【其ノ八】森の中、迷子は神に逢う 〇一

「どーしよ……」

京から少し離れた森の中。
陰陽師の卵、東雲周は途方に暮れていた。

今日は外の森の中で陰陽寮生達の実践訓練が行われる。
寮の長、篠岡継雅立ち合いの元行われる訓練は
日々の研鑽の成果を試し、何よりも継雅の前で
自らの実力を披露する日でもある。
当然、自分もこの訓練に参加する気でいた周だったが
継雅から告げられたのは思いも寄らない言葉だった。

君は実践訓練には出られない。

何故、と問う前に理由は理解出来た。
今回の実践訓練は自らの操る式神同士の力比べだ。
周の式神は常識破りの九人。
しかも普通の陰陽師が操る式神を束にしても
太刀打ちできないほど高位の妖怪ばかりである。
周が訓練に出てしまうと、訓練にならないのだ。
他の生徒と同様に扱ってほしい。そう思っても、
周りの目はそうとはいかない。
それに、自分にその事を告げに来た継雅の辛そうな顔は
逆にこっちが申し訳なるようなものだった。
寮生への伝言くらい、誰かに頼めばいいのに
わざわざ陰陽寮の頭自ら伝えに来た、その理由も分かる。

だから周は物分かりよく頷いた。
訓練の日は休息日として自由にしていい、と
継雅の優しさに感謝の気持ちをそのまま述べた。

継雅は自由にしていいと言った。

――だからって、こっそりと訓練を見に行くのは屁理屈かしら?

せめて訓練の様子くらい見てみたいと思った。
だから町へ下りるふりをして寮を出て京を抜け出し、
訓練が行われるという森へ入った。

そして迷った。

我が身の事ながら悲しいを通り越して呆れる。

「絶対、一人でちゃんと帰ってやるんだから」

目的が変わっている上に、意地の張り所がズレている。
それに気付かずに周は森の中を彷徨っていた。

まだ昼を過ぎたばかりの時刻だとは思うのだが、
高く伸びた幹、その先の枝の生い茂る葉が
陽光を遮って地面に届く光が少ない。
そのせいで正確な時間が分からなくなってしまった。
柔らかく湿った土の匂いが濃く鼻に纏わりつく。
とりあえず来た道を戻っているはずなのだが、
歩けども先は木々が続くだけで京はおろか
人が均(なら)した道も見えてこない。

始めは強気だった周も徐々に不安が襲ってくる。
季節は秋の終わり。昼の今はまだ寒いという感覚はしないが、
これから日が落ちるにつれ寒さが増すだろう。
もしも野宿になったら命が危ない。
そもそも野宿などしていられない。寮の皆を心配させてしまう。

今は迷子になったなど言えない、という意地で
式神達を呼ばずにはいるが、
本気で帰れなくなったら情けないが頼ってみよう。

森の中に一人だけの足音が響く。
寮生の中から弾かれた自分。
なんだかこの世にまで弾かれた気分になってくる。
泣き出しそうなのを誤魔化すように
足を強く踏み出しながら歩く周の先に、
一際明るい光が見えた。

「あっ……出口!?」

木の根っこに足を引っ掛けないように気を付けながら走る。
薄暗闇に慣れた目に、陽光の眩しさが痛い。
森を抜け、開けた場所に出る。しかし見えたのは――

「……崖っ?」

目の前に広がったのは慣れ親しんだ京。
だが京は小さく、自分の立つ場所より低い位置にある。
そこは切り立った岩で出来た崖の先だった。

「うわあ……こんな場所があったんだ」

京を高い場所から一望した事など今までなかった。
周にとって京は広く、常に等身大で見ている場所だから、
こうして見渡せるというのは奇妙な感覚だ。
白い雲がもうすぐ終わる秋空を滑り、
地平線の彼方へ流れていく。
京を囲む紅葉した山々。広がる青緑の大地。

「綺麗――」

置かれた状況を忘れて、周はその景色に見とれていた。
――その時。

「主(ぬし)、そこで何をしておる」

背後から少年の声がかかった。
振り返ると、薄暗い森の中に光るものがあった。
金色に似た、闇の中でなお光を撒くのは――長い髪だ。

小さく葉を踏む音がした。陰の中から声の主が現れる。
長い髪を持つ、女の子のような顔をした少年だった。

「誰……?」
「主よ。先に訊いたのは儂じゃ」
「え? ああ、えっと、ごめんなさい」

年齢は周とそう違わないように見えるが
少年は古臭い言葉を使ってくる。
背格好は確かに若いのに、まとう雰囲気は
知性を湛えた落ち着きだ。
訳も分からず、まるで偉い人の前に立たされたような
緊張感を覚えた。

