、呼びだし方があまりに強引だった。
 周とは術の感触も違った。私達を呼びだしたのは
 もしかして貴方なのか?」
「そうじゃよ」

九人からの視線に気圧される事無く彩馬が答える。

「え、周以外に俺らを呼ぶのって可能なの?」
「私達より高位で、かつ力が強ければ
 不可能とは言い切れませんが……」
「じゃあコイツ、白里より高位で立葉より年食ってんの?」

白里は竜神に愛され彼の使いとなった白蛇であり、
立葉は何千年も生きた御神木の木霊である。
彼は二人を含む九人を同時に引きずり出した。
並大抵の事ではない。
いよいよ彩馬の正体に対する不信感が積もり出した時、
彼を庇う声が上がった。

「皆、待ってくれ」

切れ長の瞳を持つ青年、傘音だった。

「傘音?」
「彼は敵ではない。
 それと……そいつに喰って掛かるのは止した方がいい」
「……傘音、この人の事知ってるの?」
「知ってると言えば……まあそうなんだが」
「おや、そこの狐はいつぞやの」

まるで今傘音に気付いたとばかりに
彩馬が周の後ろから顔をひょっこりと出した。
途端、傘音がギョッとした顔で後退りした。

「なんじゃ、主。久々の再会だというのにその顔は」
「う……」
「儂は哀しいぞ。くすん」
「嘘泣きをするな! 全く神族が聞いて呆れ――……」

「「「――神族?」」」

全員の声がぴったりと重なった。
視線が彩馬に注がれる。
妖怪の姿は精神年齢に関係するので姿年齢など
当てにならないのだが、それでも彼は何処からどう見ても
周と年が変わらない少年に見える。
そんな皆の胸中を知ってか知らずか
彩馬は何でもない事のように答えた。

「なに、そう恐縮するでない。ここらの道祖神達を
 適当にまとめているだけの道祖神じゃ」

◇ ◆ ◇

傘音は周と出会う十数年前に彩馬と出会っており、
その後しばらく行動を共にしたが
彩馬が道祖神、しかも他の道祖神達を束ねる神であるのを
知ったのは別れ際の事だったらしい。
京へ行くと言いだした傘音に彩馬は、

『そうか。儂は道祖神じゃから自分が祭られている此処を
 そう簡単に空ける事は出来ぬ。ここでお別れじゃな』

「――という訳だ」

傘音に自己紹介を任せ座って休んでいる彩馬は
依然注がれる視線を物ともしていない。

「そう怖い顔をするな。偶々出会った人間から
 強い力を感じ、更に懐かしい匂いまでしたから
 どんな式神を持っているのかと気になっただけじゃろうて」
「それにしたって強制召喚なんて強引でしょう……」

佐巻が呆れ返った声で呟く。
他の皆もそうだそうだと頷いてはいるが、
普段好き勝手やっている彼らも流石に神族が相手となれば
随分控えめになっていた。

「まあ確かに驚かせてしまったのじゃろうな。
 儂も本当に全員を呼び出せるとは思ってなかった」

手の平を顔の前に翳す。
まるでその向こうを透かして見ようとでもするかのように
彩馬の柔和な目が細められた。

「それって、どういう事なの?」
「……簡単な話じゃ。近年、儂を信仰する者は減っておる。
 信仰を失えば、神は力を失う」

目を丸くする周に彩馬は淡く微笑みかけた。
昼下がりの陽光が充分に届かない森の中、
その頬笑みがひどく暗いものに見えた。

「主が先程立っていた崖。あそこが何と呼ばれておるのか、
 知っているか?」
「……いいえ」
「身投げ崖」

綺麗な顔立ちに似合わない不吉な響きが小さく落ちる。

「何年前だったかの。あそこで身分違いの恋を
 全うした男女が身投げをした。
 それからあそこは結ばれぬ男女が最期に
 行き着く場所として有名になって、身投げが多くなった。
 そんな不吉な場所を信仰する者などおらんじゃろ?」

辺りが水を打ったように静かになった。
冷たい風が木々の間を通り抜けて葉を躍らせる。
雨に似ているその音が今は何かの悲鳴のように聞こえた。

「それでも儂は道祖神。いつ身投げ崖から死んだ人間の怨霊が
 出てくるかも分からぬ。
 一度愛された土地からはなかなか離れられないものじゃよ」

初めて会った時。そこで何をしている、という
厳しい問いかけの声。

皆が一様に視線を逸らす中、しかし周だけは逸らさなかった。

「そんな事ないわ」
「……?」
「あの崖に怨念なんて残ってなかったじゃない。
 それにあの崖から見える景色は凄く綺麗だった。
 確かに身投げなんてよくないけれど、
 あそこで死んでしまった人達は最期にあんな綺麗なものを
 見る事が出来て、きっと幸せだったのよ。
 そうじゃなかったら、怨霊なんてとっくに現れてる」