「あたし……その、迷子なんだけれど」
「……迷子?」

勢いが抜けたような声が上がった。
一瞬前の高貴な空気が嘘みたいに消えて、
少年はただ目を丸くする。

「なんだ、ただの迷子か……」

落胆する声は普通の少年のものだ。

「『なんだ』って何よ。結構不安だったのに!」

緊張感が霧散して、周の言葉にも勢いがつく。

「そういう貴方は迷子じゃないの?」
「儂に向かって迷子とは、面白い事を言うの」
「え?」
「独り言だ。気にするでない」

何が楽しいのか、少年はクスクスと笑い出す。
笑顔だと益々男か女かの区別が難しくなる顔立ちだ。

「よく分かんないけど……貴方は道を知ってるのね?」
「うぬ。案内をしてやってもよいぞ」
「本当!? もう帰れないかと思ったよ……」

これこそ天から降って来た幸運だ。
あまりに幸運な出来事に少年を拝みたくなる。
不思議な色の髪を揺らして少年が森の中を示す。

「こっちじゃ。付いて来い」
「ありがとう。本当に助かるわ。
 あたしは東雲周。貴方は?」

名前を訊かれ、少年は振り返って答える。

「彩馬(あやま)」

◇ ◆ ◇

只者ではない雰囲気はしていたが、
確かに彩馬は只者ではなかった。

「彩馬は幾つなの?」
「そうじゃな、まあ十六くらいじゃろ」
「何処に住んでるの?」
「秘密」
「どうしてこの森にいたの?」
「それも秘密じゃ」

……秘密主義というか、奇妙な性格だった。
何を訊いてものらりくらりとかわして、
自分の素姓を明かそうとしない。
けれど柔らかな物腰のせいか、妙な口調のせいか、
拒絶されているという冷たい感じはしない。

「ほれ。こっちじゃ、こっち」
「ちょ、ちょっと待ってよ。木の根っこが……」
「なんじゃ。主、若いのに情けないの」

彩馬は動きにくそうな服を着ているのに
全くそれを感じさせない軽やかな足取りで
どんどん進んで行ってしまう。
周が縦横無尽に走る木の根っこに苦戦し、
とうとう足を引っ掛けて前に倒れそうになった。

「きゃっ……!」
「おっと」

地面にぶつかる寸前で彩馬が周を抱き留めた。

「ありがとう」
「まったく、危なっかしい奴じゃの。
 ……ん?」


見上げた先に、綺麗な顔。
近い距離に思わず心臓が飛び跳ねて
慌てて離れそうとしたが、出来なかった。
見れば、彩馬が周の着物の裾を掴んでいる。
鼻がひくひくと動いている。何やら匂いを
嗅いでいるらしかった。

「どうしたの?」
「…………」

彩馬は答えず、無言で鼻をすんすんと動かしている。
掴んだ腕を辿って鼻の先が周の方へ向く。

「あの、彩馬?」
「懐かしい匂いがする……ああ、そうか。成程。
 主、陰陽師の子なのじゃな」

周が陰陽師の卵である事は言っていないのに、
彩馬はズバリと言い当てた。

「ど、どうして……」
「濃く、妖怪の匂いがする。それも様々で強い匂いじゃ。
 主は多くの式神を従わせておるの」

次々と言い当てられて呆然とする周を見て、
彩馬は「当たり」と嬉しそうに呟いた。
周の腕をより一層握り、引き寄せる。
まるで抱き寄せられるような形になって、周は慌てた。

「ちょ、ちょっと――!?」
「そう騒ぐな。悪いようにはせんよ」

空いた片手で周の白い額に触れる。
瞬間、そこから青い光が迸った。
その光は、妖怪たちを呼びだした時に現れる
淡い光とよく似ていた。

「強く繋がっている……。
 心が通い合い、気遣い合っている証じゃな」
「彩馬、貴方は――、っ!!」

青い光が膨張し、薄暗い森の中が
一瞬だけ明るく照らされる。
光に驚いたように鳥たちが飛んで、葉を揺らした。
青い光は消えず、九つに分かれて
人の形を成そうとする。

そして、周の式神達が強制的に呼び出された。

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