一気に捲し立てた周の息が上がる。
式神達の中の誰かが感心した声を上げ、
彩馬が驚いた顔で周を見つめていた。

あの崖で身投げをした人達の事は周は知らないし、
どんな事情だったのかも、本当に幸せだったのかも分からない。
でもこの場所を守る彩馬は人々の身投げに心を痛めていて、
崖に現れた周を自殺者と勘違いして止めようとした。
そんな優しい神様が守っている土地が
不吉な念に歪まれているはずがない。

「あたし、京に帰ったら貴方の事を伝えるわ。
 あそこの土地は怨霊に取り憑かれてなんかいない、
 優しい神様がいる場所だって」

周が彩馬の手を握り、目をしっかりと見て言う。
彼女の真摯な眼差しは、心の柔らかい部分に
深く突き刺さるようだった。
人の熱が、握られた手を介して伝わってくる。

「――ふっ、ふふ……
 なんじゃ、主、面白い奴じゃの」

思わずという風に噴き出して彩馬が手を握り返す。

「今度は拝まれ過ぎて忙しくなったら、
 どうしてくれるんじゃ」
「え? えっと、その時はあたしも手伝う」
「たわけ。人が神の手伝いなど出来るか」

困ったように返す周は一瞬前までの
不思議な真摯さと強さなど想像出来ない
普通の少女に戻っていた。
解いた指で額を突っつくと彼女は押された分だけ
首を後ろに下げた。

「主らの主は、なかなか面白いの」

振り返れば嬉しそうに頷く者、微妙な顔をする者、
照れたように顔を逸らす者もいる。
これだけバラバラでまとまりのない彼らが
同じように一人の少女に惹かれ、付き従っているのは
興味が湧く光景だった。



「それでは、周が世話になったな」
「今度は一人で森に入って迷子になったなんて
 情けない事をしないでよね」
「わ、分かってるわよ。もうしないから」
「周は変な所で意地っ張りだから心配だな」

森を抜け、山道が見えた。
強制的に呼び出された式神達は結局戻らないまま
周を囲んで喧しくも意気投合としながら下山していく。
その中では傘音も一緒になって笑っていた。

「変わったの、傘音」

ぽつりと零した呟きは独り言のつもりだったのだが
聞こえてしまったらしい。傘音が振り返った。

「そういうお前はあまり変わっていないな。
 私はいつまたお前の腹黒い策に嵌るのかと
 気が気でなかったが」
「退屈している神の可愛いお遊びじゃろうて」
「退屈、か」

秋の終わり、夕暮れのひんやりとした風が
山と森を揺らした。
彩馬の金色の髪が夕日に照らされ、燃えるような色に染まる。

「人も妖怪も、出会いで変わってしまうものだ。
 京に入って、多くの人に出会って、私はそう思った」
「そうか。神もそれは同じであると、思いたい所じゃな」

彩馬は神と持て囃されながらも自分の守る土地からは
殆ど出た事がない。
どれだけ広い土地を収めていようが、
大地はその先も、海を越えても大地はまだある。
一端の神族とはいえ、知らない事はまだ多い。

「お前も京に下りてみたらどうだ?
 別に無理ではないんだろう」
「それも楽しそうではあるが、いいんじゃよ。
 儂は縛られているのではなく、進んでここにいる」

遠く、赤く染まりゆく優美な京。
もし自分があそこへ行くその時は、
恐らく神としてではないのだろう。

「そうか……まあ、来る時は言ってくれ。
 町の案内くらいはしてやろう」

それを最後に傘音も背を向けて山を下りていく。

人よりも、妖怪よりも、上位に立つはずの神が
その後ろ姿がひどく眩しいと思った。
信仰がなければ力を保てず、日々弱くなって行く
自らに不安を抱きながら今日までを過ごしていたが、
たった数時間にも満たない出会いが
十数年間積もった黒い靄を打ち払っていく。

いつか信仰が途切れ、神として成り立たなくなったら、
京に入って人間の生活に触れてみよう。
それは、おそらくそう遠くない未来のはずだ。
けれどその事が、前より怖くは無くなっていた。

[其ノ九へ]